今回はα9単独ではなく、α7 IIIやニコンD850を一緒に使うことのできるタイミングがあったことも「α9の存在意義」を今一度、正確に把握するための助けになったと感じている。例えば、連写中のブラックアウトフリー表示。一眼レフ世代にはマストではないと思っていたものが、他機ととっかえひっかえ動体を追ってみると、案外あっさり「こりゃブラックアウトしないに越したことはないよねぇ。ヘヘッ」となってしまう。
質量もまたしかり。100-400mmを装着したα9とAF-S200-500mm F5.6E ED VRを装着したD850を両肩に提げ、交互に構えて撮影するということを続けていると、圧倒的な重量差にはやはり考慮すべき部分があると実感してしまうのだ。
とはいえ、α9とてまだ完璧ではない。サイレント&ブラックアウトフリーは大いにけっこうなのだけど、シャッターボタンの感触が曖昧であることから「今この瞬間(撮りたいと思った瞬間)が本当に撮れたのかどうかが認識しにくい」のは事実だし、実際シャッターを切ったつもりでいてジツはシャッターボタンを適切に押し切れていなかったなんてこともなくはないのだ。ファインダー内には、レリーズタイミングを知らせる表示を出すことができる。でも、本気で動体を追っているときにあの表示を気にする余裕などはない、っていうか、確かに視野内でチカチカ表示されているハズなのに、動体に集中しているときは「見えていない」ことが多い。α9オーナーの皆さんにはそんなことないんスかね? だとしたら、私の視覚がらみの認知能力が落ちているってコトか……(哀)。