第363回で取り上げたシコルスキーのH-53シリーズ第364回で取り上げたベル・テクストロンのH-1シリーズは、同じ名前の機体なのにエンジンの数が違う、機体の規模が違う、性能がまるで違う、といった話だった。一方では、見かけは違うのに主要コンポーネントは共通で、同じモデルの仲間同士ということもあった。

そして、今回のお題は固定翼機。同じ名前なのに直線翼と後退翼がある。→連載「航空機の技術とメカニズムの裏側」のこれまでの回はこちらを参照

まずは、F9F-2とF9F-6

例えば、グラマンF9Fパンサー/クーガー。まずパンサーだが、これは直線翼のモデル。グラマン社が1943年にジェット戦闘機の開発に取りかかり、それが結実する形で1949年に配備を始めたF9F-2が発端だ。その時点でもすでに、後退翼を備えたジェット戦闘機は出始めており、例えばミコヤンMiG-15は1947年に初飛行している。

そのF9F-2、1950年6月に勃発した朝鮮戦争にも投入されたが、(空軍のF-80と同様に)共産軍が投入してきたMiG-15と比べると分が悪い。速度を向上させようとすると、翼に空気の圧縮性の影響が出てくる。そこで後退角を付けると、影響の発生を遅らせることができて、高速化に有利という理屈になる。

  • F9Fパンサー。見ての通りの直線翼である 写真:US Navy

そこで後退翼を備えた改良型を作ることになり、登場したのがF9F-6クーガー。後に、さらに改良したF9F-8も登場した。F9F-2とF9F-6を見比べてみると、基本的なレイアウトや形は似ているのだが、実はF9F-6の方が全長が1mぐらい伸びている。

そして、空母での発着艦の関係で離着陸時の速度を抑える必要があったため、主翼には高揚力装置がてんこ盛りになった。後退翼は、低速になると直線翼よりも揚力が低下してしまう傾向があるからだ。(だから、F-14トムキャットみたいに可変後退翼にするなんて話が出てくる)

  • こちらF9F-8クーガー。角度の関係で分かりにくいが、主翼が後退翼に変わっている。なお、クーガーの現物はパタクセントリバー海軍航空博物館に置いてある 写真:US Navy

お次は、FJ-1とF-86/FJ-2、F-84

これはグラマン社に限った話ではなかった。まず、ノースアメリカン社のFJ-1(直線翼)と、そこから発展した空軍向けのF-86ならびに海軍向けのFJ-2(後退翼)。先に登場したのは艦上型のFJ-1で、なんとP51ムスタング戦闘機の主翼を流用していたという。ただし性能不足で実戦機にはならず、練習機として使われていた由。その点、まがりなりにも実戦投入されたF9F-2の方が恵まれていたというべきか。

そのFJ-1を基にして、空軍向けの戦闘機に仕立て直す過程で後退翼に関する情報が入り、後退翼付きに再設計した。そうして生まれたのが傑作戦闘機F-86セイバーで、航空自衛隊でも使っていたから日本でもなじみ深い。その後退翼付きの艦上型がFJ-2。艦上機だから、主翼折り畳み機構や着艦拘束フックを追加しているが、見た目はF-86と似ている。

ただ、そうした空母向けの手直しが必要なFJ-2と比べると、もともと艦上機として作られているF9F-2を後退翼にするF9F-6の方が、(空母に載せるという意味では)手がかからずに実現できる強みがあったといえそう。

さらに、リパブリック社も直線翼のF-84サンダージェットを生み出した後で、そこから後退翼に改設計したF-84サンダーストリークを生み出した。直線翼のF-84B/C/D/E/G、後退翼のF-84Fがある。

  • F-84Bサンダージェット。胴体形状の関係か、ズングリ感がある 写真:USAF

  • こちら、F-84Fサンダーストリーク。主翼は別物になっているが、胴体部分を見るとF-84Bの面影はある 写真:USAF

余談だが、MiG-15のエンジンは元をたどるとイギリスのロールス・ロイス製「ニーン」で、F9F-2のJ42エンジンも「ニーン」のライセンス生産品だった。F9Fには、国産のアリソン製J33エンジンを積んだF9F-3もあったが、エンジン以外は基本的に同じ。

ただしJ42の方が性能が良く、おまけにJ33は空軍向けの需要が多くて海軍に回ってくる数が足りなかったので、F9F-3も後でJ42に換装してしまったという。

別モデルだが発展型ではある、という例

「同じ機体」ではないので本題から外れるが、ツポレフは直線翼のTu-85爆撃機に続いて、後退翼のTu-95爆撃機を開発した。爆撃機の場合、大きな積荷は爆弾で、それは投下するといきなりゼロになる。それによって、重心位置と空力中心の関係がいきなり変わると困る。

だから直線翼の爆撃機では、主翼が胴体に取り付くあたりに爆弾倉を設けると具合がいい。ところが、翼胴結合部を構成して胴体を左右に貫通するキャリースルーが爆弾倉のスペースに食い込んでしまうと、搭載できる爆弾のサイズが制約される。分かりやすい例としてB-29がある。

ところが、Tu-95は後退翼になったので、その分だけ空力中心が後退する。そこで空力中心と機体の重心の位置関係を変えないようにするため、主翼の取付位置を前進させた。するとキャリースリーと爆弾倉の位置がずれて、爆弾倉の方が後方に来る。

おかげでキャリースルーと爆弾倉の干渉も回避でき、爆弾倉のスペースを大きくとれた。だから、Tu-95はツァーリ・ボンバ(全長8m、最大直径2.1m、重量27tもある水素爆弾)みたいなデカブツでも搭載できた。

その、空力中心と機体の重心の位置関係については次回に。

著者プロフィール

井上孝司


鉄道・航空といった各種交通機関や軍事分野で、技術分野を中心とする著述活動を展開中のテクニカルライター。
マイクロソフト株式会社を経て1999年春に独立。『戦うコンピュータ(V)3』(潮書房光人社)のように情報通信技術を切口にする展開に加えて、さまざまな分野の記事を手掛ける。マイナビニュースに加えて『軍事研究』『丸』『Jwings』『航空ファン』『世界の艦船』『新幹線EX』などにも寄稿している。