今年のmy resolutionは…
みなさま、あけましておめでとうございます。2008年1月1日には今年のresolution(抱負)を何か決めましたか? 私が持っているLONGMAN Advanced American Dictionaryには"My New Year's resolution is to lose weight."なんていう例文があり、obesityが社会問題となっているアメリカらしさを感じました。
さて、新年になり、私が英語を勉強しに行っているコミュニティカレッジでは新しいsemesterが始まりました。授業中、先生がエッセイのテーマについて説明をはじめるとまもなく、生徒からはいろいろな意見が飛び出してディスカッションが始まります。いかにもアメリカらしい授業風景です。これに対して日本ではどうでしょうか。講演会などでは、講師が話している間はもちろん、質問は?と聞かれても会場はシーンと静まりかえってしまって誰も何も言わないようなことが多いのではないでしょうか。この違いはどこからくるのか。今回は「なぜ日本人は発言しないのか」について話をしましょう。
自己主張は強ければ強いほどいい!?
まずは、日本人について話をする前に米国人がどのくらい違うか、どのくらいassertive(自己主張が強い)なのかについて触れておきましょうか。
米国では、何事も口に出して要求するのが基本です。要求しなければ何も得られないといってもいいくらいなので、人々は常にどうしてほしいのかを主張します。ガソリンスタンドで給油のために、車を止めたときに、後ろの給油場所に停車していたドライバーから「私が出にくいから、もっと左に車をよせてくれ」と言われたことがあります。ああしてくれ、こうしてくれ、といった要求は、何かをオーダーするときやホテルのフロントばかりではなく、日常のあらゆる場面で行われています。
また、授業中、あるいは会社のようなpublicな場所で、自分の意見を主張するのはとてもよいことと考えられています。授業中の態度としては、どのくらい活発に意見を出したかが評価されますし、会社の中では有能であることを主張するためにできるだけ多くの意見を述べるようです。"Hiring and firing"が基本の米国企業では、人々は自分がいかに会社にとって有用な人材であるかをassertiveに主張しないといけないのです。
そのような文化もなければトレーニングも行われていない日本で生まれ育った私には、自分の要求を米国人にわかるように主張するのは至難のワザです。わが家の庭を隣接する敷地に建っているアパートメントの住人の少年数人が頻繁にtrespass(不法侵入)するので、対抗するためにフェンスを作ったら壊して通りつづけるので、何度も警察を呼んで苦情を言い続けました。が、やってきた警察官の一人から「それで? あなたは我々警察に何をしてほしいのか?」と逆に聞かれてしまいました。こんな場面でも、自分がやってもらいたいことを主張しないといけない国です。余談ですが、逮捕してほしいと言ったところ「trespassする子供達の名前と住所を調べてきなさい。そうしたら逮捕するから」という返事です。日本とは違います。
日本人は"harmony builder"
このような日本人と米国人の違いについては米国内でも研究されていますが、公の場であまり意見を出さないのは、非常に長い間日本人にimplantされつづけてきたConfucianism(儒教)の影響であるとされています。たしかに、文献などを読んでみるとうなずけるところが多々あり、Confucianismが日本人のethicsになっていると納得してしまいます。
たとえば、日本と中国の社会におけるConfucianismの影響について述べられている"Confucian Value and Conflict Behavior of Asian Managers: A Comparison of two Countries"には、現代社会の中で変わりつつあるとしながらも、Confucianismがいまだに日本のbusiness ethicsを支配している点が論じられています。この文献以外のところでも日本人はよくharmony builderであるという意見を聞くのですが、そのharmony builderのルーツはConfucianism あるいはConfucian valuesにあったようです。
この文献からいくつか抜粋してみましょう。
Traditional Confucian values remained strong and harmony remained a latent norm in Japanese social and organizational life. Furthermore, since Japan was regarded as a highcontext society, even though there might be differences of opinion, rather than making it obvious to one another, the Japanese would use nonverbal signals in the context of their communication (Moran et al., 1993).[5つめのパラグラフ]
(第2次世界対戦後米国が民主主義を持ち込んだが)伝統的な儒教の価値観は強く残り、日本の社会的、組織的な生活においては協調的であることは潜在的な規範として残った。加えて、日本はきわめて均質な社会なので、意見の違いがあったとしても、お互いに違いを明らかにするよりも、コミュニケーションの中で言葉によらない表現を行う。(訳注: 言わなくても雰囲気でわかる)
Krauss et al. (1985) also concluded that since the Japanese were harmony builders, conflict in Japanese organizations was minimized by different managerial interventions.[RESEARCH ON THE CONFLICT BEHAVIOR OF JAPANESE SUBJECTSのパラグラフ]
Krauss他(1985)は、日本人は協調的関係を作る人々なので、日本の組織における対立は別の方法、管理者の仲介という方法で抑えられると結論づけている。
Japanese managers may have been influenced by the current psychological and economic environments that encourage assertive materialistic behavior, even though, generally speaking, it is not culturally and socially acceptable for a Japanese person to be assertive and competitive.[DISCUSSION最後のパラグラフ]
日本の管理者は自己主張を行う、実利的な振る舞いを促進しようとする現代の精神的、経済的な環境に影響されてきているが、それでも、一般的には、自己主張が強く、競争好きであることは日本人にとっては文化的にも社会的にも許容できるものではない。
講演会のような場でも、自分の意見を主張する米国人に対して、harmony builderの日本人は、他の人が質問すれば自分も質問する、誰も何も言わなければ自分も言わないのではないでしょうか。
文化的に日本人は公の場で意見を言えない人種とはいっても、そのままでは進歩はありません。どうすればいいでしょうか。米国ではよい聞き手になるためには何をすればいいかについてのレクチャーがよく行われているので、いくつか紹介しましょう。
Rands in Repose: Asking Great Questionsでは"Ask Assertive"というススメが解説されています。心構えとしては、「質問することで自分が知っている情報を与える」のだそうです。また、Georgia Southern University: Assertivenessにはassertiveであることはaggressiveとは違うという説明や、どうすればassertiveになれるかの解説があります。お試しください。
今回は公の場で日本人がはっきりと意見を述べないのはConfucianismの影響であるという話をしましたが、皆さんはどう思われますか。外から見ると日本人はharmony builderのようですが、そういわれてみれば心当たりがあると思う人は多いかもしれませんね。