京都大学(京大)は5月21日、体格の大きなオナガザル科マカク属の霊長類で、インド・中国・タイ・ベトナム・マレーシアなど、アジア地域に局所的に生息していることに加えて、切り立った崖が多いなどの岩山を好んで生息するために科学的な調査が難しく、これまで野生での生態研究がまったく行われてこなかった「ベニガオザル」において、野生の霊長類としては初めてとなる死亡個体との交尾行動を観察したことを発表した。

同成果は、京大 野生動物研究センターの豊田有特任研究員(日本学術振興会国際競争力強化研究員兼任)、同・松田一希教授らの研究チームによるもの。詳細は、英オンライン総合学術誌「Scientific Reports」に掲載された。

  • 野生ベニガオザルの群れ

    野生ベニガオザルの群れ。撮影:豊田特任研究員(タイ王国)(出所:京大プレスリリースPDF)

動物行動学における死生学は、動物が実際に死に直面した時、どう振る舞い、どのような影響を受け、どう向き合うのか、その死生観を調べる学問。霊長類学においても、近年注目されている研究領域の1つだが、目下の課題は「霊長類は死を理解しているのか(「死の概念」があるのか)」という点だという。

霊長類死生学でのこれまでの知見の多くは、観察中に偶然死亡個体が発見され、他個体が接触した現場に居合わせるという、希な状況を観察できた場合に得られたデータの蓄積によって成り立っており、学術的にも貴重な知見となっている。これまでの死亡個体に対する他個体の反応としては、「死児運搬」や死亡個体への毛づくろい行動などが主な記録事例とされている。死児運搬とは、死んだ子どもの亡骸を母親が数日間運び続ける行動で、母親が子どもの死を理解できていない可能性もあれば、逆に子どもの死を理解して悼んでいる行動である可能性などが提示されてきた。

このような背景から、研究チームが2015年にタイにおいて開始した、野生のベニガオザルの長期調査プロジェクトでは、死亡個体が発見された際には、可能な限りその個体に対する他個体の反応を記録し、データの蓄積を行うことにしたという。

そして2023年1月30日の観察中に、ベニガオザルのオトナのメスの死亡個体が偶然発見された。そこで、他個体がその死亡個体に対してどのような反応を示すのか、すぐさま行動観察が開始された。すると、オトナのオスがやって来て、ヒトの感覚としては倫理的に受け入れがたいことだが、その死亡個体と交尾を行う様子が観察されたとする。その後、同年2月1日に死体が埋葬されるまでの3日間、直接観察および自動撮影による行動記録が試みられ、その結果、計3頭のオスによる死亡したメス個体との交尾行動が4事例記録されたとした。

オスが死亡個体と交尾を行った正確な理由は不明だが、ベニガオザルの通常の交尾行動の際に観察される行動手順と差がないこと、時期が乾季で交尾が頻発しやすい時期だったこと、交尾を行ったオスたちは交尾機会の獲得が難しい社会的順位の低いオスたちだったことなどから、メスが単に無抵抗で横たわっているという状況がオスの交尾行動を誘発した可能性が考えられるという。なお、死後3日目の腐敗が進んだ状況でも、交尾は行われたとした。

今回の記録は、野生の霊長類において、死亡個体との交尾行動が記録された初の報告。ヒトの倫理観からすると受け入れがたいが、同時に少なくともベニガオザルにおいては、仲間が「無抵抗で横たわっているという状況」が「死んでいる」状態であることと結びつかない、つまり、死んでいるのを理解することが難しい(死の概念がない)のではないかという結論が示唆される、霊長類の死生観に迫る極めて貴重なデータとした。

ただし、今回の観察事例のみで、ベニガオザルに死の概念がないと断言することもできないという。たとえば、交尾をしたのは低順位のオスたちだけで、本来ならばメスとの交尾を独占するはずの高順位のオスたちは死亡個体とは交尾をしていない。また、死体を発見し接触した個体の多くは、普段は見られないような、立ち上がって周囲を確認したり、匂いを嗅いだり、触った手を地面に擦り付けるなど、死亡個体が「普通ではない」ことを理解できている可能性を示唆させる行動も観察されたという。

なお同研究は、豊田特任研究員も「動物のことが好きで動物の行動研究をしている私にとって、死体を見つけることはとても悲しい出来事です。ですが研究者としては、動物が死体とどのように関わるのかを観察・記録することの重要性も理解しているので、死体を見つけるといつも葛藤を抱えながら観察をおこなうことになります。中でも今回の事例を観察中、目の前で起きた行動には非常に驚きましたが、この観察事例を報告する論文を書きながら、この『驚愕』という感情は『死』の概念をもつ人間だからこそ喚起された感情であることに考え至った際には、動物を観察する研究者の生物学的制約を突きつけられた気持ちになりました。野生動物の暮らしぶり、死生観を理解するためには、客観的に、冷静に、彼らの行動を観察し解釈することの重要性を改めて痛感した事例でした」(原文ママ)とコメントするなど、あくまで野生動物の死生観を理解するための研究であることを強調している。

研究チームとしても、ベニガオザルに限らず、霊長類が死をどのように理解しているのかについては、まだ不明な点が数多くあるとしており、彼らの死生観を真に理解するためには観察が必要だが、観察事例が圧倒的に不足していることから、今後、過去に蓄積された事例をもとに、死亡個体との接触時に起きる行動の詳細な分析を進めることに加え、調査中に死亡個体を発見・遭遇した際には行動観察を継続し、彼らの死に対する反応の記録を蓄積していくことを考えているとしている。