かつての宇宙への挑戦は、世界各国が協力しながら行う国家プロジェクトだった。しかし近年では、イーロン・マスク率いる「SpaceX」に代表される“宇宙スタートアップ”が数多く登場し、さまざまな形で宇宙ビジネス競争を繰り広げている。

その波はすでに日本にも到来。宇宙に夢を抱きビジネスの開拓を目指すスタートアップや、宇宙の利用可能性を見出し新規事業として参入する企業など、さまざまなプレイヤーが業界を活発化させている。

そんな宇宙の未来を作りだそうとしている次世代のリーダーたちを突き動かす熱量の源泉や将来の展望を探ろうというこの連載。第1回は、“宇宙商社”として知られるスタートアップ「Space BD」の代表取締役社長を務める永崎将利氏に話を伺った。

  • Space BDの永崎将利代表取締役社長に、宇宙スタートアップのリーダーとして描く未来について話を伺った

    Space BDの永崎将利代表取締役社長に、宇宙スタートアップのリーダーとして描く未来について話を伺った

2017年の創業以来、同社を率いて6年が経過した永崎氏。しかし、ここに至るまでの道程には、仕事がない時期やリーダーとしてのあるべき姿の模索など、さまざまな困難もあったという。Space BDの社長として過ごしてきたこれまでの道のりを「自分の内面と向き合う時間だった」と語る彼が、宇宙産業の第一線で活躍することを志した理由とは。そして、彼が思い描く将来の宇宙産業の姿とは果たしてどのようなものなのか。“New Space”の先陣を走り続けるビジネスパーソンの深淵を覗いてみた。

Q:何をやっている会社なんですか?

「主力事業は、言うなれば“宇宙への輸送業”です。」

Space BDは、どんなビジネスを展開する企業なのか。そんな最初の問いに対して、永崎氏はそう表現した。

「宅配便で例えるなら、輸送機がロケットで、運ぶ荷物が人工衛星など。我々はロケットを作っているのではなく、宇宙への輸送手続きの間に入って、ロケットでの輸送の権利を効率的に仕入れ、お客様が打ち上げたい人工衛星に合わせて必要な分だけ提供するのが仕事です。」

Space BDが「宇宙商社」と呼ばれるのは、そうした“かすがい”の部分を担っているのからだ。宇宙進出に向けた動きが世界的に発展しているものの、宇宙への交通インフラは未だ発展途上。まだ数が限られているロケットへのニーズは大きいため、その仕入れを担うことに大きな価値が生まれているという。

しかし宇宙を舞台にした輸送業には、地上でのそれとは決定的に異なる点がある。

「宇宙への輸送が地上の宅配便と決定的に違うのは、輸送機と運ぶ荷物である人工衛星が、どちらも精密機器であること。ロケット打ち上げの際に発生する振動に耐えられるのか、ロケットと人工衛星が通信に使用するそれぞれの周波数が互いに干渉しないかなど、さまざまな条件を検証したうえで初めてロケットへの衛星搭載が可能になるので、技術的な調整が多く必要になります。」

永崎氏によると、これらの技術調整には契約から1年~2年を要することもあるとのこと。お金を払えばロケットに荷物を搭載できる、というものではなく、高い専門性が必要とされる技術調整を行う必要があるのだが、Space BDでは多くのエンジニアを自社で抱えることで、その技術調整までも担うことができるという。

さらに近年では、宇宙へと運ぶものは人工衛星に限られなくなっており、衛星の部品としての使用を検討している候補材料や、宇宙空間での生体の変化を実験するためのタンパク質のようなバイオ関連品など、幅広いジャンルの物品を宇宙へ送り届けている。そのため永崎氏は、「宇宙に持っていきたいモノを、なるべく安全に・安く・早く・簡単に持っていくための輸送業」と表現。ユーザーが開発や実験に集中できるよう手間のかかる作業を担いつつ、多様な手段を用いた柔軟性のある打ち上げを実現することを目指している。

また同社は、宇宙を一大産業へと成長させることを見据えて、宇宙の利用範囲を拡大し、その価値を高めるためのさまざまな事業活動も展開している。月を周回する人工衛星のバス設計から、教育・地方創生に向けた施策、さらにはエンタメ領域まで、多岐にわたる取り組みを行うSpace BDを立ち上げた永崎氏が、“宇宙ビジネス”に足を踏み入れたきっかけに焦点を当てる。

Q:なぜ宇宙ビジネスを始めたんですか?

「未知のエリアとして、数少ないフロンティアだと思ったから。」

宇宙ビジネスに挑戦した理由を尋ねると、シンプルかつ壮大な答えが返ってきた。

永崎氏は、早稲田大学の教育学部を卒業したのちに三井物産に入社。人事や採用担当に始まり、貿易事業、さらには資源開発に従事するなど、着実にキャリアを積み上げていた。

しかし、「いわゆる“昔の商社マン”に憧れていた」という彼は、会社員としての日々を過ごす中で、ビジネスパーソンとして自分の可能性をどこまで広げられるのか、という可能性を世の中に問いたくなったとのこと。そして、「晴れやかに誰もがチャレンジする、チャレンジを応援するような社会づくりがしたいと思った」というきっかけから、独立という道へと挑んだという。

湧き出すエネルギーに背中を押されて会社を飛び出した永崎氏。しかし、その熱意の向け先を見つけないままに退職したこともあり、約1年間は仕事の無い日々を過ごした。その後もさまざまなビジネスを立ち上げるものの状況は好転せず、当時を振り返っても「生きるためにいろいろなビジネスをやっていたけれど、やりがいは感じられていませんでした」と語る。

「やはり自分が熱量をもって語りたいと思えるもの、今の社会に必要なんだと伝えたくなるものを世に届けたいという想いを、その時に再認識しました。そう考えたときに『教育』に対する意識が自分の中に強くあって、“人の優秀さ”や、“学力偏重社会”に対する課題感というのを社会に訴えかけたくなった。三井物産時代に経験した採用担当としての時間も、その想いをより強くしていたんだと思います。」

そうした経緯で教育をビジネスにすることを選んだ永崎氏。事業としての大きな成長には至っていなかったものの、自らの想いを原動力に動き始めた当時は、エネルギッシュに前進し続けていたという。そしてある時、紳士服で知られるAOKIの教育財団(AOKI財団)が新設する「AOKI起業家育成プロジェクト」に対して提案した企画書が目に留まり、プロジェクトを一任されることに。中学生を対象に、ビジネスや人生を考える起業家育成ワークショップを行うようになったとのことだ。

永崎氏が率いたそのプロジェクトは好調に進み、教育事業としてある程度安定した成果が得られるようになったとのこと。しかし2016年、同プロジェクトで関わった実業家から、転機となる言葉を投げかけられたという。

「僕自身は、人が自分の可能性を解放して“一生青春”だと思える社会をつくることを目標にしていましたが、ある方に『それは今の教育事業でできるのか?』と問われました。実現するまでやり遂げます、と答えたのですが、その方は『あなたは“教育者”という感じではない。ただ、“ビジネスパーソン”としては非常に面白い人だと思っている。だからこそ、新たな道で日本を代表する先駆者として、多くの人から憧れられるロールモデルになることで、社会に影響を与えることを目指した方がいいんじゃないか』と話してくれました。」

その言葉を受け取った永崎氏は、当時展開していた教育事業を、AOKIのプロジェクトを除いてすべて終了させ、再び自分の道を模索。そんな日々の中で、日本を代表する1人の投資家から「宇宙には泥臭く地道に前に進んでいけるビジネスパーソンがいない」という事実を教わり、その日から宇宙に関する勉強を始めたのだという。

  • 「もともと宇宙が好きだったわけではないです」と話す永崎氏

    「もともと宇宙が好きだったわけではないです」と話す永崎氏。彼を宇宙業界に引き込んだのは、“未成熟で先駆者のいないビジネスとしての可能性”だった

「もともと宇宙が好きだったわけでも、ましてや宇宙ビジネスに携わっていたわけでもない。これが、僕が宇宙ビジネスに挑むことになった嘘偽りのない経緯です」と語る永崎氏。しかし振り返ると、「宇宙ビジネスにたどり着いたのは偶然だが、どこか必然性を帯びているような気がします」とも話す。

「僕自身はもともと、誰もがチャレンジを応援できるような社会づくりがしたい、という想いで独立しました。その点、宇宙は未知のことだらけで、しかもビジネスとしての先駆者はいない。すべてがチャレンジであり、どこまで可能性を広げられるかは自分次第です。そんなことを考えると、ある意味で宇宙業界へと導かれたのではないかとすら思いますね。」

Q:宇宙ビジネスに携わる中で苦しかったことは?

「自分の中にあったリーダーとしての自信が、ここ2年ほどで粉々に崩れ去りました。」

仕事がない時期や、やりがい・手応えを感じられないビジネスに追われる時代などを経験した永崎氏に、Space BDの代表として苦しかった時期を尋ねると、意外にも“ここ2年”と答えた。

ビジネスパーソンとしての道を模索し、2017年にSpace BDを設立した永崎氏。その創業以来、事業規模は年々拡大し続けており、順調な道をたどっているように思える。当然、黎明期にあるスタートアップが事業を拡大させるためには多くの苦労を伴うわけで、案件の獲得に向けては膨大な労力をかけてきたとのこと。しかし元来ビジネスが好きな彼にとって、「事業に自らタックルしている時期にはあまり悩むことが無かった」といい、それはむしろ充実の表れだったともいえるとする。

しかし、企業としての持続的な拡大を図るためには、社長が1人のプレイヤーとして動き続ける形から、社員を率いてより多くの成果を引き出す“チーム戦”へと変革していく必要がある。

そうしたモデルを実現するため、ビジネスマンから社長へと役割を変化させることにトライした永崎氏だが、ただでさえ難易度の高い企業経営、その上マーケットが未成熟な宇宙業界での多角的経営は困難の連続。自身の熱量を周囲に求めたことでギャップが生じたこともその一因だったと振り返る。

「学生時代はキャプテンや生徒会長を務めたり、働いているときにも“親分肌”と言われたりと、それなりにリーダーとしての自信を持っていました。けれどもSpace BDでのここ2年は、創業期のメンバーが立て続けに退職し、社内でも目標や想いをうまく共有できず共鳴が生まれない時期もあるなど、苦しい時期でした。」

そうした状況から脱するため、永崎氏は、外部コーチングの力を借りて自身のリーダーとしての在り方を見つめ直すなど、試行錯誤を続けた。その結果、今では株主からも「創業して以来、今が1番いい雰囲気だと感じる」という声も届いたといい、彼自身も現在地を「長いトンネルの先に光が少し見えてきたところ」と表現するように、少しずつだが前に進んでいるという。

だが、そうはいっても彼の“リーダー”としての悩みは尽きない。

「組織を率いている以上、周りを見ずに自分だけが突っ走っていては、社員との間で温度差が生じてしまう。かといって、僕自身は起業家として新たな領域を切り開いて周りを引き上げることにこそ意味があると思っている中で、ただただ周囲に寄り添うだけではいけない。みんなが納得感のある決定は、裏を返せば何もチャレンジしていないとも言えます。そういった中で、ちょうどいいバランスを見極めながら意思決定を行うことが、非常に難しいですがとても大事だと思っています。」