日販が2025年にローソン、ファミマへの雑誌含む書籍配送をやめるそうだ。

まだトーハンが続けるらしいのでいきなりコンビニから雑誌類が消えるということはなさそうだが、この流れでいくとコンビニから紙の本が消える日は遠くないのかもしれない。

そうなると若にそこのセブソでジャソプ買ってこいと言ってポカンとされた、いう老タがXでバズり、逆に「なんでビジネスジャソプなんだよせめてヤングだろ」と怒られる伝統芸が消滅するのだ。

なお日販とトーハンというのは出版取次という仕事をしている会社の2大巨頭で、ひらたく言えば本の問屋さんのような存在である。

今回、コンビニという大きな販路がなくなったことにより、また雑誌の休刊ラッシュが起こるだろうとも予想されている。

確かに私自身も、最後にコンビニで書籍類を買ったのは「バキ SAGA」以降記憶にないし、むしろバキSAGAだからこそ記憶が消えずに済んでいると言える。

コンビニで毎週ジャンプを立ち読みしていたあの人は今どこに?

実際、他にコンビニで買った本のことなどついぞ思い出せないが、20年以上前、地元のセブソに入った瞬間表紙の梢さんと目が合い、そのままレジに持って行ったことは昨日のことのように覚えている。

私は現在漫画家をしているくせに当時「雑誌で読んだものはわざわざ単行本で買わなくていい」という、作家にとってのクソ客以外の何者でもなかった。

実はバキSAGAも雑誌で全て読んでおり内容は全部知っていた。それでも単行本を買わずにはいられなかったのだ。

バキSAGAは性だけでなく、消費するばかりだった私に「手元に置いておきたい」という感情を教えてくれた作品でもある、ということだ。

だが正直、まだ二十歳前後の若輩だった私はバキSAGAをギャグ、またはホラーとして捉えていたように思う。

しかし今見直してみると、合意の大事さや男女の対等性など、今盛んに叫ばれていることを20年前から先取りした内容であり、これを笑っていた己を恥じるばかりである。

ただ、ここまで先進的な性を描いていながら「避妊描写がない」という点があまりにも惜しすぎると嘆かれ続けているのも事実だ。もし令和版を出すなら、ティッシュの代わりに避妊具を加筆修正してもらえれば、それだけで買う。

このように、たった20年でも、社会、そして価値観は大きく変わる。

変わったのは届け方、中身の価値は不変?

そして「本」を巡る情勢や価値観も、ここ数年で大きく変わった。

一昔前であれば漫画雑誌が休刊するたびに「漫画はオワコン」と言われていたし、今回のコンビニ販売がなくなるかもしれないという話も同じ捉えられ方をしていただろう。

しかし、現在はいくら雑誌が休刊し、紙の本の部数が同人誌レベルになっていると聞いても、漫画という文化自体が斜陽という感想は抱かれなくなってきている。

雑誌や紙の本が少なくなっているのは、漫画のシェアが電子に移っただけであり、むしろ完全に電子移行したことにより、漫画業界自体の業績は上がっていると思われる。

これは、完全に予想であり、出版社の内情など知らないが、本ばかり売っているはずのK社の社員休憩所が改装され、ドリンクサーバーがヌタバになっていたのを見るに、景気は絶対に悪くないはずだ。

出版各社が、これで餓死者はでないのかというレベルで漫画を大量無料公開するのも、この撒き餌で獲物を集めて莫大な利益を出すという必勝パターンを確立したからだろう。

少なくとも我が村の個人紳士服店が13年閉店セールをやっているような、ヤケクソとはワケが違うはずだ。

つまり、ビデオは絶滅しつつあるが「録画」という行為が消えたわけではないのと同じで、媒体が変わっただけということだ。

紙は、電車の網棚に捨てるものではなくなった

しかし、紙の本が時代遅れで無価値なものになったというわけではない。

確かに流通数の激減は免れない。だがそれゆえに文字通り「コンビニ感覚」ではなく、紙の本はコレクターズアイテムとして残っていくのではないかとも目されている。

私がバキSAGAの内容を知っていながら「手元に置いておきたい」と感じたように、内容を知るだけなら電子で十分だが「好きなものを所有している」という感覚は電子では満たされず、未だに「本は紙で揃えたい」という人は一定数存在するし、作家も「紙で出したい」と思っている人は多い。

そういう人のために、紙の本はコレクション品として、少部数の代わりに単価を上げて残っていくのではないかとも言われている。

  • 新潮文庫の文庫本の紙なんて100年は余裕で持ちそうですし、CDが朽ちてもレコードが残ったみたいな逆転現象も起こる気がします

    新潮文庫の文庫本の紙なんて100年は余裕で持ちそうですし、CDが朽ちてもレコードが残ったみたいな逆転現象も起こる気がします

しかし単行本はともかく、紙の雑誌はいよいよ終わりのようにも思える。しかし紙の雑誌の需要も完全に消えたというわけではない。

コロナが全盛の時、某漫画ゴラクから「ゴラクもついに電子化しました」と連絡が来て、逆にあの規模の週刊誌が電子化してなかったのか、と驚愕したが、ゴラク読者は紙派が多く、何よりラーメン屋や風俗待合所に置く雑誌としての需要が高いのだ。

確かにああいう場所の備え付け雑誌を電子化というわけにはなかなかいかない。

ラーメンの電子化、風俗の電子化が行われるまで、まだ紙の雑誌は必要とされそうである。