地球の上空高度約400kmを回る国際宇宙ステーション(ISS)。米国やロシア、欧州、日本、カナダが共同で造り上げた、宇宙に浮かぶ巨大な有人実験施設である。

2021年7月29日、そのISSに、ロシアの新しいモジュールが結合された。その名は「ナウーカ(科学)」。「宙飛ぶ研究室」の異名を取り、科学的な実験を行うモジュールとして活用される。

ナウーカの開発が始まったのは1990年代のこと。それから宇宙へ飛び立つまでには、幾多のトラブルや困難に見舞われた。その苦闘の歴史を振り返る。

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    ISSにドッキングした「ナウーカ」 (C) Roskosmos

21年ぶり、3基目のロシアの大型モジュール

ナウーカは「プロトンM」ロケットに搭載され、日本時間7月21日23時58分(モスクワ時間同日17時58分)、バイコヌール宇宙基地から打ち上げられた。

ロケットは順調に飛行し、離昇から約9分半後、ナウーカを分離。単独飛行に入ったナウーカは徐々にISSへ接近し、29日22時29分、ISSの「ズヴィズダー(Zvezda、ズヴェズダ)」モジュールの地球に面した側のドッキング部にドッキングした。

ナウーカは、ロシアの国営宇宙企業ロスコスモスの一部門であるフルーニチェフが開発、製造を担当した。愛称のナウーカ(Nauka)とは、ロシア語で「科学」を意味する。正式名称はMnogofunktsionalnyy laboratornyy modul(MLM)、直訳で「多目的実験モジュール」で、さらに厳密には末尾にUsovershenstvovannyy(改良)をつけて「MLM-U」とも呼ぶ。

全長は13.1m、最大直径は4.25m、打ち上げ時の質量は20.35t。内部は約70m2の広さがあり、新しい寝室やトイレなど、宇宙飛行士が生活できるスペースや生命維持システムを備えるほか、ナウーカという愛称のとおり、船内と船外に、さまざまな科学実験が行える研究設備ももつ。

ロシアがこれまでに打ち上げた「ザリャー(Zarya)」やズヴィズダーといった大型モジュールは、基本的に宇宙飛行士の居住やISSの制御を行うことのみを目的としており、宇宙実験や研究といった科学的な使用目的が取り入れられたのはナウーカが初となる。

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    ナウーカを載せたプロトンMロケットの打ち上げ (C) Roskosmos

また、太陽電池やスラスターをもち、単体でも宇宙ステーションとして機能するほか、ロケットからの分離後、ISSへのドッキングまで自律的に飛行することができる。これは過去に打ち上げられたザリャーやズヴィズダーと同じである。

ナウーカの後部にはドッキング部があり、有人宇宙船「ソユーズ」や無人の補給船「プログレス」が直接ドッキングできるが、今年11月以降には「プリチャール(Prichal)」と名付けられた、新しいドッキング・モジュールを打ち上げて結合し、それを介してソユーズやプログレスのドッキングが行われることになっている。

さらにモジュールの外壁には、欧州宇宙機関(ESA)が開発した「欧州ロボット・アーム(ERA)」を装備している。物資や設備の移動や、船外活動する宇宙飛行士の支援などに使われる。ユニークなのは、ただ物を掴んで動かせるだけでなく、ロボット・アーム自身も尺取り虫のように移動することができるという点で、これにより多種多様なミッションに対応できる。

なお、ERAの関節にあたる部分の予備部品や、ナウーカの外部に設置する機器の一部は、2010年にISSに結合された「ラスヴェート(Rassvet)」モジュールといっしょに送られている。つまり、ナウーカの到着まで、11年間も宇宙で保管されていたことになる。

ナウーカがドッキングした場所には、これまで、2001年に打ち上げられた「ピールス(Pirs、ピアース)」ドッキング・モジュールが結合されていたが、26日にプログレスMS-16補給船によって切り離され、ナウーカのために場所を空けている。ピールスとプログレスはその後、大気圏に落として処分された。

ISSにとってナウーカは、2016年に米国の民間企業ビゲローのモジュールが結合されて以来、5年ぶりの新しいモジュールとなる。またロシアにとっては、2010年にラスヴェートを結合して以来11年ぶり、大型のモジュールは2000年に打ち上げたズヴィズダー以来、じつに21年ぶりの新しいモジュールとなる。

なお、現在ロシアは、2025年以降にISS計画から離脱し、独自の宇宙ステーションを建造する方針を示しており、比較的新しいモジュールであるナウーカをISSから分離し、その新ステーションの一部とする構想もある。

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    打ち上げ準備中のナウーカ。機体の上部に見えるのが欧州ロボット・アーム(ERA) (C) Roskosmos

ナウーカ、宇宙への道

ナウーカの計画が始まったのは、1990年代の中ごろ、ISS計画の開始とほぼ同時期にまでさかのぼる。

もともと米国や西欧、日本など、西側諸国の結束強化、そしてソヴィエト連邦(ソ連)を中心とする東側諸国への対抗という目的で始まった宇宙ステーション計画は、1993年にロシアが参加することになり、現在にまで至るISS計画の枠組みができあがることになった。

そして1998年、ISSの最初のモジュールであるザリャー(ザーリャ)が打ち上げに成功。ザリャーは、かつてロシアが独自に開発を進めるも、資金難で停滞していた宇宙ステーション「ミール2」のモジュールを転用したもので、米国の資金提供によって建造が再開され、日の目を見ることになった。

このときロシアは、ザリャーの予備機となるモジュールの建造も進めていた。そしてザリャーが無事に完成し、打ち上げられたことで、この予備機は科学研究を目的としたモジュールに改造され、新たな人生を歩むことになった。そのモジュールこそ、今回打ち上げられたナウーカである。

こうした事情から、ナウーカとザリャーは瓜二つであり、またそもそもソ連時代に開発された「TKS」という大型宇宙船を基礎としているところも同じである。

しかし、ナウーカの開発は苦難の連続だった。当初、ナウーカの打ち上げは2007年に計画されていたが、ロシアの資金難による予算不足の影響で、年々遅れることになった。

ようやく組み立てがひととおり完了したのは2013年になってからだった。その後、試験のためにRKKエネールギヤへと送られたが、試験中に燃料バルブから燃料が漏れるという問題が発生。タンクや配管に汚染、いわゆるコンタミネーションが起きたことで、ほとんどすべての配管を取り替える必要が生じたという。修理作業は、機体を大きく分解して行う必要があったことなどから、試験場で対応できるレベルではなく、製造業者であるフルーニチェフに送り返される事態となった。

また、ここに至るまでに打ち上げが延期され続けたことで、スラスターが設計寿命を超えてしまい、新しいものに交換する必要も生じた。

さらに2017年には、タンクに金属の切削屑(切り粉)が残っていることが判明し、修理・交換作業が行われている。

こうした問題が相次いだことから、一時は開発中止も噂されたが、なんとか修理を完了。そして2020年8月、ようやく完成したナウーカは、打ち上げ場所であるバイコヌール宇宙基地へ送られ、最後の試験にかけられた。

ところが、試験をこなし、打ち上げが間近にせまった今年7月になり、姿勢制御に用いるための赤外線センサーとスター・トラッカー(恒星センサー)にサーマル・ブランケット(断熱材)が取り付けられていないことが判明。この時点まで忘れられていたというだけでも信じられないが、ロシア側の一部報道によると、そもそもサーマル・ブランケットは発注すらされていなかったという。ただし、ロスコスモスは発注漏れについては否定している。

計画開始から約四半世紀もの歳月と、幾多の紆余曲折を経て、ナウーカはようやく宇宙へ飛び立った。しかし、それで狂想曲が鳴り止んだわけではなかった。

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    打ち上げ準備中のナウーカ (C) Roskosmos