2020年の暮れに小さいが興味深い記事が各紙に掲載された。

『アップルに「テスラ売込み」の過去』 と題されたこの記事によれば、現在となってはトヨタの時価総額を凌ぐ存在となったテスラのCEOイーロン・マスクが自身のTwitterで、モデル3の生産がうまくいかずテスラの存続が危ぶまれた2017年ころ「AppleへのEV事業の売却話を持ち掛けるためにCEOのティム・クックにコンタクトをとったが拒否された」という裏話を語ったとある。Twitterに爆弾発言を繰り返し、株主からも糾弾されたこともあるマスク氏の今までのパターンを見ていると、彼自身が発するメッセージであればそういうことが実際にあったと考えるのが妥当だろう。

かたや、Apple社独自の技術によるEV(電気自動車)の開発はこれまで何度か話題になってきたが、やはり2020年の暮れに「Appleの主要サプライチェーンの情報筋によれば」という触れ込みで、Appleが当初の予定よりも2年ほどスケジュールを早めて、今年中に“AppleCar”の発表を予定しているという記事も現れた。

Appleはかなり前からカリフォルニアの限られたエリアで路上テストを行っているという。私は1年半前に昔のAMDの仲間に会うためにシリコンバレーを訪れたが、その時にもGoogleとAppleのEVの路上テストについては目撃情報を実際に聞いたことがある。CPUの新たなアーキテクチャーの基本設計から製品発表までには少なくとも4-5年の年月を要することを考えれば、こうした大きなプロジェクトが今まさに佳境を迎えていると考えてもおかしくはない。そうした極秘プロジェクトの裏にはCEOレベルの素早い動きが不可欠で、前段のテスラのイーロン・マスクのTwitter談話のように「実現はしなかったが交渉の事実はあった」たぐいの話は沢山あって、さすがにマスク氏のように何でもオープンに話してしまう例はあまりないが、仲間内で「今だから話しちゃうけれど」などという前置きで始まる業界のハナシにはいつも興味をそそられる。

「AppleのWintelへのリベンジ」と題された記事

暮れのあわただしい時にそんなことを考えていたら、世界中のAMD出身者が集ういわゆる“AMD卒業生サイト”で面白い記事が紹介された(Wintel Wars: Apple's Revenge On Microsoft And Intel (NASDAQ:AAPL) | Seeking Alpha)。このサイトでは昔の仲間の現況アップデートに加えて、半導体最前線でのニュースを紹介し、それについて“あーだ、こーだ”と勝手に論評するコーナーがあって、これが非常に面白い。さすがにAMDで豊富な経験を積んだ往年の猛者たちの論評は非常に的を射ている。すでに引退し最早ビジネスでの責任がまったくない人たちの放談なので、私のコラムのネタに時々利用させてもらっている。

さて、シリコン業界を専門とする証券アナリストが書いたこの記事は「AppleのWintelへのリベンジ」と題された衝撃的なタイトルで、少々長いが暇に任せて読んでいたら、私が知らなかったいろいろな事柄が書かれていて興味深かった。記事の発端となったのは昨年の大きなイベントだったApple Siliconの発表とM1チップを搭載したMacの登場だ。

  • Apple M1

    M1の登場はAppleが半導体企業として認識される大きなイベントとなった (筆者によるイメージ)

この記事の全体的トーンは、「Apple Siliconは、IntelとMicrosoftの共同戦線(Wintel)によってパソコン市場の本流からはじき出されたAppleの反撃の狼煙(のろし)」であるという内容である。確かにAppleが発表したM1とそれを搭載したMacの登場は衝撃的なイベントであったし、その性能はかなりのものである。この記事で展開される内容はAppleが初代Macintoshを発表した1984年から、その後のIBM PC/AT互換パソコン市場の爆発的発展の歴史をたどりながら、Apple側から見た35年を、分岐点となった重要イベントを押さえながら語っている。さすがに業界通のアナリストの記事だけあって、x86アーキテクチャー側からだけ業界を見ていた私にとっては「そうだったんだ……」と感じる下記のような興味深い逸話があった。

  • パソコン市場の本流となるチャンスを逃したAppleのSteve Jobsは、iPhoneのアイディアを具体化する過程で、メインCPUの供給者としてIntelとの協業を考え、当時のCEOであったPaul Otelliniに話を持ち掛けたがOtelliniは難色を示した。その後にOtellini自身が語るには「スマートフォンのCPUでは充分な利益が期待できない」という判断でJobsの申し出を断ったということである。
  • IntelがiPhoneに興味を示さないと悟ったJobsは、CPUの供給者として交渉先をSamsungに切り替えた。Samsungはスマートフォンが大量に必要とするNANDフラッシュメモリーの供給者としてすでにAppleと密接な関係があったからだ。
  • SamsungとAppleはSamsungが当時ケーブルTVのセットトップボックス用に使用していた統合型CPUをベースに両社の合同設計チームがiPhoneのCPUを設計し、SamsungはそのCPUのファウンドリとなった。
  • Samsungはこのスマートフォン用のSoC設計のノウハウを生かして独自のCPUを開発し、自社の携帯電話部門の製品Galaxyシリーズに使用した。こうしてスマートフォンのエンド市場においてGalaxyはiPhoneの対抗軸となった。激怒したAppleはSamsungを提訴し(提訴の内容は意匠権についてのものだった)、CPUのファウンドリ先をTSMCに変更した。
  • スマートフォンがPCに次ぐ電子機器の主要プラットフォームになると判断したIntelは省電力CPUであるAtomの設計を進めたが結局成功せず、Appleをはじめとする他のスマートフォンメーカーが省電力デザインのArmを相次いで採用したのでArmはこの市場での標準アーキテクチャーとなった。
  • AppleはArmベースのマルチコアの高性能CPUデザインを中心に据えるApple Siliconで、スマートフォンのみならずPC用のCPUのデザイントレンドを一挙に奪回しTSMCとの協業によって35年続いたWintel体制を覆す構えである。

この記事に述べられた事件がすべて事実だったかどうかは私には検証のしようもないが、全体の流れ的には非常に納得のいく内容である。PCが薄利なコモディテー市場となってしまった現在、AppleがPC市場の制覇を狙っているかどうかは意見の分かれるところではあるが、満を持して発表したApple SiliconことM1の出来の良さを考えると、少なくともCPU設計についての技術的な実力は十分であると見るのが妥当であろう。

初代XboxのCPUはAMDのK7であったというハナシ

こういった業界内の裏話は私自身の経験でもいくつかある。その中でもMicrosoftのゲームコンソール「Xbox」の初代機のメインCPUに関する逸話はかなり衝撃的だったので、ここに記しておく。現在では市場をコンソールゲーム市場を2分するSonyのPlayStationとXboxのメインCPUはいずれもAMDのCPU/GPUの統合型APUを使用していることは衆知の事実であるが、ここに来るまでは紆余曲折があった。

  • Xbox

    初代XboxのCPU採用には紆余曲折があった

Xboxの歴代メインCPUの変遷は次の通りとなっている。

  • 2001年発表:(初代)Xbox、IntelのCeleron(733MHz)
  • 2005年発表:(第2世代)Xbox360、PowerPCベースのカスタムIC
  • 2013年発表:(第3世代)Xbox One:AMDのCPU/GPUをマルチコア化したAPU
  • 2020年発表:(第4世代)Xbox Series X/S、AMDのCPU/GPUをマルチコア化したAPU
  • Athlon

    XboxのメインCPUとなるはずであったK7ベースの初代Athlon (筆者所蔵品)

PCの登場以来ソフトウェアの会社として知られていたMicrosoftがゲームコンソールとしてXboxを販売するというニュースは、2001年の発表当時、大きなニュースとして取り上げられた。

業界でも「それで、メインCPUは?」という話でもちきりになった。発表日が近づいたある日、当時マーケティングでPRも担当していた私に本社から極秘の連絡があった「今回発表されるXboxのメインCPUはK7ベースのCPUだ。この件は発表日まで社内のだれにも言ってはいけない。発表に際してMicrosoftはこの事実も公開することになっているので、ここに添付したQ&Aシート通りにプレス対応すること。なお、このQ&Aにかかれていること以外のコメントは一切しないこと」、という内容であった。AMDの極秘プロジェクトチームがMicrosoftと何か開発しているということくらいは事前に知っていたが、Xboxであったとは知らず私の期待は膨らんだ。

そして発表当日、Microsoftの発表文を読んで驚いた。そこには「メインCPUはIntelのCeleron」、とあったからだ。後で関係者から聞いた話では、IntelがMicrosoftに強力な圧力をかけ最後の土壇場でメインCPUをAMDからIntelに変更させたらしい。どうやらIntelがとんでもなく低い値段を提示したということであった。この土壇場の変更はかなり発表ぎりぎりで行われたらしく、ヨーロッパの一部の国での発表では「メインCPUはAMD」、という発表になった例もあった。当時、すでにAMDとIntelではハードの互換性がなかったのでMicrosoftはAMDベースのモデルと並行してIntelベースのモデルも開発していたということであろう。初代Xboxのプレス発表会で展示されていたXbox展示機のいくつかを開けてみればそのボードにはAMDのK7 CPUが載っていたはずであるが、これも今となっては検証のしようはない。

加速するスピードでハイレベルの意思決定がされるこの業界では、発表内容の裏側ではとんでもないやり取りが起こっているのが日常である。