Browser Company of New York(BCNY)がWebブラウザ「Arc」のiOS版をリリースした。次はWindows版か、それとも正式版リリースかとユーザーは色めき立っている。
Arcというブラウザを初めて聞いたという人も多いと思う。このブラウザは正式リリース前の開発段階であり、招待制で提供されている(ウェイティングリストに登録してしばらく待っていたら誰でも招待を受けられる)。現時点でPC用はMac版のみということもあって、利用者は少ない。しかし、試用したユーザーからは高い評価を得ている。Product Huntのレビューは平均4.8点(5点満点:18レビュー)。
メディアのレビューをいくつか紹介すると、The Verge「Arcは、私が待ち望んでいたChromeを代替するブラウザ」、Tom's Guide「Chromeを捨てて、新しいArcブラウザを使うかもしれない-その理由は?」、Inverse「Arcは過去10年で最高のブラウザ」など、次世代のブラウザの評価を得ている。
しかし、そんなにスゴいブラウザなのかというと、実際にはまだバグが多く、EdgeやSafari、Chromeと比べて使いやすいブラウザとは言い難い。加えて、従来のブラウザとは全く異なる発想から作られているため、理解するのに時間がかかる。使いこなすには努力が必要だが、それが苦にならないぐらい使っていて面白く感じる。次世代のブラウザを先取りしているような感覚がある。
BCNYは、従来のブラウザの差別化として、ArcをWebのオペレーティングシステム(OS)にしたいと考えている。といっても、ChromeOSのようにユーザーとハードウェアの間や、アプリケーションとハードウェアの間をつなぐ役割も果たそうというのではない。PCでアプリ間のドラッグ&ドロップが機能したり、またはiPhoneでアプリをまたがってSiriを使えたりなど、アプリをつなぐ役割をWebアプリに対して果たそうとしている。
私達がモバイル機器やPCで使っているネイティブアプリには、Webラッパーに過ぎないものが多い。つまり、多くのユーザーが長い時間にわたってWebアプリを使用しており、Webしか使っていないユーザーも少なくない。だが、従来のブラウザはタブやURLバー、拡張機能などを提供しても、それ以上ではない。それならブラウザがOSのようにWebを司れたら、ユーザーはもっとシンプルかつ効率的にWebを利用できると考えている。
Arcには従来のブラウザのタブやブックマークの概念がなく、PCにおけるデスクトップのような役割のサイドバーがそれらの代わりになる。そしてWindowsやmacOSのデスクトップのように、複数のデスクトップを作成(「仕事用」「趣味」など)して、トラックパッドで横スワイプするような簡単な操作で切り替えられる(Spaces)。「タブでWebサイトを開く」よりも、「ホーム画面からアプリを開く」感覚に近く、このサイドバーの使い方に最初は戸惑うが、慣れるととても快適で、よく利用するWebサイトにすぐにアクセスでき、そしてブラウザをタブだらけにせずに必要なWebページを効率的に管理できる。
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Arcのサイドバー、「Favorites」は全てのSpaceに共通するブックマーク、「Pinned Tab」はピン固定のブックマーク。「Today」は開いているタブだが、12時間ごと(デフォルト設定)に自動的にアーカイブして閉じてしまう
さらに、ArcではOSのローカルライブラリに保存している画像やビデオにブラウザ内でアクセスし、再生することができる(Media)。また、マークダウンに対応した「ノート」や、手書きにも対応した無限キャンバス「イーゼル」などのツールも用意されている。例えば、「カメラ」ボタンを押してWebページをキャプチャ、スクリーンショットをイーゼルに貼り付けてメモ書きといった操作をブラウザ内でスムースに行うことができる。
景気低迷をチャンスに変えられるスタートアップ
良いプロダクトであっても、必ずしも受け入れられるとは限らない。Arcのように全く新しい製品の場合、新たに使い方を覚えなければならない手間から拒絶されてしまうことがある。しかし、BCNYは巧みなブランド戦略を通じてそのカベを乗り越えている。
BCNYはストーリーテリングを好む。そのストーリーには、同社のビジョンや価値観が生き生きと表現されている。BCNYのホームページには、「Browser Companyで、私たちはインターネットをより良く使う方法を構築しています」「Arcはインターネットで自由に呼吸するあなたの空間です」というような印象的な言葉が並ぶ。
「ブラウザを再発明」「Chromeキラーを作る」といった直接的なアピールを避け、ユーザー中心主義でユーザーにとっての価値を説く。そして小規模の利用者から、開発チームがユーザーコミュニティと深くつながりながら「ビルド・イン・パブリック」で開発を進めている。また、社名がBrowser Company of New Yorkであるように、遊び心あふれる親しみやすい社風が製品だけではなく、ツイートやメルマガなど全てに息づいている。
このようなBCNYの魅力に共感する人たちがアーリーアダプターとしてArcを試用し、その評価が口コミで広がっている。私はArcを使い始めて、ユニークな社風も魅力だった初期のEvernoteやTwitterを思い出した。
今のような景気低迷期は新しい取り組みへの投資が慎重になり、スタートアップにとって厳しい冬の時期になりがちだ。しかし、過去を振り返ると、米国がインフレに苦しんだ1970年代中期にMicrosoftやAppleが誕生し、ドットコム・バブル崩壊の焼け野原からGoogleやAmazonが台頭、リーマンショック後の不況の中から配車サービスのUberや民泊仲介のAribnbといったモバイル時代を切り開く新サービスが成長した。なぜか?
それは、景気低迷期にも投資が完全に止まるわけではなく、新たな成長の時期を見据えた投資が活発になるからだ。この期間においては、消費者も厳しい状況の中で本当に必要なものを見極めるようになる。そのため、景気低迷期は、人々や社会のニーズに応えることができる、あるいは新時代に向けた解決策を提供できるスタートアップ企業が成長を遂げられるチャンスでもある。
この点において、BCNYのユーザー中心主義で、ユーザーコミュニティと深くつながり、共に新たな解決策を模索するアプローチは、景気低迷を乗り越えるスタートアップのあり方のお手本と言える。Arcをどのように収益化するのか、現段階では不明だが、景気低迷期においてBCNYはその独自の魅力と戦略で、アーリーアダプターの注目を引き付けることに成功している。