さらに、新宿・小田原間82.5kmを1時間で走破するという目標が立てられた。戦前の鉄道の最高速度記録は、阪和電気鉄道(現在のJR阪和線)天王寺・和歌山間61.2kmを45分(表定速度81.6km/h)で走った「超特急」だったから、これを打ち破ろうという野心的な目標であり、かつ社内向けの方針説明にも、社外へのPRにも、わかりやすいキャッチフレーズであった。

特急専用電車という斬新な経営思想

その後、山本利三郎は、1957年に画期的な特急用電車3000形「SE(Super Express)」を就役させ、1963年には改良型の3100形「NSE(New Super Express)」を投入し、目標に挑んだ。

3000形が画期的だったのは、取り入れられたさまざまな最新技術だけではない。

それまでの特急用電車は、単に「内装が豪華な車両」「強力なモーターを積んで高速で走る車両」という考え方で設計されていた。これに対し、3000形は設計の出発点を「徹底的に特急専用とした電車」に置いたことが重要であったのだ。次世代の特急用車両が現れれば、それまでの電車のように急行などへ格下げ改造、転用することは一切考えず、10年程度で廃車としてもよし(実際には約35年使われたが)という"設計思想"である。

これは技術革新や顧客の嗜好の変化の速さ、つまりは時代の流れをよく理解していた経営上の考え方であった。そういう経営感覚を車両設計に盛り込んだという点で、3000形は時代の先を読んだ斬新なものだったと言えるのだ。

ただ、新宿・小田原間1時間という目標は、3000形、3100形でも達成されることはなかった。電車の性能が不足していたためではない。高度経済成長期の通勤通学客の激増に対応するため、急行や各停などの大増発が必要になり、それらの列車に行く手を阻まれて、特急が常に全区間を最高速度で走るわけにはいかなくなったためである。

3100形以降の小田急の特急用電車は、速度もさることながら快適性も重視したものへと切り替わってゆく。NSEの次の7000形が、豪華さを打ち出して「LSE(Luxury Super Express)」と命名されたことが象徴的だ。

左:3000形の思想を受け継ぎ、展望室を設けるなどの改良を施した3100形「NSE」。小田急開成駅前で保存されている。右:3000形「SE」以来の車体色イメージを受け継いだ7000形「LSE」。2018年度内の引退が予想されている

新車と「VSE」を最速列車に投入

正直なところ、山本利三郎の理想は車両性能の向上により達成されたわけではない。複々線化の完成で、各停などと走る線路が分離されたことにより達成されたのは、間違いないところだ。

左:2018年春に登場する予定の新型ロマンスカー70000形の完成予想イラスト。右:小田急新宿駅では歴代のロマンスカーをイラストで紹介

実際、ダイヤ改正後の新宿・小田原間59分運転に投入されるのは、新型ロマンスカー70000形と、現在も同区間を1時間4分で走っている50000形「VSE(Vault Super Express)」である。つまりは、性能的にはすでに十分なものが持たされているのである。

こうした流れとなったのは、やはり時代の変化。なかんずく、沿線の都市化が予想以上に深化、広域化したことによる。3000形、3100形が登場した時代には、通勤電車がこれほどの本数で走るとは思われておらず、複々線化計画もまだなかったのだ。

今回の複々線化は特急の所要時間短縮のために行われたことではない。ただ、小田急電鉄としての「悲願」が、会社発足から70年にして達成されることも間違いない。社内外へ向けてもっとアピールして箱根への旅客を誘致し、かつ社員を鼓舞する材料としてもよいと思う。