「プロ野球の球場」と聞いて、試合日以外は閑散としている光景を思い浮かべる人もいるかもしれない。しかし、北海道日本ハムファイターズの新本拠地「エスコンフィールドHOKKAIDO」を中心とするエリア「北海道ボールパークFビレッジ(以下、Fビレッジ)」は違う。試合がない日も多くの人々で賑わい、熱狂的な野球ファン以外も足を運ぶ1つの「街」として進化を続けている。このかつてない空間を支え、非日常の熱狂と日常の居心地の良さを両立させている裏側には、徹底したデータ活用がある。
6月15日~17日に開催されたオンラインセミナー「TECH+データ×AIアクセラレーションDays 2026 Jun. データ×AIの本番運用を極める──組織・プロセス・技術がつながる実践知」では、ファイターズ スポーツ&エンターテイメント 事業本部 マーケティング部 部長の田邊朋哉氏と同部 顧客マーケティンググループ グループ長の北村達哉氏が登壇。フリーアナウンサーの大慈弥レイ氏をモデレーターに、無料IDを用いた顧客接点の拡大から、現場トラブルを7分以内で解決するリアルタイムなオペレーション、そして顧客の感情をデータ化する未来の展望まで、戦略の全貌が明かされた。
球場ではなく「街」を創る、Fビレッジ構想の3つの背景
Fビレッジは、球場であるエスコンフィールドを中心に、宿泊施設や商業施設、温泉・サウナ、農業学習施設など、多様な施設が共存するエリアである。田邊氏によれば、Fビレッジを「球場」ではなく「街」と定義した背景には、従来のスポーツビジネスの限界を突破するという壮大な狙いがあり、大きく3つの理由があるという。
1つ目は「365日のビジネス化」だ。従来の野球場は年間約72試合の公式戦が中心で、試合日以外は基本的に稼働せず人が集まらないという弱点があった。これではテナントや周辺事業者の投資リスクが高くなるため、試合がない日やオフシーズンでも人々が訪れる“日常的な街”にする必要があった。
2つ目は「野球ファン以外の獲得」である。スポーツ施設という枠組みにとどまると、熱狂的なファンだけが残るピラミッド構造に陥りがちだ。そこでFビレッジでは境界線を意図的に曖昧にし、食事や絶景サウナ、子どもの遊び場などを目的に訪れるノンコア層を取り込み、1日中楽しめる未来型リビングコミュニティの創出を目指した。
3つ目は「共同創造空間の形成」だ。ファイターズ単独で全てのビジネスを行うのではなく、約32ヘクタールという広大な土地を多様なパートナー企業に転貸し、独自のサービスを展開してもらうことで、自然発生的な街の形成プロセスを生み出している。
北村氏は「現在は観光地としての立ち位置ができ始めているが、今後はFビレッジに住む人や働く人を増やし、日常的に触れていただく機会を創出していくことで、私たちが目指す『街化』に近付いていける」と展望を語った。
無料IDがもたらすデータ基盤の拡大
Fビレッジが多様な来場者を捉え、より良い体験を提供するための鍵となるのが、2023年の開業に合わせて導入された無料の共通ID「F VILLAGE アカウント」である。
以前は主に有料ファンクラブ会員のデータしか取得できていなかったが、Fビレッジ開業に伴い、野球以外の目的で訪れるライト層のデータも蓄積していくことが重要になった。そこで、野球観戦チケットの購入にはF VILLAGE アカウントの登録を必須とし、さらにFビレッジ公式アプリやファンクラブ、決済連携サービスなどもF VILLAGE アカウントにひも付けることで、顧客接点を大きく広げた。
取得したデータを基に、ファイターズは複数回来場の促進と滞在時間の延長に注力している。
複数回来場を促す具体的な施策の1つが、Fビレッジ公式アプリの「チェックインチャレンジ」だ。エスコンフィールド内でアプリを開き、GPS機能を利用して来場登録をすると、選手のサインボールやFビレッジ内で使えるクーポンが当たる抽選に自動で参加できる。顧客にとってはうれしい特典であり、運営側にとってもチケット購入者以外の同伴者の来場データまで自然に取得できる仕組みだ。
また、来場者アンケートを重視し、とくに「もう一度来たいか」という再来場意向の数値をモニタリングしている。
「アンケート結果から、友人や家族など既存の来場者に誘われて初めて訪れた人は、その後の複数回来場につながりやすいことが見えてきました。今後は、より自然に誘いやすく、誘われた側も楽しみやすいサービスや企画を強化していきたいと考えています」(北村氏)
滞在時間を延ばす工夫も多彩だ。従来の野球観戦は試合時間のみの滞在が一般的だったが、Fビレッジでは試合開始の数時間前から一般営業やスタジアムツアーを実施。試合後にも「
リアルタイムなデータ活用が支える現場のオペレーション改善
取得したデータや仮説は、現場のオペレーション改善にも直結している。
開業当初、ファイターズはデジタル版目安箱としてX上に「#聞いてよFビレッジおじさん」というアカウントを開設した。ここに寄せられた声の多くは「移動と飲食に関するストレス」だった。とくに試合終了後のバスの待ち時間に対する不満の声が目立ったという。
そこで運営チームは、バスの待ち時間をリアルタイムで算出し、場内の大型ビジョンやFビレッジ公式アプリに表示する仕組みを構築した。「あとどれくらい待つか」が可視化されたことで、見えない不安からくる顧客のストレスは劇的に軽減された。顧客自身が「バスが混んでいるなら、もう少し飲食を楽しんでから帰ろう」と行動を調整できるようになったのも大きなメリットだ。
さらに、球場内で発生するトラブルに対しても、本部の司令塔が望遠カメラで発生しやすい場所をモニタリングし、情報集約ツールを用いて近くのスタッフに即座に指示を出している。現場の清掃スタッフもスマートフォンから事象を本部へ即座に共有でき、およそ7分以内でトラブルを解消できる体制を構築している。こうしたデジタルツールを用いた本部と現場の緊密な連携が、安全性と満足度の向上を支えている。
顧客の「感情」をデータ化し、ブームから「文化」へ
セッションの最後に、両氏は今後の展望について力強く語った。
田邊氏は、単なる行動履歴や購買データにとどまらない「感情のデータ化」に挑戦したいと語る。
「スポーツビジネスにおいて重要なのは、何を買ったかではなく『何に心が動いたか』です。例えば、屋根が開いた状態での試合に感動した、子どものヒーローインタビューに胸を打たれた、勝敗に関係なく友人と楽しい時間を過ごせたなど、こうした感情のトリガーをF VILLAGE アカウントとひも付けることができれば、単なる販促ではなく、顧客の人生における『習慣設計』が可能になります。今後はSNSの投稿やアンケートの自由記述から熱量をスコア化し、運営をさらに高度化していきたいです」(田邊氏)
北村氏もまた、現在の盛り上がりを一過性のものにしない決意を示した。
「現在、非常に多くのお客さまにご来場いただき、ファンが増えていると実感しています。しかし、この動きを一時的なブームで終わらせず、いかに『文化』として定着させるかが私たちのこれからの課題です。これまでに蓄積したデータを活用し、AIなどのテクノロジーも取り入れながら、お客さま一人ひとりにより楽しんでいただける時間と空間を提供していきたいと考えています。そして、全社はもちろん、共に歩んでくださるパートナー企業の皆さまとも『世界がまだ見ぬボールパークをつくる』という共通の志を共有できていることは、私たちの大きな強みです。その強みを原動力に、これからも挑戦を続け、さらなる進化を目指してまいります」(北村氏)
スポーツエンターテインメントの枠を超え、1つの「街」として進化を続けるFビレッジ。その裏側には、徹底したデータ活用と、顧客の体験・感情に寄り添う緻密な戦略が存在していた。

