自分が省エネできるのがスマート
最近、いくつか「スマート」という言葉について考える事があります。
スマートフォン、スマート家電など、「スマート○○」と聞いて思い浮かべるのは、多機能で画面が大きくてタッチ操作できる、みたいなイメージ。
しかしスマートを直訳すると「賢い」であって、画面が大きかろうが多機能だろうが、そのデバイスからは決して賢さを感じるわけではありません。むしろ使う自分たちが、複雑な操作方法を覚えて、賢くなる必要があるのです。そんなことなら「スマートを強いられるフォン」と呼ぶべきではないでしょうか。
どちらかというと、それそのものや使う人が「サボれる」技術がスマートではないか、と思う事があります。例えば、スマートフォンの電池の持ちを改善させるための最も効果的な方法は、電波の発信にしてもディスプレイの点灯にしても、最も弱い出力、もしくはOFFの状態を長く作ることです。つまりサボることですよね。
スマートフォンのアプリにしても、情報管理にしても、長く欠かさず続けるには、サボりながらも目的を果たしてくれる仕組みを作り上げたり、出会うこと。そうでなければ電池切れを起こすのは人も同じだと思います。
ちなみに、先ほどから「サボる」「サボる」と繰り返しているとちょっと意識が低そうに聞こえるので、ここはひとつ、「省エネ」と言いましょう。こうした手間のかかる作業を自動化し、勝手にやっておいてくれる、というのが省エネ、すなわちスマートを作り出すということではないでしょうか。