介護食のイメージを変える
食べ物や飲み物をうまく飲み込めない「摂食嚥下(えんげ)障害(以下、嚥下障害)」。何らかの病気などで引き起こされることもあるが、加齢に伴い咀嚼や嚥下に必要な筋力が衰えてしまうことを理由に、高齢になって悩みを抱える人が多い障害である。→過去の回はこちらを参照。
特に高齢の家族と同居していたり、介護をしていたり、食事を囲む機会があったりする人は、高齢者が「食事をやわらかくしないと噛めない、飲み込めない」状況を見たことがあるのではないだろうか。
このとき、食事をやわらかくする=調理器具を使って食べやすい形にする、ペースト状にするなど、食事の“見た目”が原型を留めなくなることが大半だろう。食事の形状を変えることにより、何とか食べられるようになれば、栄養自体は摂取できる。
しかし、自分だけがみんなと違う見た目の食事をとることや、食事を視覚で楽しめないことに、高齢者本人がストレスを抱えることも。また、食事の準備をする人には手間や労力がかかる。
そんな嚥下障害を取り巻く問題に向き合うべく、誕生したプロダクトが、ギフモの「DeliSofter(デリソフター)」。噛む力や飲み込む力が低下した人たちが「食べづらい」と感じる肉・魚料理をはじめとする食事を、見た目や味を変えずにやわらかくできる調理家電である。
「介護食といえばおいしくない、我慢して食べるもの、というイメージを持たれている方も多く、『今日から介護食を食べないといけません』と言われて喜ぶ方はいないと思います。私たちは食事の支援が必要な方々に向けた“ケア家電”であるデリソフターを通じて、既存の介護食のイメージを変え、新しい食形態のカテゴリを作るチャレンジをしています。食事を楽しみたいすべての人が、食を楽しむことを諦めない、食の喜びを失わない社会を目指しています」
こう話すのはギフモ代表で、パナソニック出身の森實将(もりざね まさる)さん。同社が向き合うのは、SDGs目標でいうと目標2の「飢餓に終止符を打ち、食料の安定確保と栄養状態の改善を達成する~」に含まれる「2030年までにあらゆる形態の栄養不良を解消し(中略)高齢者の栄養ニーズへの対処を行う」である。デリソフターが実現できることや現在の取り組み、将来の展望などを詳しく聞いた。
味も見た目もそのままで、簡単調理
デリソフターは圧力鍋をベースとし、筋切り・穴あけ加工ができる“隠し包丁”のような機能を有した独自開発器具(2022年10月よりリニューアル)を組み合わせた調理器具だ。食材の筋を断ち切り、そこに蒸気と熱の通り道を作り120℃かつ2.0気圧の加熱水蒸気を加えることで味・見た目はそのままに、料理をやわらかくできる。
使い方は簡単で、調理済みの料理をデリソフター専用カッターで加工した後、専用調理皿に載せて、デリソフター本体内鍋にセットし、食材ごとに最適な調理時間を設定して調理開始するだけである。調理の際はボタンを2回押すだけで、調理が終わるまで放置して良い。極力シンプルな操作性を採用している。
デリソフターの特徴は、電気式圧力鍋としては業界最高クラスの2.0気圧の高圧力を用いていることだ。具体例を挙げると、調理開始から圧力が上がり、最後に減圧して蓋が開くまでの時間は、一般の圧力鍋の半分ほどの時間になる。
この調理時間の短さには、これまで時間をかけて普段の料理とそれとは異なる介護食を作ってきた人、その労力を知る被介護者への配慮が込められている。これまで介護する側とされる側が「みんなで一緒の時間に同じ食事をとる」ことは決して簡単ではなかったからだ。
介護食ではない、新カテゴリの食を提供する
介護食なる食事が日本で生まれたのは1980年代ごろで、2000年代には多くのメーカーが参入するようになる。1980年代以前は口から食べられなくなると「胃ろう」を選択するのが主流だった。それが「食べ物の味も楽しんでほしいから、口から食べられるように」との思いで介護食へと進化したのは大きな変化だったといえよう。
しかし、市販の介護食は一般家庭では手に入りにくく、大きなドラッグストアやインターネット通販で購入されること多いが費用がかさみ、主に介護施設で広がりを見せた。介護者にとっての提供しやすさや、被介護者にとって喉に詰まらせることなく安全に飲み込めることから普及していったのだ。
対して一般家庭では、普通の料理をミキサーやすりこぎ棒などの手持ちの調理器具で砕いたり、ペースト状にしたりと、歯茎で潰せるくらいにやわらかく加工する方法が取られてきた。赤ちゃん向けの離乳食と同じような調理法である。
「赤ちゃんと違って、高齢者の方には“食の記憶”があります。例えばハンバーグを目の前にして『お祝い事があると家族で洋食店に行ってハンバーグを食べていたな』なんて思い出すこともあるものです。記憶と結びつけながら食と向き合うと咀嚼力の低下も防ぐことができます。だからこそ、デリソフターでは『何歳になっても食事を視覚的にも楽しむこと』を叶えているのです」(森實さん、以下同)
発案から4年かけてついに実用化
デリソフターの販売がスタートしたのは2020年のこと。それまでの道のりはとても長かった。始まりは2016年にさかのぼる。
ギフモの現メンバーであり、パナソニックのキッチンアプライアンス品質保証部の水野時枝さんと小川恵さん(現在はパナソニックから出向)が、同社の新規事業創出活動「Game Changer Catapult(ゲームチェンジャーカタパルト)」のビジネスコンテストに応募。書類選考に通過し、経営幹部向けプレゼンを通過した。
社内のコンテストで勝ち抜いた後、米国テキサス州オースティンで毎年3月に開催される世界最大級の複合フェスティバル「SXSW(サウスバイサウスウエスト)2017」にも出展。
社外からも高評価を得るものの、家電の開発経験を持たない2人だけで進めていく限界を感じる中、ケア家電商品化に向けて活動する有志サークル「Team Ohana(チーム オハナ)」が2017年6月に結成された。
森實さんはパナソニック社内で開かれたケア家電を考えるイベントに参加した際に、やわらかいブロッコリーを食べてデリソフターや水野さん・小川さんの熱意に触れて、チームの一員として加わることを決意していた。アイデアの素晴らしさや徹底的な顧客目線、2人の求心力に惹かれたと振り返る。
前出のGame Changer Catapultから、パナソニック内での事業化、商品化を検討してきたが、実現はできなかった。そこには、超大企業に身を置きながらまったく新しい挑戦をし、実用化に持っていく難しさがあった。
その後、パナソニックとスクラムベンチャーズ、INCJが共同出資して立ち上げた新会社BeeEdgeの支援を受けて、2019年4月、ギフモはパナソニック発のスタートアップとして創業することとなる。
介護業界だけでなく、飲食業界からの引き合いも
現在(2022年10月時点)、累計販売台数1000台を突破しているデリソフターは、2020年7月に販売を開始。直接販売に限定して手売りしていたころは、初回の100台は即完売となった。2期販売分も完売以降、2021年5月からは通年販売に切り替え、自社ECサイトでの販売を開始している。生産体制も整い、注文から到着まで1週間程度にまで短縮された。
販売先は2020年度のデータでは約半数が個人宅、それ以外は小規模な介護施設や病院、大学など。最近では飲食店からも注文を受けるようになった。京都で創業90年を超える鰻料理専門店「京都柳馬場 梅乃井」の事例を紹介したい。
梅乃井のような鰻料理店は、これから先の高齢者にも鰻をやわらかくして提供したいと考え、デリソフターの導入を決定した。
鰻や店そのものを愛しているのに、噛めない・飲み込めないという理由で、鰻を楽しめなくなる顧客の姿を目にして、店側はどんな人でも噛んで飲み込めるやわらかい鰻を出したいと考えていた。もちろん、鰻の見た目もそのままの状態で。それを実現したことで、食事の飲み込みが難しかった顧客から喜びの声が多く寄せられている。
ECだけに頼らない販売網も検討を
多様な場所で使われているデリソフターだが、製品の認知拡大や導入者増に関しては課題もある。
当初、親の介護をする50~60歳代をペルソナとして想定していたが、ヒアリングを進めていくとボリュームゾーンとなる顧客層は70~80歳代が多いことがわかってきた。90歳前後の親の食事を準備するために、70~80歳代の子どもがデリソフターを購入するケースが少なくないというのだ。
「ネット活用に慣れている50~60歳代に対してはWebマーケティングは有効ですが、70~80歳代となると難しい。D2Cの販売方法だけに頼るのではなく、新たな認知獲得や販売の仕方を考え直す中で、介護施設へのアプローチも進めています。リアルの接点を持てるような場が必要だと考えました」
前出のように、デリソフターは介護施設での導入も広がっている。施設利用者がデリソフターで調理された食事をとり、栄養状態が良くなったのを知った家族から「自宅でもデリソフターを使いたい」と問い合わせが来る機会も増えている。施設経営者が導入したデリソフターは利用者やその家族に喜ばれ、良い形で認知拡大が進んでいる。
ギフモの挑戦は始まったばかりだ。デリソフターの事業拡大と並行して、新たな製品・サービス開発も進めており、他社との業務提携や資金調達なども視野に入れている。ギフモが掲げる「思いも繋げる未来の家電」開発は、あらゆる人にとってやさしい未来を切り拓いていくことだろう。