昨年末にMozillaが、ソーシャルメディアを健全なものにする代替案としてFediverseの取り組みを進めていると公表した時、多くの人が中立的で自由に活動できる場が提供されると期待した。5月4日に、MozillaがMastodonインスタンス「Mozilla.social」のプライベートベータ開始を発表。そのコンテンツルールが意外なものであることが明らかになった。

「他の主要なソーシャルメディアプラットフォームと比較して、私たちのコンテンツモデレーションのアプローチに大きな違いがあることに気づくでしょう。私達は“中立”を自称する新たなプラットフォームを作るつもりはありません」と、スティーブ・テイシェイラ氏(Steve Teixeira:最高プロダクト責任者)は述べている。

Mozillaはインスタンスの管理者として中立であろうとせず、そのコミュニティにおいて同組織の価値観に従わない言動は認めない。ある意味、言論の自由を厳守しようともしない偏ったソーシャルメディアなのだ。もちろんMozillaが闇落ちしたわけではない。しかし、実験的であり、見方によっては不健全なアプローチで健全なソーシャルメディアを目指す。

  • 「The internet deserves a better answer to social」、インターネット(分散型のネットワーク構成)はソーシャルにより良い答えをもたらすとMozillaは訴える。

「Mastodonインスタンスって何?」という方も少なくないと思うので、ざっくり説明しておこう。Mastodonは分散型のソーシャルネットワークであり、イーロン・マスク劇場でTwitterから離れる人達の避難先の一つになっている。Twitterのような中央集権型のSNSでは、ユーザーの活動がサービス運営にコントロールされる。一方、Mastodonは独立性を持ったインスタンス(サーバ)のつながりで構成される。自分でインスタンスを立ててサービスを運用したり、または数多くのあるインスタンスから自分に適したサービスに参加したりする自由がある。

インスタンスを立てるには知識もコストもかかるので、どこかのインスタンスを利用するのがMastodonの一般的な使い方であり、健全なインターネットのための活動を行っているMozillaのインスタンスはサービスの信頼性や持続性といった面を含めて、Mastodonインスタンスを探している人達の期待を集めていた。

では、「中立ではない」とはどういうことかというと、Mozilla.socialは他のユーザーに対する嫌がらせを禁じている。また、性別、性的指向、人種、年齢、能力、その他の身体的、社会的または文化的な属性や分類などについて侮蔑的な言葉を使うことも禁じている。誤情報や偽情報の拡散、誰かになりすますことも御法度だ。いずれも当たり前のことばかりのように思えるが、実際のところソーシャルメディアの世界では多くのサービスで「言論の自由」や「表現の自由」とのバランスがとられて厳密に禁止されておらず、攻撃的な言動による深刻な危害が絶えない。

「ソーシャルは壊れています」とテイシェイラ氏は断言している。人々が物理的な距離を超えてつながり、世界で起こっていることを知り、新しいアイデアを発見したり、コンテンツを共有して感動を伝えたりする手段として、ソーシャルメディアは今日のインターネットでブラウザに匹敵するような大きな役割を担っている……はずなのだが、そうした理想のほとんどはうまく機能していない。

大手のテック企業によるソーシャルメディアは、人々のニーズより株主の期待に応えることを目的としているだから、そうなるのも当然といえば当然である。それをFediverseによって変えられるとMozillaは考えている。だが、Mastodonが分散型であるといっても、それぞれのコミュニティ(インスタンス)は中央集権的であり、テック大手のソーシャルメディアと同じように「中立」を盾に他者への危害を容認するのが当たり前になる可能性がある。

「ハラスメントや暴力に直面していたコミュニティにおいて、“中立性”が危害を加えるコンテンツや行動を認めさせる口実に使われることがあまりにも多いとわれわれは考えています」(テイシェイラ氏)

他人に危害を加えたい人とそうでない人の境界を模索してきたが、中立性でそれらの線引きはできないというのがMozillaの結論だ。Mozillaのコンテンツルールは、同組織がマニフェストで表明している目標や価値観、つまり人間の尊厳、包摂、セキュリティ、個人の表現、コラボレーションに根ざしている。私達の社会が、法の下で「言論の自由」や「表現の自由」を認めることで健全な社会を実現しているように、ソーシャルメディアも個人の尊厳や安全性を尊重し、健全で生産的なものにする一定のルールと制限が必要であり、それによって安心して利用できる健全なソーシャルメディアが実現すると考えている。だから、Mozilla.socialは中立を装わず、他者を傷つけるような言動の自由は認めない。口を閉ざすか、出ていくかの二択である。

これは、どんな犠牲を払うことになっても「言論の自由」を絶対的な権利と見なす米国では批判を受けやすい考え方である。しかし、それがソーシャルメディアやインターネットに自称“中立”をはびこらせた一因なのだ。

「私達は、そのことを明確にしたいのです。私達が作っているのは誰もが自由に遊べる素晴らしい砂場です。しかし、そこには互いにどのように関わるかを規定するルールがついています。それが嫌なら他の場所に行くのは自由です」(テイシェイラ氏)

Mozilla.socialは最初の一歩であり、Mozillaは効果的にコンテンツをモデレートするツールを開発し、その公開も目指している。分散型のソーシャルネットワークで最近Blueskyが話題になり始めているが、 Mozillaの取り組みはBlueskyとMastodonを競合させるのではなく、補完するものにする可能性もある。

積極的なモデレーションは新しいアイデアではない。しかし、これまでの例はsubredditのような小規模のみで機能していた。コンテンツモデレーションを適切にスケールさせるのは難しい。Mozillaはそれを同組織がホストするインスタンス、さらには分散型のソーシャルメディアの規模で行おうとしている。

これは興味深い試みである。Mozillaが望む健全なソーシャルメディアの普及につながる可能性はある。しかし、そこは安心してネコの画像を共有できても、活発な議論が避けられる場になってしまうかもしれない。また、それぞれの考えで積極的にモデレーションするインスタンスが増えることで、分散型ソーシャルメディアにおいて分断が起こるかもしれないし、不健全にコンテンツをモデレートするコミュニティに人が集まる可能性も考えられる。

それでも、Mozillaの試みは、健全で自由なインターネットとソーシャルメディアの在り方を模索する重要な一歩となるだろう。新たな問題や対立を生み出すかもしれないが、インターネットにおける“中立”幻想は腫れ物扱いし続けられる問題ではなくなっている。健全性と自由のバランスの取れたソーシャルメディア環境が実現できることを期待しつつ、その過程の試行錯誤を見守り、ユーザーやプラットフォームが協力して対話や議論を重ねていくことが重要となる。

  • 公共交通機関の運行情報や災害時の情報伝達にソーシャルメディアが役立つことはすでに証明されている。しかし、「公共機関は特定の企業や組織に属するソーシャルメディアを公共インフラとして扱うことには躊躇しており、Fediverseならその可能性が開ける」とテイシェイラ氏はいう