米・フェルミ国立加速器研究所(FNAL)が「ミューオンg-2(異常磁気能率)実験」の結果報告を行ったことを受け、高エネルギー加速器研究機構(KEK)とJ-PARCセンターの両者は8月18日、その解説を行う報道機関向けの記者サロンを実施した。(記者サロンのレポート記事はこちら)
今回は、記者サロンの中で併せて解説された、2028年からJ-PARCで行われる「ミューオンg-2/EDM実験」と、その関連実験としてすでにKEKで実施中の「Belle II(ベルツー)実験」について紹介する。
g-2(異常磁気能率)のgは、素粒子のスピンに起因して、素粒子が磁場中で小さな磁石として振る舞う際の大きさを表す無次元定数である「g因子」を意味する。同因子は、相対論的量子力学を記述するディラック方程式によると厳密に「2」となることがわかっており、そこに量子補正の効果が加わると2から微小にずれることも知られており、このg因子の2からのズレのことをg-2という。
ではなぜこのg-2の精密測定を行っているのか。それは、標準理論を超える新たな物理を捉えることができるかもしれないからだ(新たな物理の候補については後述)。そのために以前は電子を用いたg-2が計測されてきたが、理論計算値と実験での計測値が、9桁の精度で一致していた(実際には、小数点以下11桁までの一致だが、小数点以下2桁目まではゼロなので数えず、3~11桁目までで「9桁の精度で一致」と表されている)。
そこで研究チームは、新たな物理があった場合、電子の約200倍の質量を持つ素粒子であるミューオンの方がより大きな影響を受けると考えられることから、ミューオンを用いた実験を行うようになったのである。なおミューオンとは、電子と同じ荷電レプトン(軽粒子)の仲間で、第1世代の電子に次ぐ第2世代の素粒子である。新たな物理があった場合、ミューオンの影響の受け方は質量の2乗になるため、電子の約4万倍となる。
また、今回発表されたミューオンg-2実験とは異なる手法でミューオンg-2/EDM実験を行うことで、お互いに測定結果に予期せぬ系統誤差が含まれていないかの検証を行えるようになる。つまり、ミューオンg-2実験とはまったく別の手法を用いたにもかかわらず、同様の測定結果が出た場合は、それだけその結果が正確ということになる。そのため、ミューオンg-2実験の研究者たちからも期待が寄せられているのである。
ミューオンg-2/EDM実験がミューオンg-2実験と大きく異なるのは、g-2に加え、素粒子の電荷に関する「電気双極子能率」(=EDM)についても同時に超精密測定を行うという点だ。EDMとは、素粒子の量子補正の効果による電気的偏りを示す量である。粒子中で電荷の偏りがあるか、粒子が球対称ではない場合はゼロではないことになるが、素粒子の標準理論では極めて小さいと予想されている。
仮にEDMが見つかれば、時間反転の対称性を破る物理法則が成り立つ証拠となることから、新しい物理が「時間反転対称性を破る」のかどうかを調べることができる。また、g-2の値がずれていれば、EDMが大きい可能性があり、g-2のズレの原因を探る上でもEDMの探索は重要とされている。研究チームによると、EDMの先行実験に対し、ミューオンg-2/EDM実験では、約70倍の高感度で探索できるという。
そしてミューオンg-2/EDM実験は、装置がコンパクトな点も大きな特徴だ。ミューオンg-2実験の蓄積磁石・検出器の「ミューオンg-2リング」は直径14mであるが、ミューオンg-2/EDM実験用に建設中の蓄積磁石・検出器は、およそ1/20にあたるわずか66.6cmと、桁違いに小型なのだ。
この小型化を実現するのが、J-PARCで独自に開発中の「ミューオンの冷却・加速」技術だ。これまでのミューオンの生成では、懐中電灯のようなもので、陽子ビームからパイ中間子を生成し、それが崩壊することでミューオンが生成されるのだが、その間に拡散してしまうのが難点だった。従来のミューオンビームの場合、1kmまで照射すると10mの幅に拡散してしまい、系統誤差の主要因となってしまっていた。
そこでミューオンg-2/EDM実験では、ミューオンをレーザー穴加工が施された8mm厚のシリカエアロゲルを通すことで冷却を行い、ミューオンを低速にする。冷却前には4GeVあったミューオンビームは、シリカエアロゲルを通過すると一気に8桁もエネルギーが小さくなり(この低速のミューオンは「ミューオニウム」と呼ばれる)、25meV~30meVになるという。なお2023年2月からは、このミューオンの冷却装置の試験を岡山大学と共同で実施中だといい、冷却したミューオンの生成に成功したとしている。
こうして低速化したミューオンは、1km進んでも1cmしか拡散しないため、ミューオンのレーザーのようなイメージになるという。その結果、直径1cmの加速空洞にすべてのミューオンを送ることが可能になるのである。この冷却装置の次に待つ再加速のための装置では、第1段階でまず5keVに加速し、その装置中でさらに0.34MeVまで増速。その次の加速装置では、そこからさらに4.3MeVにまで加速し、さらにその先の加速装置で最終的に210MeVまで加速するとのことだ。
こうして絞り込まれた上で再加速したミューオンが最終的にたどり着くのが、蓄積磁石・検出器だ。蓄積磁石は上述したようにわずか66.6cmしかなく、蓄積磁石を含めた検出器全体も、全高が2.9mと小型だ。そのほか、従来の1/1000の微弱ビーム収束力で蓄積を行え、10倍の高いビーム入射効率が可能になるという。そして、高品質なミューオンビームを用いるため、従来手法と比べて系統誤差が圧倒的に少ない高精度な実験を行えるとする。
現在、J-PARCの3GeVシンクロトロンのRCSと接続した新たなHラインが物質・生命科学実験施設内に増設され、段階的に各種器機の開発や整備、試験が進められており、そのデータ収集は2028年度からの開始が目指されている。