2025年、日本のラジオ放送は100周年だそうです。そうNHKさんが言ってます。そんでは、ラジオはいつ、だれが発明したの? 言われると、はて? となったので調べてみましたよ。

  • アンティークラジオ

100年前に日本のラジオ放送ははじまった

1925年3月22日、日本で初めてラジオ放送が行われたそうです。放送したのは社団法人東京放送局(JOAK)で、東京都港区芝浦3丁目の東京放送局仮放送所(東京高等工芸学校校舎、後の千葉大学)からの放送でした。

ちなみにNHKの原型の社団法人日本放送協会はこの東京放送局などが合体して翌1926年8月に発足しているので、NHKができる以前の実験放送だったのですな。本放送は港区愛宕山(虎ノ門ヒルズの近く)の局からなされます。

いまはNHKの放送博物館がありますね。また、このころの事情は放送作家のデーブ川崎さんのnoteにきっちり書かれています。3月1日にひっそりテストがされていて、山田耕筰の音楽がかかっていたとか。おもしろい! さらに、東京市(現東京都)の電気研究所が1923年には市営の実験放送をしていたとか。関東大震災(1923年9月1日)の被災状況の通信が世界からの支援を生むのに一役かったとか。へええであります。国立国会図書館に研究報告が所蔵されているようなので読んで見たいなー。

ラジオ放送のための機器はエジソンの会社のもの。でもエジソンはラジオ嫌いだった

さて、放送実験はいいのですが、その前にラジオ送信機と受信機がなければなりませんし、テストも必要ですな。先のデーブ川崎さんの記事によると、「日本初の放送」は、アメリカのGE社製1kW無線電信電話送信機で行われたそうです。これは東京市の所有で、電気研究所の実験に使われていたものだったそうですな。

で、GE(ゼネラル・エレクトロニクス)といえば、誰もが知る天才発明家(エジソン:1847~1931年)の会社です。エジソンは生涯に1300もの特許を取り、その中には、電灯や映画、蓄音機(レコード)、発電機、ついでにトースターなど電気に関わるものが多くあります。電気時代の寵児といってもいいですな(栃木県壬生のバンダイミュージアムに世界的コレクションがあります)。

また、エジソンの最初の発明として有名なのは、17歳の時の電信士時代に、「1時間に1回問題なしを知らせる電信を自動的に発する」ずるタイマーではじまっているように通信や放送とは関わりが深いですな。なので、エジソンがラジオを発明したと言っても信じる人は多いかもしれませんな。

しかし、実際、エジソンは、自らが発明した蓄音機の方が、ラジオよりはるかに良い音質で音楽を届けられると、ラジオを毛嫌いしていたという話しがあります。が、1922年ごろには、ラジオが市場を席巻し、蓄音機は見る影もなくなります。GEもラジオ放送関係の機器を作っていたわけなのでございます。

ラジオに必要な電波の発見から、大西洋横断送信までたったの10年あまり

さて、じゃあラジオの発明は、というとなかなか難しいですね。(電線がなくても)電波で遠隔地に情報を送る原理は、1865年に英国のマクスウェルが光と電磁場に関する方程式で、電気と磁気の作用は光のようにもつれ合いながら遠隔地に到達することを示しており、1888年にはこの方程式を実証しようとしていたドイツ人科学者ヘルツが、電波を発見します。これは針金の環Aに隙間を作り、そこに電流を流して隙間に放電すると、遠くにある別の隙間がある針金の環Bに電流が流れるというもので、ヘルツの実験として物理屋さんには名高いものですな。2つのアンテナ間を電波が飛ぶことがわかったわけです。

そして、1890年にはフランスのブランリーが、金属粉末に電波が到来すると、電流がよく流れるという現象を発見し、これを使って高感度の電波受信ができることを示しました。さらにそれを英国のロッジが改良し、コヒーラーという名前の高感度電波受信装置を発明します。

さらに1895年にアンテナが発明されます。イタリアのマルコーニとロシアのポポフがそれぞれ、電波の発信装置と受信装置に長い線をつなげると、感度が爆上がりすることを見つけます。これがアンテナの発明ですな。このアンテナを利用し、マルコーニは1901年に、英国とカナダの間の大西洋横断電波送受信に成功します。

ふー、1888年の電波の発見から、1901年までの13年間は怒濤のごとき展開ですな。

ただ、まだ音声の送受信はできていません。オンオフの信号を送るまででございます。

ラジオに欠かせなかったエジソンの発見と真空管

さて、1900年にはエジソンが不思議な現象を発見しています。白熱電球の中にフィラメントの他に金属の棒を用意すると、電球が光る=フィラメントが熱くなると、そこから棒に電気が飛んでいくのですな。1904年にはこれに注目した英国のフレミングが真空管を発明。その後、電流をコントロールし、大きく増幅できるように進化していきます。

  • 真空管

これは、パソコンでいえば数桁飛び越えた高速化みたいなもので、文字しか通信できないのが、画像が扱えるようになり、さらに映像、さらに高解像度映像、3D、VRへと進化するようなものです。高性能は進歩を作るのです。もちろん、ラジオは思い切りこの真空管の恩恵で大きな電波出力と高感度な受信ができるようになります。ラジオを毛嫌いしていたエジソンがその切っ掛けを作ったのは、なんとも皮肉なことです。

あーーー、なかなかしかし、ラジオにならないぞ。あと25年でNHKの本放送まで持って行かないといけませんのに。

音波を電波に変換する方法。AMの発明=ラジオの発明。

ここまでで、電波を飛ばすことはともかくかなり高度にできるようになっています。しかし、音波を電波に変換しなければいけません。同じ「波」でも、音波の周波数(500ヘルツとか)と実用的な電波の周波数(500Kヘルツとか)は何桁も異なっており、そのままでは音は電波にして飛ばすことはできません。

これを突破したのが1906年のアメリカのフェッセンデンの発明です。

ん? フェッセンデン? いままででてきたエジソンや、マルコーニや、ヘルツとちがって、あんまり聞いたことがない方も多いんじゃないですかね。私も知りませんでしたよ。

フェッセンデンは、AM放送でおなじみの、振幅変調という方法で、音波の変化をマイクでひろったあと、電波で送受信することに成功します。

AMでは、基準となる一定周波数の電波を発信する装置を用意します。その電波の強弱(振幅)を音波の変化にあわせて変化させます。いろんなところに図があるのですが、ITメディアさんのこちらがわかりやすいかな。音波をさらに細かい交流信号に変えている感じですな。雑な説明ですが。

さて、これを音波に相似する電気信号にもどして、スピーカーから出せばラジオになります。そのためには、プラス、マイナスがあっては困るのでプラスだけにするように整流をします。ここでダイオードをかまします。プラス、マイナスどちらかの電気だけを流す装置で、当初はエジソン効果を使った真空管ダイオードで行われました。いまは、半導体を使ったダイオードでやりますな。

さらに、そこから基準信号のトップだけを取り出したいので、電気が最大になった状況を保持するコンデンサをかまします。そして、取り出した電気の変化を、スピーカーを使って音波に戻すのですな。

これにより、音声を伝えるラジオが成立するようになります。1906年12月24日クリスマスイブ。アメリカのマサチューセッツから電波にのって、音楽が流されました。

そして、同じ年に米国のフォレストが、電気信号の増幅に使える3極真空管を発明。ラジオに応用されるようになりますが、ここからがなかなか大変でした。

真空管は優れていたのですが、不安定であり、すぐに使えなくなってしまったのですな。これは地を這うような細かな改良で安定度を増していきます。1913年年頃には長距離の有線電話に応用され、1915年にアメリカで3000kmほどの無線通話テストが成功します。なお、このときフランスのエッフェル塔でも受信されましたが、わずかな音声が聞き取れた程度だったそうでございます。

あとちょっとやー!

なお、このときは第一次世界大戦(1914年~1918年)のまっただ中です。無線通信は軍事研究に組み込まれ、莫大な資金が投入されて進んでいきます。エジソンのGE社とライバルのWH(ウエスティング・ハウス)社が各種の無線装置を製造し、より強力なものへと変わって参ります。

そして100年前、1920年台のラジオ放送へ

世界大戦が終わると、アマチュア、プロ入り乱れて、電波による通信が行われるようになります。特にWH社の技師コンラッドは、1916年にアマチュア無線局で無線「電話」による放送を始めます。この受信機も発売され人気になり、ついにコンラッドはWH社の業務として1920年に世界初のラジオ放送局KDKAを開設し、定時放送をはじめます。こうして、一気にラジオは市民権を得ていきます。

さて、1920年に登場したラジオ放送ですが、日本ではこれが1926年にNHKになっていくわけです。なんというか生まれたてホヤホヤようやくものになってきた技術が一気に世界に広まったのは、初期のインターネットも同様な感じです(老人の感慨)。いや、ラジオの初期をしっている人たちはきっとそんな感慨を100年間の体験からもっていたのでしょうなあ。

なお、日本ではこのラジオ成長で大きくなった会社としてはなんといっても、シャープソニーです。ああ、そうなのかでございますな。