全日本空輸(ANA)が9月2日に、新たな燃費低減手法を適用した機材の運用を開始した。まず対象となったのは、第415回で取り上げた、777の貨物型(777F)である。→連載「航空機の技術とメカニズムの裏側」のこれまでの回はこちらを参照。
“サメ肌フィルム” を張り付ける
燃費低減のために導入するのは、”サメ肌フィルム”。普通、冒頭の写真でもお分かりのように、飛行機の機体表面はツルツルだ。そこにフィルムを貼り付けて、わざと微小な凸凹を作る。ただし機体の全面ではなく、七割程度が対象になるとのこと。
これは「エアロシャーク」といい、開発したのはドイツのルフトハンザ・テクニクとBASF。ルフトハンザ・テクニクは、その名の通りにルフトハンザ・グループの一員で、機体の整備や改修など、エンジニアリングに関わる業務を担当している。一方のBASFは化成品メーカーだ。
「エアロシャーク」は透明で、表面には深さが約50ミクロンの溝が形作られている。これによる燃料消費低減の効果は1%程度だというが、大型で長距離を飛ぶ機材だから、1%といっても馬鹿にできない。年間250tの燃料消費低減を見込めるという。寿命は4~5年とされている。
ANAの場合、777Fではルフトハンザ・テクニク製のフィルムを試しているが、787でも別途、ニコンが開発を進めている同種のフィルムを試している。
他社でも似たような取り組みはあり、例えば日本航空は宇宙航空研究開発機構(JAXA)などと組んで、機体表面の “サメ肌化” に取り組んでいる。ただしアプローチが異なり、こちらは機体の表面に施す塗装の塗膜そのものを凸凹にしようとしている。2023年から実証実験を始めている。
その実現手法が面白い。まず、水性塗料を使って、表面に細かい凸凹ができた型を作る。次に、機体に対して通常通りの塗装を施す。そこに、水性塗料で作った型を重ねることで、塗装の表面に凸凹を形成する。ただしそれだけだと水性塗料の型が表面に張り付いた状態になってしまうので、水で洗い流す。
また、チリのLATAM航空でも、5機の777を対象としてルフトハンザ・テクニクのエアロシャークを導入することになった。
なぜサメ肌にすると燃費が改善されるのか
ここまではすでに報じられている話だが、そもそも、どうしてサメ肌にすると燃費の改善につながるのか。それを説明するには、飛行機に関わる空気抵抗の話をしなければならない。
空気抵抗というと、機体の形状に起因するものが真っ先に想起されると思われる。分かりやすいところでは、ロッキードF-117Aナイトホークみたいにカクカクした形の、表面が平面ばかりで構成された機体では、いかにも空気の流れがスムーズに行かないように見える。これは分かりやすい。
ところが、空気抵抗はそれだけではない。機体の表面を流れる空気に起因する抵抗もある。なぜそんなことが起きるのか。
物体の表面では粘性の影響があるため、周囲と比べて流速が遅い層、いわゆる境界層ができる。機体の表面から離れるにつれて、粘性の影響が低下して、遠方の流れと同じ速度になってくる。その結果として、摩擦抵抗が発生する。
新幹線でも見られる同様の取り組み
新幹線電車のように細長い物体が高速で走ると、先頭部で発生する圧力抵抗よりも、編成全体の車体表面で発生する摩擦抵抗の方が、はるかに大きな影響をもたらしている。
JR西日本の500系電車は丸みを帯びた車体断面型としたため、断面積だけでなく表面積も小さくなり、当初の予想以上に編成全体の走行抵抗が小さくなった。第2編成から、主電動機の出力を少し下げた(285kW→275kW)背景には、そういう事情がある。
最近の車両でも、例えばN700系の一族は、窓と車体表面の段差が極小になっている。
16両の新幹線電車は全長が400mもある。それと比べると旅客機のサイズはだいぶ短く、せいぜい70m台。つまり新幹線電車3両分である。しかし一方で、ワイドボディ機になれば胴体の断面も表面積もずっと大きくなる。
それに、再塗装によって塗装の状態が変わるだけで燃費に響くという世界だ。機体の表面で発生する摩擦抵抗を減らせば燃費低減につながるのは事実であるし、もともとの燃料消費が多いから、塵も積もれば山となる。
そこでサメ肌が登場する。シールを使うにしろ塗装を加工するにしろ、機体の表面に微細な凸凹を作ることで乱流を引き起こし、機体の表面を流れる空気流が機体に “貼り付く” 効果を抑える。結果として摩擦抵抗が減って燃費の向上につながる。と、そういう理屈になる。
身近なところで似たようなことをしているサンプルとして、ゴルフボールの表面に形成されたディンプル(細かいくぼみ)がある。また、スポーツの世界ではウェアの表面をサメ肌にしたり、乱流を引き起こすための突起を設けたりして抵抗低減を図り、タイムの向上につなげようとした事例がある。
考えられる課題は
ただ、当初のサメ肌の状態をずっと維持できるかどうかが気になるところ。微小とはいえ凸凹ができるわけだから、その凸凹の状態を適切に保たないと効果が薄れてしまう。
また、シールを貼る場合には、シールとシールの継ぎ目をきれいに処理しないと、要らぬ凸凹ができてしまう。
そうした運用上の課題を解決して、現実的なコストと維持管理の手間で燃費低減につなげられるかどうかが、サメ肌フィルムやサメ肌塗装の今後を決めることになると思われる。
著者プロフィール
井上孝司
鉄道・航空といった各種交通機関や軍事分野で、技術分野を中心とする著述活動を展開中のテクニカルライター。
マイクロソフト株式会社を経て1999年春に独立。『戦うコンピュータ(V)3』(潮書房光人社)のように情報通信技術を切口にする展開に加えて、さまざまな分野の記事を手掛ける。マイナビニュースに加えて『軍事研究』『丸』『Jwings』『航空ファン』『世界の艦船』『新幹線EX』などにも寄稿している。このほど、本連載「軍事とIT」の単行本第5弾『軍用センサー EO/IRセンサーとソナー (わかりやすい防衛テクノロジー) 』が刊行された。