レッツノート「復活」に向けて動き出したプロジェクトチームが、最初に取り組んだのがコンセプトの「ブレ」を修正することだった。
「まずは、ターゲットを明確に再定義する」――。
手本にしたのは、欧米におけるタフブックの成功だった。
タフブックが目覚めさせたレッツノートの「本質」
タフブックは、堅牢ノートパソコンとして確固たる地位を築き、北米の警察では約半分の市場シェアを獲得していた。「堅牢性」というブレないコンセプトを打ち出し、ターゲットを、「作業服や制服を着ている人」、「仕事でスニーカーを履いている人」に絞り込み、成果を収めていたのだ。
レッツノートの復活に向けても、ターゲットを絞り込むことが求められた。
議論は、レッツノートならではの提供価値を再認識することから始まった。なぜレッツノートは生まれたのか。他社の圧倒的な違いはなんだったのか。
「軽くて、持ち運べて、ビジネスマンがどこでも仕事ができるノートパソコン」――。
その答えに辿り着くまでに、それほど時間はかからなかった。
プロジェクトチームが設定したターゲットは、「ビジネススーツを身にまとう男女」であり、コンセプトは、「ビジネスマンの鞄に入るパソコン」だ。
もともとレッツノートは、発売以来、モバイルで利用するサブノートとして高評価を得ていたパソコンだ。その「原点」に戻ることを宣言したともいえる。
そして、思い切ったターゲットの絞り込みは、図らずも「HITO」の経験が生きた。「HITO」の存在があったことで、レッツノートは、コンシューマ領域への展開や、AV機能の搭載といったことは一切考える必要がなく、ビジネスモバイルに特化したモノづくりに集中してもいいという理由のひとつになったからだ。
もうひとつ見逃せない動きがある。パソコン事業の組織の一本化の成果である。いわば、それまでは別の潮流だったタフブックの開発ノウハウやリソースが、レッツノートの開発にも生かせるタイミングと重なったのである。
実は、1999年11月に発売したA4オールインスリムノートであるレッツノート「CF-L1」は、タフブックの開発チームが、日本市場向けに作り上げたパソコンであり、レッツノートの新たな可能性を引き出していた。
レッツノートの「復活」に向けたモノづくりにおいて、大きな援軍がバックに控えていたのだ。
「真のビジネスモバイル」完成へ、第一の矢に「なにをしてもいい」の大号令
ターゲットとコンセプトが明確化したことで、目指すべき仕様も決まってきた。
ITプロダクツ事業部を統括するAVC社(現パナソニックコネクト)の拠点がある大阪・西門真で行われたある日の会議。その場で、AVC社のトップが、ノートパソコンのスケッチを描き始めた。その絵の横に書き込まれた数字が「1kg」であった。
VAIOシリーズをはじめ、対抗するモバイルノートの重量は、1.3kg前後。新たなレッツノートが目指すのは、それに対して、4分の3の重量に抑え込むという高いハードルが、このとき設定されたのだ。これはトップダウンによる明確な必達目標だ。そして、同時に、バッテリー駆動時間で5時間を達成することも決められた。
目標設定の理由は明快だったといえる。
「モバイルノートパソコンを持ち運ぶ人は、様々な道具を一緒に持ち運ぶ。だから、パソコンは1kgを切ることが最低条件。そして、外出して利用するには、最低でも5時間駆動しなくては使いものにならない」
レッツノートの開発チームは、大阪府守口市にある。東京への出張や海外への出張が多く、すでにレッツノートを持ち歩いて使い、自らが最先端のモバイラー集団であったともいえる。だからこそ、ビジネスモバイルに必要とされる条件は、自らの体験でわかっていた。つまり、高い目標は、超えなくてはならない要件であることを、チーム全員が身に染みて理解していた。全員がモバイラーであったことは、新たな挑戦に向けて、チームがまとまる要因のひとつだったともいえよう。
「競合製品よりも3割軽く、バッテリーは2倍持つ」――。これが、プロジェクトチームの合言葉だ。
そして、社内にはこんな号令もかかった。
「できる、できないではない。必ず達成する目標である」、「常識の範疇や、先入観でしか判断ができない35歳以上の意見は聞くな」、「1kg以下、5時間が達成できるのであれば、企業倫理や法律を守ればあとはなにをしてもいい」――。
異例ともいえる号令は、レッツノート復活に賭ける信念の強さを示したものだといえる。
最初に、開発チームが取り組んだのは、「どこまで軽量化できるのか」といった観点からの試作であった。その結果、1kgを遥かに下回るものを作り上げてみせた。
しかし、これは、落としたら壊れてしまうギリギリの水準を実現したものであり、そのまま商品化することはできないものだった。そこにタフブックが持つ堅牢ノートパソコンのノウハウを加えて、必要なところを強化するというモノづくりを進めていったのだ。品質を重視したモノづくりが身上のパナニックでは、まずは壊れないものを作り上げ、そこから軽量化するのが通常だ。その点では、異例のアプローチである。言い換えれば、そこまで軽量化を重視していたともいえる。
開発に携わった関係者の一人は、「社内では、これを『努力と根性方式』と呼んでいた」と笑う。
現在のように、3Dシミュレーションによる開発手法が一般化していない時代である。何度も落下試験を行い、評価し、最適な構造に変更するといった試行錯誤を重ね、1kgの壁を超えないように完成度を高めていったのだ。
こうして誕生したのが、レッツノート「CF-R1」だ。発売は2002年3月。10.4型XGA液晶ディスプレイを搭載し、超低電圧版モバイルPentium IIIプロセッサー 700MHz-Mを採用。20GBのHDDを搭載した。
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レッツノート「CF-R1」。かばんに楽々入るB5サイズながら、10.4型でXGA(1024×768ドット)という当時ならデスクトップと遜色ない画面領域を確保し、軽量で長時間駆動、しかも頑丈という、まさに復活に相応しいレッツノートとして完成した
そして、重量は目標とした1kgを大きく下回り、世界最軽量となる約960gを実現。バッテリー駆動時間は6時間を達成した。当時の新幹線は、東京-新大阪間が約3時間かかった。しかも、座席にはコンセントが用意されていない時代だ。6時間は往復の新幹線でも利用できる駆動時間ともいえた。これはプロジェクトチームの体験がそのまま生かされたこだわりだといえるかもしれない。
さらに、「CF-R1」では、いくつかの新たな取り組みも行われた。
現在も、レッツノートの天板に使用している「ボンネット構造」を初めて採用し、堅牢性を高めた。また、パームレスト部には波型のデザインを取り入れて、放熱性を高めている。さらに、「ホイールパッド」と呼ぶ独自形状の丸いパッドも初めて搭載。これは、その後のレッツノートの象徴となった。
そして、キーボードにも様々な工夫が凝らされた。キートップを2色構成とし、側面に色を付けるとともに、キートップのフォントには見やすさを重視した独自のものを採用。文字は印刷ではなく、切り抜く形にしている。これらによって視認性が高め、長期間使用しても、キートップの文字を消えにくくした。
このように、ビジネスモバイルに求められる細かな要素を徹底的に検討し、それを実現するために多くの工夫を随所に盛り込んでいるのだ。
また、「CF-R1」は、店頭販売だけでなく、ウェブで販売を開始したことも新たな挑戦のひとつだった。直販サイト「マイレッツ倶楽部(現Panasonic Store Plus)」では、液晶部のサイドカバーとホイールパッドのリング部のカラーカスタマイズを開始。これも業界初の取り組みだ。
1kgを切る軽量化と、6時間のバッテリー駆動に対するインパクトは大きく、「CF-R1」は、発売からわずか2~3週間で、当初想定していた販売台数は売り切ってしまった。
レッツラーを中心としたモバイラーたちの評価が高く、多くのメディアも「CF-R1」を取り上げた。
真の「ビジネスモバイル」が、ここに誕生したのだ。
本気になったパナソニック、第二の矢は「わずか半年。過去最短で完成」
だが、開発チームは、二の矢、三の矢を放つことを忘れなかった。
それは、パナソニックが、本気になって「ビジネスモバイル」の領域に取り組む姿勢を世の中に示すには、「CF-R1」の一本の矢だけでは足りないと考えていたからだ。
「ビジネスモバイルとして魅力的な製品を、立て続けに3つ投入することが大切だ」
事業トップからは、そうした指示が出ていたものの、「CF-R1」を開発している時点では、二の矢、三の矢の明確な姿は描けていなかった。
だが、「CF-R1」の反響の大きさは、次の一手の方向性を決めるには十分だった。そして、社内からも、「次」に対する期待の声もあがってきた。とくに強く要請をしてきたのは、法人営業部門であった。
「法人需要が獲得できる12.1型液晶ディスプレイ搭載モデルを、すぐに作ってほしい」――。
「CF-R1」は、10.4型液晶ディスプレイを搭載しており、モバイルに強い関心を持つ先進ユーザーが購入の中心だった。それに対して、企業が本格的に導入するには、1kgの軽さを維持しながらも、もう少し画面サイズが大きいものが必要だったのだ。
開発チームは、すぐに検討を開始した。そして、モノづくりには、「CF-R1」の購入者から寄せられた意見も反映した。ここでは、マイレッツ倶楽部には、購入者の声を集めることができる仕組みを用意していたことも功を奏した。
たとえば、「CF-R1」では、10.4型液晶ディスプレイのサイズにあわせて横幅を決めており、キーピッチは17.5mmとなっていた。だが、複数のパソコンを使用しているユーザーが中心だったこともあり、一般的なノートパソコンと同じ19mmのキーピッチを求める声が多くあがってきたのだ。
また、「CF-R1」は、外部モニターやプロジェクターに映像を出力するには、専用のVGA変換ケーブルが必要であり、この持ち運びが手間であるといった声や、そもそも専用変換ケーブルが入手しにくいという声があり、VGA端子を標準搭載して欲しいとの要望もあった。
こうした様々な声をもとに、仕様を検討した結果、二の矢で目指す目標は、液晶ディスプレイは12.1型、重量は1kg未満、バッテリー駆動時間は5時間以上、キーピッチは19mmに設定された。液晶サイズの拡大などから逆算すれば、「CF-R1」に比べて、数100gは増加することになる。それをわずか39gの増加に抑えた製品化が目標となった。
この厳しい目標を目指し、開発チームが試行錯誤を繰り返した結果、完成したのが、2002年11月に発売した「CF-T1」である。
「開発期間はわずか半年。過去最短で完成させた製品」とも位置づけられている。
最軽量モデルでは重量999gを実現。主力モデルでも1045gの軽量化を達成している。また、世界最薄となる0.55mmのマグネシウム合金を採用したほか、本体底面には約300個の穴を空け、堅牢性を損なわずに軽量化してみせた。その一方で、要望が多かったVGA端子(D-Sub 15ピン)は、軽量化や小型化にはマイナスの要素となるものの標準搭載している。
「CF-T1」は、狙い通りに、発売直後から、企業での導入が相次ぎ、「CF-R1」を大きく上回る販売実績を達成してみせた。レッツノート復活の「二の矢」も、確実な成功を収めたのである。
実は、「CF-T1」の開発に際して、事業責任者は、開発チームにひとつの逃げ道を与えた。それは、「薄さを追求しない」ことだった。
もちろん極端な厚みは許されない。しかし、スタイリッシュに直結する極端な薄さよりも、ビジネスモバイルにとって、最も重視される軽量化を優先したのだ。実は、ノートパソコンの重量は底面積の大きさに影響を受ける。「厚みがあるが底面積が小さいもの」と、「薄いが底面積が大きいもの」を比較すると、前者の方が軽量化しやすい。歴代のレットノートが、液晶サイズぎりぎりの幅で、モノづくりを行っているのも軽量化を追求しつづける姿勢の表れである。
開発チームは、薄さを追求しないことで、多層基板の採用が可能になり、基板サイズを小さくでき、筐体の小型化に直結。これが軽量化にも大きく貢献することなったのである。
かつて、他社の薄型化の動きを起点にして迷走したレッツノートが、ここでは、あえて薄型化を捨てた。ここからもビジネスモバイルに賭けた「ブレない」姿勢が伝わってくる。
軽量化の限界へ非常識な新機構、怒鳴り声と情熱で放った第三の矢
三つ目の矢は、「CF-W2」である。
これもユーザーの声をもとに、製品化を決めたものだった。
市場調査をしてみると、CD-ROMやDVDに格納したカタログやマニュアルを、顧客先や現場で使いたい営業部門、保守部門の社員などが、外に持ち出しやすいノートパソコンを求めていたことがわかった。
当時は、ハードディスクの容量が小さく、音声や映像を組み合わせたコンテンツは、CD-ROMやDVD-ROMなどに格納することが一般化していた。だが、これらを再生するために必要なCD-ROM/DVDドライブを搭載したパソコンの多くは、外に持ち運んで利用するには、筐体が大きく、重たいものばかりだった。
だが、レッツノートが実現するのは、あくまでもビジネスモバイルである。開発チームは、「CF-T1」と同じく12.1型液晶ディスプレイを搭載し、B5ファイルサイズに収めることを目標に掲げた。
だが、このサイズのなかに、CD-ROM/DVDドライブを搭載することは困難を極めた。
そこで、開発チームが目をつけたのが、パナソニックグループで、ドライブの開発、生産を行っていたパナソニックコミュニケーションズ(旧九州松下電器、現パナソニックコネクト)であった。話し合いを進めるなかで、開発チームは異例の提案をした。ドライブユニットを、ケースカバーに入れて供給してもらうのではなく、部品として供給を求めたのだ。
一般的にドライブユニットは、ケースカバーのなかに組み込まれて、メーカーに供給される。仕組みもトレイを引き出して、そこにディスクを挿入するというものだ。そして、その状態によって供給することでドライブユニットの品質保証を行っている。
だが、レッツノートの開発チームは、その常識を打ち破ることで、大幅な軽量を図ろうとしたのだ。
開発チームの設計では、ノートパソコンのパームレスト部の左側のカバーが開き、そこにCDやDVDを直接挿入する仕組みとなっていた。トレイを引き出し、ディスクを装着する方式が一般的なドライブとはまったく異なる構造だ。
当初、供給側であるパナソニックコミュニケーションズは難色を示した。先に触れたように品質保証の問題が発生するだけでなく、用途が特殊すぎるため、他社への横展開が難しいと判断したからだ。そして、そもそも誰もやったことがない供給方法でもあった。
レッツノートの開発チームは、粘り強く交渉を重ね、共同開発という形を採用。さらに、製品化した際の品質保証も共同で行うことにしたのだ。まさに異例づくしのモノづくりだ。実際、この方式を採用した競合他社は、その後も現れなかった。
当時の関係者はこう振り返る。
「ドライブユニットを供給する側には、部品の形で供給するという発想はまったくなく、それを実現する考えもなかっただろう。いまから考えても無茶苦茶な提案であった」としながら、「グループ内だからこそ、無茶が言えた。グループ企業だからこそ実現できる製品だった。それが、レッツノートの強みにつながった」とする。
このドライブは、「シェルドライブ」と呼ばれ、その後のレッツノートシリーズの象徴的機構のひとつとなった。
「CF-W2」の製品発表会では、実物が展示され、通常のドライブユニットでは約200gの重量だったものが、部品による供給によって約99gに半減したことを訴求してみせた。
「CF-W2」が、CD-ROM/DVDドライブを搭載したノートパソコンとして、世界最軽量となる1290gを実現できたのは、シェルドライブ抜きには成しえなかった。
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パナソニックグループで、ドライブの開発、生産を行っていたパナソニックコミュニケーションズ(旧九州松下電器、現パナソニックコネクト)と共同開発したCD-ROM/DVDドライブ。小型・軽量化のために構造から変えてしまった
だが、開発チームの困難はこれだけては終わらなかった。
次の難関は量産であった。
生産を担当したのは神戸工場である。
「なんで、こんなものを作ったんだ。1個作るのに、1日かかるぞ!」
開発チームは、神戸工場から怒鳴り込まれる事態に陥ったのだ。実際、熟練技術者が組み立てを行っても、数時間かかる状況だった。
開発者は、大阪府門真市の開発拠点と、兵庫県神戸市の神戸工場を何度も往復し、生産技術部門の協力も仰ぎながら、量産ができるように改善を加えていった。
「この製品をお客様が待っている。なんとか量産化したい」
そうした開発チームの想いと、工場の改善に対する熱意と実行力が、量産化につながった。この頃、パソコンの海外生産が増えていたが、神戸での国内生産だからこそ、実現できたノートパソコンだったといえる。
開発チームは、ドライブ以外にも軽量化への工夫をさらに推し進めていた。
従来よりも40g軽量化した液晶パネルを採用したほか、新たなダブルボンネット構造の採用や、天板にマグネシウム合金を採用したことも軽量化に貢献した。当時は、B5ファイルサイズまでのマグネシウム合金のプレス加工が可能な機械は、日本に1台しかなく、それを活用して成形したという。
「CF-W2」は、開発チームにとっては、「これ以上、軽くできない理論値の追求」への挑戦だったという。
具体的な数値目標を設定したのではなく、「CF-T1」によって実現したサイズはそのままに、CD-ROM/DVDドライブを搭載し、バッテリーを増量しながら、どこまで軽くできかを追求した結果が、「CF-W2」で実現した1290gという重量につながっている。
レッツノート三部作が確立した「シン・レッツノート」
2003年5月に発売した「CF-W2」は、パナソニックの想定を上回る売れ行きをみせた。
実際、「CF-R1」や「CF-T1」と比べても、桁違いの販売実績となった。
想定外だったのは、ドライブ搭載のA4ノートパソコンを求めて販売店店頭に訪れた購入者が、ひと回り小さく、性能が同等の「CF-W2」を見て、購入していくシーンが相次いだことだ。コンシューマユーザーにも「CF-W2」の魅力が、驚きとともに伝わっていったのである。
第一の矢の「CF-R1」によって、離れていたモバイラーを獲得し、第二の矢である「CF-T1」では法人ユーザーを獲得。そして、第三の矢となった「CF-W2」でコンシューマユーザーにまで裾野を広げてみせたのである。
そして、共通しているのは、持ち運んで利用する「モバイルパソコン」としての用途にこだわってきたことだ。この結果、レッツノートの認知度やイメージを高め、モバイルパソコンとしての想起率も高めることになった。
レッツノートの復活を賭けた3つの矢は、レッツノートのブレない針路を明確にするとともに、多くのユーザーを惹きつけるものとなった。
(続く)
※次回掲載は2026年8月20日(木)の予定です。








