妊婦と新生児の命を支えることは世界的な課題

妊産婦死亡率や新生児死亡率、乳児死亡率などの数値が低いことで知られる日本。WHOが発表した2022年版「世界保健統計」によると、日本の妊産婦死亡率は0.005%(妊産婦10万人に対して5人)で、オーストリア、ベルギーなどと並んで低水準にある。→過去の「SDGsビジネスに挑む起業家たち」の回はこちらを参照。

世界平均が0.211%(同211人)であるのは、先進国と新興国・途上国との間で妊産婦死亡率に大きな差があり、死亡率を押し上げてしまうからだ。

妊産婦死亡率が最も低い国はベラルーシやイタリア、ノルウェー、ポーランドで0.002%(同2人)であるが、妊婦死亡率が高い国はアフリカに目立ち、南スーダン1.15%(同1150人)、チャド1.14%(同1140人)、シエラレオネ1.12%(同1120人)と続く。この3カ国では死亡率が1%(同1000人)を超えている。

SDGs目標には「3.あらゆる年齢のすべての人々の健康的な生活を確保し、福祉を推進する」内に「3.1 妊産婦死亡率低減」と「3.2 新生児死亡率低減」があり、国によって医療格差が存在する中で、妊婦と新生児の命を支えることは世界的な課題となっている。

前出の数字が低く、医療体制が充実しているように見える日本にとっても無関係な話ではない。国内でも市区町村によって医療格差は生まれていて、地方には産婦人科医が足りない、または不在のエリアもある。

「日本産婦人科医会施設情報調査(2006年-2016年)」「日本産科婦人科学会会員の勤務実態調査(2014年)によると、当時の調査で過去10年間、15の自治体(約32%)で産婦人科医の減少が確認された。

このグローバルでの社会課題に向き合うスタートアップがある。2015年に創業され、2018年には香川大学発ベンチャーとして認定されたメロディ・インターナショナル(以下、メロディ)だ。

「世界中のお母さんに、安心・安全な出産を!」を企業理念に掲げ、周産期遠隔医療プラットフォーム「Melody i」のシステムを用いたIoT胎児モニター「分娩監視装置iCTG(以下、iCTG)」を事業として展開する。Founder & CEOの尾形優子さんにiCTGを中核とする同社の事業や取り組み、今後の展望を聞いた。

  • SDGsビジネスに挑む起業家たち 第15回

    Founder & CEOの尾形優子さん(内容や肩書は2022年11月の記事公開当時のものです、以下同)

タイで妊婦50人のお産を支えた経験

メロディは尾形さんにとって二度目の起業となる。京都大学大学院工学研究科を修了した尾形さんは香川県へと移り、数社の企業を渡り歩いた後、産学官の「四国4県電子カルテネットワーク連携プロジェクト」に参加。

当時は電子カルテ普及の重要性が叫ばれていた時代だった。医療データが共有されることで、患者の負担は減り、医療現場の効率は上がり、増大し続ける医療費を抑えることもできる。そのころIT企業に勤めていた尾形さんは、医療の世界に課題を見出すようになっていた。

産婦人科の電子カルテ事業に2年関わった経験から、自身の中で「妊婦を救いたい」との思いを強くする。プロジェクト参加企業から電子カルテのプロトタイプを買い取って、2002年に一度目の起業をし、産婦人科向け電子カルテを事業として展開。

しかし、カルテの電子化はあまり進んでおらず、鳴かず飛ばずの期間が2年ほど続く。そんな折、香川大学の原量宏教授(現 同大名誉教授)のチームが新たな分娩監視装置を作るプロジェクトをスタートし、尾形さんもジョイン。

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    右から尾形さん、取締役CIO 二ノ宮敬治さん、香川大学 原量宏教授、同 竹内康人 客員教授(ものづくり日本大賞応募時)

モバイル型胎児心拍計測計の開発に取り組む中、妊婦を救うには遠隔医療が必要になるのではと考えるようになった。妊婦と一口に言っても、出産日まで彼女らが過ごす環境や状況は国や地域によってさまざまだ。

プロジェクトの一環で、産婦人科医が不足しているタイ・チェンマイにモバイル型胎児心拍計測計の試作機を持ち込み、胎児のデータを計測する機会があった。その過程で約50人の妊婦を医療機関へと搬送し全員を救ったことから、現地で機器のニーズが高まり、製品化・販売体制構築のためにメロディ設立を決めた。

日本の産婦人科医不足も深刻な問題

激務や高い訴訟リスクで知られる産婦人科医不足問題は日本でも起きている。尾形さんが一度目の起業をした2002年ごろにも、岩手県遠野市で産婦人科医が不在となったことが報道され、世間に驚きを与えた。

そのような医療過疎地域は全国に点在するが、これは妊婦にとって通える病院が近くにない状態ともいえる。2006年〜2020年の間に、出産ができる分娩取扱診療所は32%、分娩を取り扱う一般病院は40%減少していることを報告した「日本産婦人科医会施設情報調査2020」も、それを示している。

「お腹の赤ちゃんは外から見えるものではないので、万一何かあっても妊婦自身は気づきにくいといえます。世界的に見ても、日本の妊婦健診は14回と多めですが、その間に何か起こることはあります。片時も気を抜くことのできないお産を遠隔医療機器でサポートできないかと考えて起業しました」(尾形さん、以下同)

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    分娩監視装置iCTG

同社が香川大学と共同で開発・製品化し、2019年に国内で販売をスタートしたのがiCTGだ。いつでもどこでも母子の健康状態を把握でき、分娩のタイミングなどを予測できるIoT胎児モニターとして、海外でも実証調査を含め12カ国で使用されている。

iCTGで救われる妊婦と胎児の命

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    妊婦は自宅でiCTGを装着し、遠隔にいる医師とやりとりをする(写真はイメージ)

iCTGは妊婦が腹部に装着し、センサで胎児の心拍数を計測する機器だ。妊婦がiCTGで測定したデータはBluetooth経由でタブレットやスマートフォンに送る仕組みで、コードレス/小型/充電式を実現。持ち運びも簡単で、離島やへき地、新興国・途上国をはじめとする電気が不安定な環境でも使用可能だ。

iCTGで測定したデータは医師と患者のコミュニケーションプラットフォームであるMelody iを通じて医師に送られ、医師は遠隔(病院や自宅、外出先など、どこからでも)かつリアルタイムで数値を確認できる。

iCTGが登場したことで、妊婦と医師、機器が同じ場所になくても計測・診断できるようになった。また、医療アクセスの良くない地域であっても妊婦や胎児の異変を素早く把握し、設備の整った近隣病院へ妊婦を搬送する体制を構築できたのは画期的ともいえる。

しかし、開発当初は遠隔医療が普及しておらず、さまざまな規制もある日本において実証実験を行うことは難しかった。そこで、2017年からJICA草の根技術協力事業(地域活性化特別枠)の一環で、香川大学と姉妹校であるタイ・チェンマイ大学の協力を受けて、1,500人もの妊婦に使ってもらうことに成功している。

アフリカ、アジアに利用が広がるiCTG

その後、メロディの顧問を務める原量宏教授が欧州の遠隔医療学会に参加し、タイでの事例を発表したところ、JICAを通じて南アフリカ共和国から引き合いがあったほか、経済産業省の海外支援展開事業の採用も決まった。

2020年にはブータンでもiCTGが導入された。ジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク国王とジェツン・ペマ王妃が出産に際しiCTGを活用したところ、とても有用と感じたことから「国中の妊婦がすべて利用できるようにしたい」と国王自身が語ったことが引き金となった。

同年6月にはブータン政府が王妃30歳の誕生日に合わせて、政府の三大プロジェクトを発表し、そのひとつとしてiCTGとMelody iを使った、母子保健環境の向上プロジェクトが公表された。このほかにも、2022年8月には日本、タイ、ケニアに続いて、フィリピンで4カ国目の医療機器登録を完了したほか、ザンビアやコンゴ、ルワンダなどからの引き合いもあるという。

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    タイでのiCTG使用風景

現在、決まっているのはタンザニアでの事業だ。内閣官房がアフリカの支援に力を入れていることも関係している。アフリカの死産率(出生数1,000当たりの死産数の割合)は日本の約100倍、東南アジアの死産率は同20~40倍とされる。iCTGを通して日本発の貢献ができればと尾形さんは考えている。

国連調達市場への挑戦

日本でもiCTGの導入が広がっている。病院での診療はこれまでface to faceで行うことが当たり前とされ、遠隔医療はへき地や離島を除いてほとんど普及してこなかった。そんな中、新型コロナウイルス感染症の拡大が契機となり、対面よりも画面越しの方が感染リスクを下げられると考えられるようになったことから、遠隔医療が一般的なものになった。 それに伴い、メロディへの問い合わせも急増。病院へ営業に行きづらい状況が続いていたが、iCTGが自然と広がりを見せ、認知度が高まっていった。

2020年に北海道でコロナ感染者が急増し、北海道大学病院がiCTGを採用した「オンライン妊婦健診・診療」を始めたことは話題を集めた。病院で妊婦健診を行う代わりに、妊婦にiCTGを送付して遠隔で検診を行う体制を作ったのだ。

2021年には千葉で自宅療養中の妊婦が早産し新生児が死亡する悲劇が起きた。その後、千葉ではそんな悲しみを二度と引き起こさないよう、大学病院や周産期母子医療センターがiCTGを導入。地域のクリニックや妊婦に貸し出し、何か異変があるとすぐ病院へ搬送できる体制を整えた。このほか、いくつもの都道府県からiCTG導入希望の問い合わせが相次いでいる。

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    ミャンマーでのiCTG使用風景

国内外でiCTGの普及を通して妊婦と胎児の医療と健康を支えるメロディは、2023年ごろに国連調達市場への本格参入を目指して準備を進めている。国連の関連援助機関が新興国・途上国を国際的に支援するため、世界各国の企業から物品・サービスを購入することを国連調達という。

「ユニセフ(国連児童基金)や世界保健機関(WHO)などが2020年10月、共同で発表した死産推計によると、毎年約200万人(16秒に1人)の赤ちゃんが死産となっています。死産の大半が起きている新興国・途上国に私たちの機器を届けられたらと思っています。日本の医療機器で国連調達されているものはまだ少なく、iCTGが日本初のIoT型胎児モニターとして、母子死亡率の改善に寄与することを伝えていきたいです」

外務省の情報によると、国連システム全体(約40機関)の調達規模は約2兆円規模に上るという。調達対象は医療機器や医薬品、輸送サービス、建設機材など多岐に渡る。

尾形さんは、国連調達という国際ビジネスの舞台に上がることで、新興国・途上国へのさらなる販路の拡大・供給ができるのではないかと期待する。その先に救える命がたくさんある。