
「平常時でも危機意識を持って動くことができる会社に」─こう話すのは三井化学社長の市村聡氏。米国・イスラエルによるイラン攻撃以降、ナフサなど必要な素材の調達に追われてきたが、政府との連携もあり克服。今後は石油化学の構造改革と同時に、ライフ&ヘルスケア、モビリティ、ICTという『成長領域』をいかに伸ばすかが問われている。
18年間の工場勤務が会社人生の基盤に
─ 市村さんは2026年4月に社長に就任したわけですが、社内にはどのようなメッセージで伝えていますか。
市村 社員にはあまり萎縮して欲しくありませんでしたから、「外部環境は厳しいけれども、みんなで頑張って乗り越えていこう」と伝えています。
私は1992年に入社したのですが、2010年までの18年間、大阪工場で勤務してきました。この時の経験が私の会社人生の基盤です。1人では工場を動かすことはできません。みんなの力を合わせることが工場、会社の力を強くすると思い続けてきました。
目指す姿に向かってトップダウンで引っ張っていくことも大事ですが、みんなで力を合わせた時のパワーの強さは工場時代で実感しています。これは私の一貫した思いです。
─ 地政学リスクの高い状況が続く中、原材料価格高騰など難しい経営環境にあります。危機管理をどう進めていますか。
市村 2月28日に米国・イスラエルがイラン攻撃を始めましたが、当社は3月に緊急対策会議を設置しました。08年のリーマンショック時に大きな赤字を計上したという教訓が背景にあります。
この緊急対策会議では役員をはじめ関係部署からも関係者が一堂に集まって情報交換を行います。例えばナフサの調達は2カ月先ですが、これが入ってこなかったら、プラントを止めなくてはいけない。
なるべく長く生産を維持するためにはどんな生産バランスが必要で、在庫がどれだけあるかをすぐに共有したのです。そうして調達部隊が中東以外の地域からのナフサ調達を図り、国からの情報提供も得て事業がつながっていきました。
今は社内でも耐久性、レジリエンスがついたのではないかと思います。そして一時はメディアなどで毎日「ナフサ」という言葉が聞かれ、この素材がないと日常生活に大きな問題が起きるということが国民の間で強く認識されました。
我々化学メーカーとしては、これだけ社会に貢献しているのだということ、その一方でそれだけ責任があるのだということを社会の方々も思ってくれたし、我々も思うことができました。
─ 常に危機と隣り合わせという意識が大事になりますね。
市村 ええ。今回は経済産業省さんや外務省さんにタイムリーに情報提供していただきました。国全体の非常事態となると1つにまとまって動くことができるのだなと実感しました。
大切なのは危機状態だけではなく、平常時も、指示を待たず自ら考え自ら行動することができる組織、そういう会社にしていきたいですね。
他社との連携で 「強いコンビナート」づくり
─ レジリエンス(復元力)を高めるということですね。石油化学の構造改革は今後、どのように進めていきますか。
市村 東日本では、千葉県で我々と出光興産さんで27年にエチレンプラントを1基化します。西日本では、我々の大阪工場に旭化成さん、三菱ケミカルさんのプラントを集約し1基化します。
これは単純に需給バランスで、供給能力を減らすということだけでなく、それ以上に中国など海外と戦えるような強いコンビナートをつくらなければいけません。
西日本で連携する3社とも、長い歴史の中で培った技術を持っているからこそ、生産技術やノウハウをみんなで持ち寄り、会社の垣根を超えて強靭化していこうという方向性で進めています。
─ 他企業との連携も欠かせない時代ですが、提携する時には自らに強みがなければいけませんが、三井化学の強みをどう捉えていますか。
市村 三井化学の強みは先ほど、「全員の力を合わせて」という話をしましたが、ボトムアップの力が強いことです。上からの指示を待たず、自ら考えて動く力があります。その反面、トップダウンのところで、対話を通じて納得し、理解して、みんなが動くというところまでは、少し時間がかかるかなと感じています。
変化の激しい今は、速く動かなければいけません。トップダウンで、指示した時にすぐに動く。三井化学のよさを活かしながら、どのようにスピードアップしていくかというバランスに課題があると思います。
─ 海外と渡り合える構造にしていくということですが、現在の海外売上高比率は?
市村 売上高では約半分、成長領域だけに絞ると約7割が海外となっています。
従来は、石油化学が大きな市場で、大きなプラントを建て、現地生産でコストダウンをし、価格競争力と供給力を確保して勝負していくという構造でした。
例えばペットボトル用の樹脂は東南アジアで原料のテレフタル酸も含め現地生産をして広げてきましたし、強みを持つフェノールも市場が広がっていた中国等で作ったりしていました。
こうした素材はマスで利益を上げることができるので最初はよかったのですが、現地資本のローカルプレーヤーが現れてくると価格競争になり、マージンが減っていきます。
ですから、従来のような戦い方ではなく、量ではなく質が大事になります。加えて、現地のニーズに合ったカスタマイズをしていくこと。これが今後、海外で勝ち残るためのカギだと思っています。
─ 中国は国全体の経済状況は厳しい中、石油化学製品では価格競争力を持ってアジア市場を席巻しています。彼らとも競争をしていく必要があると。
市村 ええ。彼らはものすごい力を付けてきています。では、我々はそこで戦えないということで逃げるのか。別の地域に展開したとしても、必ず中国勢がやってきて、そこでまた戦うことになります。
ですから中国市場においては、きちんとその市場を取るような、今までと違う戦い方で勝っていかなければいけないと思っています。
先日、私は中国の関係会社を回って「中国市場で戦って勝てなければ、どこで戦っても勝てない、頑張って欲しい」という話をしてきました。皆さん、頑張ろうという雰囲気になっていましたね。
素材を変えることで世の中に貢献してきた歴史
─ 三井化学はメガネレンズ材料で世界で高いシェアを持っていますが、こうした特徴も活かしていくことになりますね。
市村 そうです。メガネ自体はある程度の重さがありますが、レンズの部分は10グラムほどしかなく、コストに占める割合も低い。しかしながら、目を通して見るものですから非常に高い品質が求められます。こういう分野で強みを発揮していきたいと思っています。
─ 歯科材料の分野でも26年6月にM&A(企業の合併・買収)の発表をされましたが、この分野も強化していくと。
市村 6月に米歯科材料メーカーで、ホワイトニング分野で世界首位のウルトラデント社を約1400億円で買収することを決定しました。最初、13年に買収したのがドイツの歯科材料事業のクルツァー社でした。
クルツァーは元々、金やプラチナなどの貴金属をリサイクルする事業を手掛けていましたが、その多角化の中で歯科材料事業に入っていったという会社です。
ただ、歯科材料は金属からセラミックやプラスチックに変わっているため、当社の強みを生かせます。例えば、プラスチックは加工性に優れるため、歯を3Dスキャンし、3Dプリンティングで材料を成形するようにしました。
サイズの誤差も少なく、患者さんに喜んでいただけて、プラスチックの付加価値を高められるという取り組みです。
医療業界は変化を嫌う面がありましたが、少しずつ変わってきました。25年に我々が3Dプリンターでつくる義歯用材料が初めて保険適用になりました。
─ 最終的に事業は顧客が喜ぶものに向かっていきますね。
市村 三井化学が過去何をしてきたかというと、金属をプラスチックに置き換える、ガラスメガネをプラスチックにする、包装であれば紙からプラスチックにするという形で、皆さんの生活を便利に、衛生的にするということを続けてきました。
自動車も、昔バンパーは車を守るために金属製でした。ところが今は車だけでなく人の安全性を守るため、衝突時の衝撃を吸収する弾力性のプラスチックが使われています。
軽量化にもつながり二酸化炭素排出軽減にも貢献します。このように素材を変化させることで世の中をよくしてきたというのが三井化学の歴史です。今回のイラン問題で明らかになったように、プラスチックが世の中にこれだけ普及しているわけですから、かつての生活には戻れませんよね。
─ 今回の米国とイランとの戦争が始まった際、医療材料がなくなるのではないかということが社会的課題になりましたね。例えばプラスチックに代わる素材というのはないんですか。
市村 可能性としては、いろいろあると思います。ただ、今回のイラン問題が終わった後、脱プラスチックが進むかというと難しいと思っています。
例えば、かつて注射器はガラスで、洗浄して再度使っていましたが、使い回しによる健康被害が問題となりました。今はプラスチックで、採血する際には全て使い捨てになるなど、衛生面でよくなっています。ではガラスに戻すかというと考えられません。
ただ、使う量を減らす省プラスチックは考えられます。同じプラスチックでも100グラム使っているところを80グラムにする。そうなると素材の強度、機能を上げていかなければなりませんが、これは三井化学が得意とするところです。
我々は、当社の製品・サービスがQOL(Quality of Life)にどれだけ貢献しているかを価値として評価する「Rose Value®」と、省エネ・省資源など環境に貢献しているかを価値として評価する「Blue Value®」に取り組んでいます。
地道に取り組んできた活動ですが、社会により求められていく活動だと思っています。
AIと人の関係を どう考えるか?
─ AI(人工知能)は全産業に影響を与えていますが、「人」との関係をどう考えますか。
市村 AIを生産技術現場に入れていきたいと考えて工場で話をすると「私たちはいらないんですか」という話になってしまいます。ただ、AIには得意な分野があります。
言葉を理解するようになり翻訳などの質も上がりました。重要なのは現場のベテランが話す作業上の注意点や技術などをAIに取り込み、蓄積することです。若手が困った時にAIに聞くとアウトプットが出てくる。
ただ、必ずリニューアルし続けなければなりませんので、それを支える技術者が当然必要です。AIが全てをできるわけではなく、AIを上回る技術を持った人を育てなければいけないのです。人とAIは共存していくのだろうと思います。
─ 今後の成長に向けた戦略を聞かせてください。
市村 ライフ&ヘルスケア、モビリティ、ICTを成長領域としています。それぞれ今、強みとしているのは現地のローカルニーズに合わせた作り込みです。
その代わり、お客様ごとの専用銘柄が増えたり手間がかかりますが、一度お客様に当社製品を採用していただくと結果として長く継続してお使いいただける関係につながります。
しかも、海外生産をする中で、これまでは日本から技術者を派遣して対応していましたが、それでは今のスピードには間に合いません。ローカルの技術者をどんどん育てていって、お客様との対話を通じて、改善に向けたレベルを上げていかなければいけません。
これに取り組むことで、ライフ&ヘルスケア、モビリティ、ICTという成長領域の差別化につながるのではないかと思います。
─ カギはやはり「人」になりますか。
市村 「人」ですね。自分たちが良い材料を作ったと思っても、お客様にとって何が価値なのかを理解しなければ意味がありません。
大事なのは人と人の対話です。お客様の成長をどう支えるかという顧客起点の発想に変えていくことが、私たち自身の成長につながると考えています。