6人の有識者たちが繰り広げた「異種格闘技戦’20」。オープニングトークとして、6人それぞれの視点でのコロナ禍という今の状況の見方を踏まえ、議論は各有識者たちが述べた考えに対する質問を交わす徐々に熱を帯びたものへと移り変わっていった。
コロナ禍で問われる教育というものが生み出す価値観
またしても口火を切ったのは京都精華大学学長であり、教育者であるウスビ・サコ氏であった。
「私は途上国のマリ共和国出身です。実業家でありデザイナーでもある山口氏が“教育”というものの必要性を強調され、教育を得られた人の方がリテラシーが上がっていると言われているが、私はこのコロナ禍でその前提を見直したいと思っている。それは、今までは便利を追求するための教育だったように思うからです。そしてその便利さは輸入された価値観だと思うから。これからは彼ら自身が何を求めていて、何を便利に思っているか、そこにどんな教育が必要なのかを見直すべきだと思う。 私はマリで生まれて、学校ではフランスの教育を受け、家ではイスラムの教育を受けた。教育を1つのフレームに合わせるのではなく、マルチフレームで見ることが大事であると思う。 教育は一言で言えないので、価値基準についてもう一度考えるべきだ。特に先進国、途上国という位置づけは非常に微妙である」と自身の体験、そして故国の実情を踏まえた意見を展開。
これを受ける形で、モデレーターの山口周氏は「便利で快適になって、経済的に豊かになっていくというのはある種、発展の一直線のモデルであって、後から続く国もその直線にならってたどっていくのが、発展のモデルであるとされている。その上の方にいる人たちがその人のものさしで、その直線上の下にいる人のことをビハインドだとする。“Great Reset”にはそのものさしの当て方を問われなくてはいけないという意味も込められている。もしかしたら私たちがビハインドだと思っている人たちの方が社会的には豊かな人間性をはぐくんでいるかもしれない」とし、社会的な豊かさとは何か、という定義に一石を投じた。
ものさしが多様化することで世界はどうなるのか?
さらに、先ほどの山口絵理子氏の、SNSの解禁によって自殺が増えたというミャンマーの話にも触れ、「自由になる、テクノロジーで武装するということを私たちは絶対善みたいに思っているが、個人個人をみるとかえって不幸になった人もいる。そうしたことを考えると私たちがここ200年くらいの間、思っていた近代化する事、経済的に豊かになる事という独占的な物差しの当て方自体を考えなくてはならないと思った」とも述べた。
これに対しスプツニ子!氏が、文化の問題として、「ものさしが問われているのは確かであり、これまでヨーロッパやアメリカが他の国にこれがものさしだ! といってあててきたのは事実だと思う。“Great Reset”でそれを考え直そうというのはその通りだと思うが、こういった話をするときに非常に悩むことがある。いまでも10歳なのに結婚する女性がいる国があったりするが、それはそういう文化である! といわれても見過ごすことはできないということだ。ものさしが多様化しているからと言って、どこで線引きをすれば良いのか考えてしまう」と、文化・伝統と多様性の受け入れ方の難しさについて意見を述べると、それに対し、サコ氏が、「その話では非常に重要な点があると思う。日本人からしたらインドは汚い環境で不便だとみられているかもしれない。しかし、自分から見ると、そのような環境で生きられるのはめちゃくちゃクリエティブな事だなと思った。近代の建築を勉強した自分からすると近代建築には決して出てこない、”多機能“な使い方をしている。そして私は京都の町屋にその建築を取り入れた。私の研究は彼らの視点から何を学べるかを考える事である。デザインの点ではこういった点がかなり出てくる。ただ、人権は守られるべきだと私は思う」と、自身の研究で得たある種の結論を踏まえた意見を返すといった応酬が繰り広げられた。
徐々に各自のスタンスが見え始め、議論に熱を帯び始めた異種格闘技戦’20。次回は白熱した議論の末に、予定していた時間をオーバーしてしまい、休憩時間を返上して臨んだ後半戦のテーマ「どのようにReDisignしていきたいか」のもとで、さらに飛び交う議論の様子をお届けする。
(次回は11月16日に掲載します)