東京都立大学(都立大)、理化学研究所(理研)、高エネルギー加速器研究機構(KEK)、核融合研究所(核融合研)、東北大学、立教大学、中部大学、東京大学(東大)、筑波大学、J-PARCセンターの10者は6月20日、最先端のX線検出器「超伝導転移端センサマイクロカロリメータ」(TES)を駆使し、「多価ミューオンイオン」という、1つの原子核が少数の電子と負電荷を帯びた素粒子「負ミューオン」(負ミュー粒子)を同時に束縛した新たなエキゾチック原子系の直接観測に成功したと共同で発表した。

同成果は、都立大の奥村拓馬准教授、理研の東俊行主任研究員(KEK 特任教授兼任)、同・橋本直 理研ECL研究チームリーダー、KEKの早川亮大研究員、同・下村浩一郎特別教授、核融合研の加藤太治教授、東北大の木野康志教授、同・野田博文准教授、立教大の山田真也准教授、中部大の岡田信二教授、同・外山裕一特任助教、東大の高橋忠幸特任教授、筑波大のTong Xiao-Min准教授らの共同研究チームによるもの。詳細は、米国物理学会が刊行する機関学術誌「Physical Review Letters」に掲載された。

電子の仲間の荷電レプトン(軽粒子)の第2世代である負ミューオンが原子核に束縛された多価ミューオンイオンは、これまで理論的に予測されていた。負ミューオンは電子と同様に負電荷を持つものの、質量は電子の約207倍もあり、より原子核に近い軌道を巡ると考えられている。この多価ミューオンイオンを実験的に確認し、その性質を解明することが求められていた。

十分に減速された負ミューオンビームを原子に衝突させると、負ミューオンは原子核に捕獲され、周囲の電子を弾き飛ばしながら段階的に内側軌道へと遷移する。多価ミューオンイオンは、この「ミューオンカスケード」現象中で形成されるとされる。しかし、多価ミューオンイオンは周囲の物質の電子を引き寄せやすく、生成直後に再び電子を取り込む「電荷移行反応」を起こすのに加え、電子状態を調べる適切な分光観測法も存在しなかった。

多価ミューオンイオンの観測には、周囲の物質からの電荷移行反応抑制が不可欠だ。そのため、原子数密度が小さい低圧気体標的を実験に用いる必要があるが、今度は標的中での負ミューオンの静止が困難になり、多価ミューオンイオンの生成量が減少する。そこで研究チームは今回、世界最高強度の低速負ミューオンビームを用いて多価ミューオンイオンの生成量を増やしてその課題を解決することで、放出される電子特性X線エネルギーの精密測定を目指したという。

電子特性X線のエネルギーは原子内の電子の個数や状態により異なるため、多価ミューオンイオンの電子状態識別には正確な測定が不可欠だ。微細なエネルギー差識別には結晶分光器を用いるが、検出効率が極めて低く、生成量の少ない多価ミューオンイオン観測には不向きだった。そこで今回は、優れたエネルギー分解能と高い検出効率を両立し、広いエネルギー領域にも対応するTESを導入。TESは数千eVのX線に対して0.1eVの精度でエネルギーを測定でき、多価ミューオンイオンの有効な分光観測が実現された。

0.1気圧のアルゴン原子(Ar)を標的としたX線スペクトル計測の結果、2700~2850eVの範囲に3本、2900~3050eVの範囲に1本のピークが確認された。それぞれのX線エネルギーを電子状態計算の結果と比較したところ、高エネルギー側のピークは束縛電子を1個有する多価ミューオンアルゴンイオン(μAr16+)、低エネルギー側の3本のピークは束縛電子が2個のμAr15+、3個のμAr14+が放出した電子特性X線とエネルギーが一致。特に、μAr15+によるX線は2つのピークに分かれており、それぞれスピンの向きが異なる電子状態に対応。これにより、束縛電子のスピンの向きまで踏み込んだ、多価ミューオンイオンの詳細な観測が達成された。

  • 今回観測された多価ミューオンイオンの模式図

    今回の研究で観測された多価ミューオンイオン(左からμAr16+、μAr15+、μAr14+)の模式図。これらは、負ミューオンに加えて電子をそれぞれ1~3個束縛している(出所:都立大Webサイト)

多価ミューオンイオンでは、負ミューオンと電子の相互作用により、通常の原子では現れない性質が発現する可能性がある。今回の研究でも、負ミューオンがアルゴン原子に捕獲される際、通常のとは異なる特殊な「軌道崩壊」現象が重要な役割を果たすことが理論的に判明。この特殊な軌道崩壊は、電子と負ミューオンの相互作用および負ミューオンの大質量に起因しており、多価ミューオンイオン特有の現象と推定された。

  • TESで測定されたμArのX線スペクトルとμArが放出する電子特性X線エネルギーの理論計算の結果

    (a)TESで測定されたμArのX線スペクトル。(b)μArが放出する電子特性X線エネルギーの理論計算の結果(出所:都立大Webサイト)

多価ミューオンイオンの分光で得られる情報は、ミューオンカスケードのダイナミクス分析を可能とする。近年、負ミューオンは、自然科学の多くの分野で応用が期待されており、中でもミューオンカスケードは最も基本的な過程であるため、研究チームは、その詳細なダイナミクスの解明が今後ますます重要性を増すと予想。そして今回の分光技術の確立は、負ミューオンの新たな応用展開を広げる礎となることが期待されるとしている。