テクノロジー業界で「起業家モード」が話題に

かつてのスティーブ・ジョブズ氏や、現在ならイーロン・マスク氏のようなCEOの傍若無人な行動は、批判されもしますが、大きな組織を1人で動かす強力なリーダーシップには、多くの人を引きつける魅力があります。

彼らが大きなことを成し遂げてきた思考や行動は多くの人に研究され、数多くの書籍にまとめられています。しかし、会社経営の教科書では、彼らの経営アプローチは「避けるべきもの」とされています。あなたが会社経営者なら、彼らのやり方を取り入れるでしょうか?

Airbnbの創業者ブライアン・チェスキー氏がYC(Y Combinator)イベントで行った講演をきっかけに、テクノロジー業界で「起業家モード(Founder mode)」が話題になっています。ベンチャーキャピタリストのロン・コンウェイ氏によると、チェスキー氏のスピーチはメモを取るのを忘れて聞き惚れてしまうほど素晴らしかったそうです。

残念ながら講演は公開されていませんが、ポール・グレアム氏(Y Combinatorの共同創設者)がブログ記事で講演の内容を紹介し、そこから同氏による「起業家モード」という造語が拡散され始めました。

  • グレアム氏は、ブログ記事を公開する前に数人のテック業界の大物に原稿を見せたそうです。そのうちの1人であるイーロン・マスク氏は公開後に「一読の価値あり」とXにポストしました(@elonmusk)

    グレアム氏は、ブログ記事を公開する前に数人のテック業界の大物に原稿を見せたそうです。そのうちの1人であるイーロン・マスク氏は公開後に「一読の価値あり」とXにポストしました(@elonmusk)

チェスキー氏のスピーチは、有望な新興企業を危うくする経営の常識が蔓延しているという内容でした。Airbnbがスタートアップから成長する過程で、チェスキー氏はベンチャーキャピタリストや事業戦略のプロから助言を得ました。それは大きな企業を経営するなら、優秀な人材を雇い、彼らが自由に仕事を進められるように権限を与えるべしというものでした。

しかし、そのアドバイスに従った結果は惨憺たるものでした。そこで同氏は、経営の常識を疑い、スティーブ・ジョブズ氏のAppleでの経営を研究し、自分が思う通りの経営を実践したところ、以前の活力や士気を取り戻せたそうです。

グレアム氏によると、チェスキー氏の体験に対して、イベントの参加者が次々に「自分たちにも同じことが起こった」と語り始めたそうです。参加者の多くは、Y Combinatorから資金提供を受ける、成功が期待される起業家たちです。

なぜ、有望な起業家たちに間違った助言が押し付けられているのでしょうか?

グレアム氏は、会社経営には「創業者モード」と「経営者モード」の2つがあるとしています。そして、スタートアップをスケールさせることは、経営を「創業者モードから経営者モードに切り替えること」というのが通説になっていると指摘しています。シリコンバレーも例外ではありません。

Googleを例にすると、共同創設者のラリー・ペイジ氏とセルゲイ・ブリン氏は、2001年に豊富な経営経験を持つシリコンバレーのベテラン、エリック・シュミット氏に経営を任せました。

数年後、シリコンバレーに乗り込んできて台頭し始めたFacebookで、当時まだ23歳だったマーク・ザッカーバーグ氏は、Googleで広告収益基盤を築いたシェリル・サンドバーグ氏をCOO(最高執行責任者)としてスカウトしました。

優秀な人材を雇い、トップは直属の部下に何をすべきかを指示して、実行はそれぞれに任せるのが、ビジネススクールでも教えられている大きな組織を運営するための「基本の"き"」と言われれば、うまく機能するように思えます。

しかし、実際には多くのスタートアップで経営者モードは機能していません。

グレアム氏は「それ(経営者モード)は、自ら創業した会社ではない会社を運営する方法、つまりサラリーマン社長が会社を運営していく方法だからです」と指摘しています。そして、優れた創業CEOには、経営のプロには見えないものが見え(先見性)、できないことができる。

それが創業CEOが牽引する会社のエンジンであり、「それらをできないと創業者は違和感を覚えます。それもそのはずで、実際にそれが(彼らにとって)正しいのです」と述べています。

「創業者モード」論に対する反応は賛否両論

創業者から経営者になるように諭され、一方でスタートアップの創業者が経営者的な運営を試み始めると従業員からの批判や不満に直面することもあります。周囲の全員が自分の意見に反対していたら「自分が間違っている」と考えるのが普通の反応です。ガスライティング(精神的な自立を奪ったり、自己判断ができなくする心理的虐待の一種)に陥ってしまいます。

しかし、テクノロジー産業にはチェスキー氏が参考にしたジョブズ氏のようなブレないリーダーが存在します。彼らの剛腕は時に独裁や暴走と見られ、細部にまで口を挟むマイクロマネジメントは従業員から嫌われ、その経営手腕はむしろ異端と見なされてきました。 でも、見方を変えると、彼らの成し遂げてきたことは、大規模な組織の経営でも創業モードが有効になり得ることを示しています。その価値を認めることで、より多くのスタートアップが成功をつかめるようになるというのがグレアム氏のメッセージです。

  • 創業者モードだった時代のAppleの象徴である海賊旗が掲げられたInfinite Loopオフィス

    創業者モードだった時代のAppleの象徴である海賊旗が掲げられたInfinite Loopオフィス

「創業者モード」論に対する反応は賛否両論です。

まず、創業者モードのような見方は新しいものではなく、先見的リーダーシップ対戦術的リーダーシップという古くからの議論が存在しました。また、企業のリーダーシップは、単に創業者とマネージャーという2つに分けられるほどシンプルではありません。Appleを例にすれば、創業者としてジョン・スカリー氏と対立して一度Appleを追い出されたジョブズ氏が、マネージャーとして成長したことが、暫定CEOとして復帰した後の成功の大きな要因という見方もできます。

また、十数人規模だったスタートアップの頃と同じように1000人以上の規模の企業を運営し続けることは実際には難しく、ある程度の権限委譲は必要です。創業CEOが率いる会社において、権限委譲はデメリットの方が大きいというのも少々偏った視点であり、逆にアダム・ニューマン氏(WeWorkの共同創業者)やエリザベス・ホームズ氏(Theranos創業者)のように、創業CEOに長く任せたままにした結果、財務的混乱が生じたケースも少なくありません。

グラハム氏の創業者モードが具体的に何を意味するのかは、それぞれの解釈次第のところがあります。それゆえに、ネットミームのネタにもなり、議論が爆発的に広がったように思います。

その点についてグラハム氏は、意図的に曖昧にしたと発言しています。雇われCEOではできないことがあり、創業者CEOだからできることの存在に注目を集めることがブログ記事を公開した狙いだったそうです。

一方、ベンチャーキャピタリストのヘンリック・トルステンソン氏は9月2日に公開したブログ記事で、「創業者は偉大であり、管理職は悪であると分類できるほど単純ではありません」とし、創業者モードでも経営者モードでも、会社経営で問われるのは実行レベルであると指摘しています。

Microsoftのサティア・ナデラCEOは創業者ではありませんが、経営者モードで可能な限りのことを実行し、Microsoftの第2の創業と呼べるような新たな成長を実現しました。逆に創業者CEOといってもさまざまです。

グラハム氏も、一部のスタートアップ企業のリーダーが、適切に権限委譲できないことやその他のミスを弁解するために創業者モードを言い訳にしている可能性を認めています。 創業者だからといって誰もが優れた実行レベルにあるわけではなく、トルステンソン氏は、経営者モードに直面してただ狼狽するだけの創業者たちの実行力に疑問符をつけています。

チェスキー氏のケースは同氏の実行レベルが高かったから創業者モードで成功できたのであり、「創業者たちが実行力を素晴らしいレベルに向上させることができない限り、スタートアップが十分な規模に達した時、実行力のある優れた経営者は、実行力のない中程度の創業者よりもうまくいく可能性が高いでしょう」と結論づけています。