10年前に国務院に設立の建議が提出
創業板がどこの証券取引所で開設されるかについて、管理弁法案は一言も触れていない。だが、業界からマスコミまでが、創業板を既成の事実のように「深セン創業板」としている。それは何故だろうか。答えは、これまでの経緯の中にあった。
1998年12月、当時の国家計画発展委員会(現在の「国家発展和改革委員会」、略称「発改委」)が、日本の内閣にあたる国務院に、「早期に創業板設立に関する研究を行うべき」という主旨の建議を提出した。国務院はこの建議を受け、証監会に対して研究を指示し、証監会が深交所にその実行を命じた。
1999年1月、深交所は証監会に、「深交所による新興企業向け市場(創業板)設立に関する研究報告書」を提出。2000年4月、証監会が国務院に「ハイテク企業の発展を支持し、第二市場(第二板)を設立する諸問題に関して指示を仰ぐ」という主旨の報告書を提出した。
さらにその翌月、国務院は原則的に第二板の設立に同意し、それを「創業板」と命名した。10月には、深交所は新規上場を停止し、創業板設立の準備に着手。2003年10月にはベンチャー投資と創業板設立の推進が、「中国共産党中央の社会主義市場経済体制の若干の問題に関する決定」に盛り込まれ、創業板設立へ向けての動きが再始動したのだった。
2004年5月、証監会は深交所における創業板の設立に同意。2007年8月、国務院が、管理弁法を批准し、創業板の設立がようやく実質的な段階に入ってきたのである。
メーンボードの上海取引所への吸収が背景
以上の経緯からみれば、創業板が今をさかのぼる10年前から検討、計画されてきたものであることが分かる。同時に、何故今になって管理弁法案を公表し、ようやく開設される見通しがついたのだろうかという疑問も生じてくる。その理由には、おそらく下記の四点が挙げられるだろう。
第一に、2000年~2001年はITバブルがはじけ、NASDAQなど、いわゆるベンチャー・ボードが世界的に見て軒並み不況に陥った時期だった。その時期に計画されていた創業板の開設はタイミングが悪いと判断され、先送りにされた。第二に、創業板の代替役あるいはその水先案内役と位置付けられていた中小企業ボードが、開設後に投機の対象になり、株価が乱高下を繰り返した末、いまだに不振に陥っている。こうした経験から、当局が創業板開設に対し極めて慎重になり、タイミングを見計るのに長い時間がかかった。
だが、独自イノベーションが国家戦略として重視されてくる中、独自の開発力を持つ企業の発展を促進させるため、新興企業が資金調達をおこなえる独立した市場の立ち上げが急務となってきた。さらに、創業板開設の諸条件が整い、機が熟していると判断されたため、このほどついに動き出したというという経緯となる。
深交所は当初から創業板設立に関わり、現在も中小企業ボードを運営しながら創業板開設の準備を進めてきた。現在、深交所と上海証券交易所(上交所)はともにメーンボードを保有しているが、近い将来、メーンボードが上交所に一本化され、深交所は創業板に集中することになるというのが、かねてから噂されている。深交所自身も創業板の開設に非常に熱心で、前向きの姿勢を示している。こうした実情から、創業板が深交所に設立されることがほぼ確実視されている。これが、創業板が「深セン創業板」と呼ばれるゆえんである。