キャッシュレス社会が行き着く先の疑似体験なら北欧に限るというので、実際にどんなものか体験してみることにした。約2週間でフィンランド、エストニア、スウェーデン、デンマーク、ノルウェーを周遊してきた。

フィンランドとエストニアはユーロ、スウェーデンはスウェーデン・クローナ、デンマークはデンマーククローネ、ノルウェーはノルウェー・クローネと通貨も異なる。円換算値もずいぶん違う。ガイドブックには現金を両替していく必要はないと記されている。これをいちいち両替していたらたいへんだと思うと、キャッシュレスのありがたみを感じる。

  • どこへ行ってもコイン不要というのは実に便利なのだろうと期待する

    どこへ行ってもコイン不要というのは実に便利なのだろうと期待する

物価の高さは噂に聞いていたがランチにサンドイッチを買ったり、アパートホテルでの夕食のためにスーパーマーケットに行って野菜やハム、肉類を買うと、その値段の高さを痛感する。まともに円換算するととてもやっていられない。たとえばミネラルウォーターはスーパーで手に入れた安いと思われる1.5リットルのボトルを買って水筒につめて持ち歩いていたが、円換算するとほぼほぼ約500円といったところか。消費税相当分が25%あるとしても高い。水道の水も飲めるというふれこみだったがホテルによっては塩素臭くて飲めないところもあったのだ。

クレジットカードをスマホに登録しているので、スマホをリーダーにかざすだけで決済できるとはいえ、もう、商品についた値札を見るだけで食欲がなくなる。そんなこんなで行程を終えたわけだが、すべての支払いでクレジットカードが使え、その結果、現金を求められることは一度もなかった。というか、どんなに小さな店でも現金は断られる空気感だった。

いや、正確に言えば現金に接したことは一度だけある。

コペンハーゲンのニュー・カールスバーグ美術館を訪れたとき、鑑賞時に不用意に作品に傷をつけないようにし、本人も手ぶらで鑑賞できるようにするために荷物をロッカーに預けるのだが、そのロッカーの施錠に20デンマーククローネ硬貨が必要だった。もちろんそんなものは財布の中にはない。係の人に聞くと、自動販売機にてクレジットカードでメダルが購入でき、そのメダルを硬貨の代わりに使えるということだった。そして、帰るときにそのトークンを返却すると現金で20デンマーククローネが戻るという説明だった。

まあ、昔ながらの機械式で、電源やネット接続を必要としないタイプのロッカーだ。これをすべて最新の電子マネー・カード対応ロッカーに買い替えるには、莫大な設備投資がかかる。だが、この地域では観光客も地元の人も硬貨一枚すら現金を持ち歩いていない。それを解決するのがこのトークン販売機だ。販売されているのは20クローネ硬貨とまったく同じサイズ、重さの専用メダルである。あとで知ったことだが、このトークンには名物の彫刻が刻印されているため、あえて持ち帰る観光客もたくさんいるらしい。500円で購入できるおみやげなど、ほぼ皆無なので、それも一考だ。

キャッシュレス社会の完成形を見た気がして感心したのだが、結局、最後に手元に残ったのは使い道のない20デンマーククローネだった。約500円分である。そのあとのデンマークでの出費に割り当てる機会もなく次の目的地であるノルウェー行きのフェリーに乗り込んだ。日本に戻ってこのコラムを書きながら確認するも、どこかに入れて保存したはずだが見当たらない。クレジットカードで現金を買った印象なのに、その現金まで行方不明である……。

公共交通機関もすべてアプリ頼りだ。それぞれの国ごとに別のアプリをインストールしなければならないのには閉口したし、登録したクレジットカードで1回券や24時間券を買い、バスや電車に乗る直前に有効化して、有効期間の1時間や90分、24時間をめいっぱい使うといったことをするのだが、買っておいて有効化はあとでできるものがあったり、買ったときに有効にする時刻を指定するものがあったりと、操作がめんどうだった。

それに、これだけデジタル化された地域なのだから、北欧諸国をひとつのアプリでカバーできないものか。実際、ドイツ国鉄などはEU内の複数国の鉄道を横断的に扱えるアプリを提供しているのにと思う。

北欧は、高福祉国家、高いデジタル化、北欧理事会(Nordic Council)に代表される強い政治的連帯など、一見すると「一つの共通交通アプリ」を簡単に作れそうな土壌があるようにみえて、実際には国ごと、地域ごとに複雑な縦割りの歴史やシステムの壁があり、統合は容易ではないらしい。ノルウェーというひとつの国でさえ、オスロ周辺はRuter、第二の都市であるベルゲン周辺はSkyssという地域ごとの独立した交通アプリが必要で、それぞれの地域が独自の予算でアプリを開発している。さらには国ごとに通貨が異なることも原因のひとつとなっているし、個人用の即時決済インフラも完全に異なる国民的アプリが牛耳っている。

こうした障害を克服し、ヨーロッパ全体でのMaaSを確立するには、北欧という限定的な地域向けの専用アプリをゼロから作るよりも、EU全体が進めるオープンデータ化の基準にしたがったほうが得策だと考えているのだろう。

まあ、日本のような小さな国でもJRが地域ごとに分割されている結果、システムが分断されてしまいややこしいことになっていたりもするのだから、さもありなんといったところか。

そういえば、今回は、スマホのカメラで周辺を撮影しながら、AIに案内をさせるために、現地での案内をGemini Liveに頼るつもりだったのだが、くやしくも企画倒れになってしまった。EU圏内ではカメラ映像の共有や画面共有などの高度なマルチモーダル機能が制限されているというのが原因のようだ。EUのデジタル市場法やAI法、一般データ保護規則(GDPR)などの規制が背景にあるためだという。

  • EUはデジタル関連の保護規制が厳しいと聞いてはいたが、ここまで徹底していると思わなかった

    EUはデジタル関連の保護規制が厳しいと聞いてはいたが、ここまで徹底していると思わなかった

通信を日本のキャリアのローミングに頼ってもダメなので、IPアドレスではなくGPS情報などから物理的な現在地を取得しているのだろうか。とにかくGoogleの自衛策とも考えられる。誤算だった。プライバシーやデータ処理に極めて厳しいチェックが入るため、最新のAIを駆使した高度な機能(リアルタイムの高度な要約や文脈の超精密な読み取りなど)は、EU圏内だけロールアウト(一般公開)の時期が遅れることがあるそうだ。これらの規制はきわめて重い罰則を科しているので、巨額の制裁金を科されるリスクもあるだけにいたしかたない。次の渡欧時にはぜひ解決策が見出されていて欲しい。