スポーツ庁の調査によると30代後半女性の体力低下が顕著であり、子育て世代の運動不足が数字に影響しているとのことだ。

「子育て中女性のスキルアップを」というパワーワードを乗り越えた104期中年女性たちはこの程度の発表では動じない、と言いたいどころだが、そもそも子育てで忙しい女性にこのような聳え立つクソを乗り越えさせようとするのが間違っている。

つまりこれも「女に要求しすぎ問題」の一つである。

子育て単体だけでも重労働なのに、最近は働きながら子育てしている人も多く、さらに家事までやった上で「ところで運動不足では」と言われても「どこに運動する時間が」としか言いようがないのだ。

この調査結果から、子育て世代女性にもっと余裕を、もしくは中年女性周辺の時空を歪めて1日48時間にする、などの話になればまだ有意義なのだが「この世代の女性がもっとスポーツに興味を持つよう啓蒙しよう」という方向になっているらしく、その的外れ感がまた批判されている。

ただ、何せ私自身が、子育てもしておらず時間に余裕がないとも言えず「運動したくない」という曇りなき理由で運動不足に陥っている中年女性であり「中年女は他世代に比べ運動への意欲が薄い」という説の根拠になりうる害悪なので、あまり大きなことは言えない。

しかし、調査でも「子育て世代」と指摘しているのだから、性別年齢ゆえの特性ではなく「子育て」が運動不足に影響しているのは確かであり、未だに子育ての負担が女性に偏っていることを示しているのではないか。

私が同世代の友人と集まる時、子育て中の者も「子供は旦那に預けて来た」と言って単身でやってくるので、自分のことだけでなく子どもをワンオペで世話できる男性が増えているのも事実だ。

だが逆に「子供は妻に預けてきた」と言ってやってくる男性はあまりいないのではないか。

子育て世代の女性に自由時間が与えられてないわけではないだろう、しかしその自由時間の前に「子供の命と生活の預け先の確保」というミッションが課せられる場合が多いのではないか。 ジムで1時間運動するにしても「ミッションクリア後に1時間ジムで運動」となる女性に対し、男性の場合は、「その間の子供はどうするか」というミッションがあるという意識もなく「ジム行ってくる」の一言でジムに行けてしまっているのではないか。

そのミッションがあるかないかでも、ジムに行くダルさは変わってきだそうし、ミッション時に「また?」など、いちいち渋られたら継続する気がなくなってしまう。

子育てが影響していると分かっているなら、やはり対策は、子育ての負担の軽減であり、非協力的な配偶者が悪いというミクロな問題ではなく、子育て世代全体への支援が必要である。

意識の低さが問題ではなく、余裕がなければ運動はできぬ

  • やるかどうかは本人の一存ながら、時間も金も不足しがちな世の中…

    やるかどうかは本人の一存ながら、時間も金も不足しがちな世の中…

子育て世代女性だけでなく、国民に運動させようと思ったら、運動の必要性や楽しさを啓蒙する前に「余裕」を与えることが不可欠だ。

私のように、誰のせいでもない、一部の隙もない自己責任による運動嫌いの運動不足とて、思い立ったように運動する気になり、使わないジム会費を1年ぐらい寄附する慈善事業をすることはある。

その時の心理状態はやはり「余裕」がある時なのだ。

私の場合、運動ではなく「健康」に関心をもっての運動だが、余裕がない時には健康にも関心が持てない、むしろ余裕がない時はこんなクソみたいな人生は一秒でも早く終わりたいと思っているが、終わらすガッツもないので、地球に爆発して欲しいと願っている。

そして地球の爆発中にBMIを気にする奴はいないのである。

「余裕」とは時間や精神的な意味だけではなく、もちろん「経済」も含まれているし、これが一番大きいとさえ言える。 運動だけなら、団地内を走り回るなど、金をかけずにすることは可能だが、それだと一瞬で保護者LINEグループに不審者情報が駆け巡り、ますます子育て世代の余裕を奪うことになる。

結局、国民に何かやらせたければ、世代や個人の関心の問題にせず、まずは国民の生活を安定させてみたら良いのではないか、ということである。

だが一方で「時間と金さえあればやるのに」と、言い訳してやらないことは、それらを十分に与えられたとしても「今はその時ではない」などの理由でやらないこともわかっている。 特に運動というのは、人によっては、金や健康、魂を差し出してでも回避したいものだったりする。

この調査を見て「どこに運動する時間があるんだ」と憤っている人がいる一方で「だからどうした、何をどう支援されようが俺は運動しない」と、別の意味で面構えが違う104期生が存在することも容易に想像できる。