足立区は2026年2月、NECとグーグル・クラウド・ジャパンと連携し、AIエージェントを活用したEBPM(証拠に基づく政策立案)の実証実験を開始した。
この実証では、犯罪発生件数や防犯カメラの設置場所など、これまで各部署で管理していたデータを集約。職員がAIに質問することで、データの分析や施策の検討を支援する「政策ダッシュボード」を構築した。
今回、足立区 政策経営部 ICT戦略推進担当課長の山崎悠生氏と、同区 危機管理課 生活安全推進係長の青木誠氏に、実証の背景や取り組みについて話を聞いた。
犯罪件数は大幅減、それでも残る「治安が悪い街」のイメージ
足立区ではボトルネック的な課題として、「治安」「健康」「教育」「子どもの貧困」という4点を挙げている。中でも「治安」については、犯罪発生件数の減少だけでなく、区に対するイメージの改善も重要な課題となっている。
青木氏によると、同区の刑法犯認知件数は2001年に約1万6000件とピークを迎え、2006年から2009年までの4年間は東京23区で最も多い状況が続いていたという。
こうした状況を改善するため、2008年に開始したのが「ビューティフル・ウィンドウズ運動」だ。
この運動は、割れた窓などの小さな環境悪化を放置すると、さらに環境が悪化して犯罪が増加するという「割れ窓理論」の発想を転換したもの。街を美しく保つことで、犯罪が起こりにくい環境をつくることを目指している。
この運動では、行政や警察だけでなく、区民も参加し、ごみのポイ捨て防止や花を植える活動などを推進。近年は、買い物や犬の散歩などの日常生活の中で周囲に目を配る「ながら見守り」にも力を入れている。
「『ながら見守り』は、町内会や自治会などの団体に所属していなくても、個人で参加できることが特徴です。日常生活の中で防犯を意識し、周囲に目を配ったり、あいさつを交わしたりすることが犯罪の抑止につながっていると考えています」(青木氏)
こうした活動に加え、青色防犯パトロールや防犯カメラの設置なども進めた結果、刑法犯認知件数は減少。コロナ禍前にはピーク時から約7~8割減少したという。
しかし犯罪件数が大幅に減少した一方で、治安に対するイメージの改善は容易ではないという課題も残っている。
青木氏によると、足立区は人口や面積が大きいため、犯罪の総件数も多くなりやすい。しかし、人口比や面積比で比較すると、必ずしも23区内で突出して犯罪が多いわけではないという。
それでも、SNSなどでは治安の悪さを指摘する声も少なくない。こうした状況を受け、足立区では「体感治安」の向上を重視している。
「刑法犯認知件数を減らすことは、あくまでも手段です。最終的なゴールは『体感治安』の向上にあります」(青木氏)
「データはあるのに活用できない」足立区がAIに着目した理由
犯罪の発生を抑えるだけでなく、区民が安心して暮らせる街を実現するために、足立区が新たに取り組んだのが、AIを活用した「EBPMの推進」だ。
EBPMとは「Evidence-Based Policy Making」の略で、客観的なデータや根拠に基づいて政策を立案する考え方を指す。
足立区では以前からEBPMを政策の柱の一つに位置付けていたものの、実際の業務への導入には課題があった。
例えば、防犯分野では、警視庁が毎月公開する犯罪データを職員がExcelなどで加工し、分析する必要があった。さらに、各部署が個別にデータを管理しているため、複数のデータを組み合わせて分析することも容易ではなかったという。
区ではBIツール「Tableau」のライセンスを保有し、職員向けの研修も実施していた。しかし、ツールを使いこなすためのスキルが求められることに加え、データが分析に適した形で整理されていないなどの課題もあり、継続的に活用している部署は限られていた。
こうした課題を解決するために着目したのが「生成AIの活用」だった。
きっかけとなったのは、足立区とグーグル・クラウド・ジャパンが締結した包括連携協定だ。AIを活用した地域課題や行政課題の解決について議論する中で、EBPMへの活用が検討されるようになった。
その後、政府統計の総合窓口「e-Stat」のデータを活用してEBPMを支援するNECのサービスを知り、今回の実証に向けた具体的な検討が始まったという。
犯罪件数と「体感治安」は連動する? AIでデータを分析
こうして構築されたのが、AIエージェントを活用した「政策ダッシュボード」だ。
同システムでは、区が保有する内部データと外部データを集約し、グラフや地図などで可視化。さらに、職員が自然な日本語で質問すると、AIが関連するデータを分析し、結果や施策の検討に役立つ情報を提示する。
今回の実証では、警視庁が公開する刑法犯認知件数をはじめ、区民への世論調査結果、防犯カメラの設置場所、人口に関するデータなどを活用した。危機管理課の職員5~6人程度を中心に、政策の企画や財政を担当する部署の職員もシステムを利用していたという。
実証の中で取り組まれた分析の一つが「刑法犯認知件数と体感治安の関係性」を調べることだった。
足立区では、刑法犯認知件数を防犯対策の重要な指標としている一方で、犯罪件数が減少したからといって、必ずしも区民が治安の改善を実感するとは限らないという課題があった。
そこで、警視庁が公表する犯罪データと、区民への世論調査から把握した体感治安のデータを組み合わせ、両者に相関関係があるのかを分析。さらに、地区によってその関係性に違いがあるのかも調べたという。
「これまで個人で分析するには手間がかかっていた作業をAIに投げ掛けることで、課題や取り組む方向性が少しずつ見えてきました」(青木氏)
政策評価を年1回から短い周期へ、AIで目指す「EBPMの民主化」
また、山崎氏が期待しているのが、政策を評価・改善するサイクルの短縮だ。
従来、足立区では事業を実施した翌年度に行政評価を行い、事業の成果や費用対効果などを振り返っていた。区民から意見を集めるプロセスも設けられているが、評価は基本的に年1回のため、施策の途中で軌道修正する機会が限られていたという。
しかし政策ダッシュボードを活用すれば、データの分析にかかる手間を減らし、より短い周期で施策を評価できる可能性がある。
また、足立区は、専門的な知識がない職員でもデータを活用できる「EBPMの民主化」を目指している。AIによってデータ分析のハードルを下げ、専門部署だけでなく、さまざまな部署の職員が日常的にデータを活用できる環境を整える考えだ。
ただし、実証段階ではシステムの活用が一部の職員にとどまっており、今後はより多くの職員が利用できる環境づくりが求められる。また、AIが提示した分析結果をどのように解釈し、政策に反映させるかについては、職員自身の判断も欠かせない。
「AIは『EBPMそのものを代替するもの』ではなく、職員の分析や判断を支援するための手段として活用していきます」(山崎氏)
犯罪の「事後対応」から「予防」へ、AI活用の今後の展望
足立区が今後の活用方法として視野に入れているのが、犯罪の発生を予測し、事前に対策を講じる仕組みの構築だ。
例えば、足立区では刑法犯認知件数の約3割を自転車盗が占める。しかし、発生場所は駅前の駐輪場や商業施設、自宅などさまざまだ。そこで、犯罪の種類や発生場所、被害の特徴などを分析し、地域の状況に応じた対策につなげたい考えだ。
「犯罪の種類や発生状況、被害の特徴を把握し、限られた予算の中で効果的な施策を選択するためにも、データ分析が非常に重要です」(青木氏)
将来的には、犯罪が発生する可能性の高い地域や犯罪の種類を予測することも検討している。
「今までは犯罪が起きたあとに事後的な対策を打っていたが、もう半歩進んで、事前に対策を打てるようになれば」と青木氏は期待を示す。こうした分析が実現すれば、犯罪が発生してから対応するだけでなく、発生が予想される地域に対して、あらかじめ注意喚起などを行うこともできるようになるという。
また、足立区では防犯分野以外でも、将来的には「健康と介護に関するデータの可視化」「予算編成への活用」への展開も検討しているという。
青木氏は、今後の目標について「AIによる多角的な分析を通じて刑法犯認知件数を1件でも減らすとともに、限られた事業費でより高い効果を上げていきたい」と語った。
なお、今回の取り組みの内容の詳細等については、10月27日・28日に千葉県の幕張メッセで開催される「地方自治情報化推進フェア2026」のNECブースにおいて担当者から話を聞くことができる。



