社員も招待客も一体となって盛り上がるRealtekの忘年会
Realtek本社での忘年会は、旧正月の関係上、毎年1月中旬から下旬に開催された。私は国内代理店各社のトップの方々と一緒に毎回出席させてもらった。驚嘆したのは、入社2年目から会社の駐車所が忘年会の宴会場に様変わりしたことだった。美しく飾られた駐車場は参加者1500人以上の熱気で我々の違和感を吹き飛ばしてくれた。
ステージでは社員によるダンスや歌、それに楽器演奏が披露された。招待客も社員と一体となって素晴らしい盛り上がりを見せてくれた。CEOと副社長達が集結しているメインテーブルには、部署ごとに社員達がやって来て全員で起立し乾杯、そしてボトムズアップ!!
至る所で1年の労を労って乾杯の音頭が延々と鳴り響いた。楽しい宴会は延々と続き、そして帰る際には仲間同士大声で"Happy New Year"と高らかに吠え合ったのは楽しい想い出だ。
私が就任1年目にリアルテックセミコンダクタージャパンとして新たに企画したイベントが"Dear Partnership Day"である。年1回11月中旬に開催された同イベントには国内代理店から30数名を招待し、一年間の尽力に感謝し盛大なパーティを催した。
2009年はバスをチャーターし静岡県御殿場市の時之栖まで行きチームビルディングゲームと宴会、2010年は両国駅前にあるレストランでちゃんこ鍋を味わいながら相撲甚句を鑑賞、そして昨年2011年には横浜赤レンガ倉庫2号館"Beer Nextでジャンケンゲームとビヤパーティで盛り上がった。パーティには本社からCEOとシニアマネージャがスペシャルゲストとして参加し、毎回趣向を凝らしたリアルテックジャパンオリジナルゲームを参加者と共に心底楽しんでもらった。
リアルテックセミコンダクタージャパンは有線LAN ICでは国内では圧倒的なマーケットシェアを獲得し、国内大手パソコン、テレビ、プリンターメーカーに的を絞り、製品の継続採用を目指し販促活動に注力した。
Realtek本社の該当製品担当マネージャは台湾人のMr.Huang(黄)であり、我々は彼を「Aki」というニックネームで親しみを込めて呼ばせてもらっている。なお彼のニックネームの由来はわかっていない。
大の鉄道マニア、いわゆる"鉄ちゃん"である彼は、日本語がとても上手である。彼は日本の鉄道雑誌を自力で読んでみたいとの強い想いと憧れが日本語を学ぶ動機付けになったと話してくれた。
国内代理店政策強化の一環として、2011年7月東京エレクトロンと正式代理店契約を交わす合意に至った。これが私がリアルテックジャパンで成し遂げた最後の大きな仕事となった(なお正式発表は社内の都合で私の退職後の2012年2月になってしまった)。
新たな挑戦に向けて再び米国へ
私はリアルテックセミコンダクタージャパン代表取締役社長に就任した頃から、第二の人生で目指すものが明確になれば、60歳前に半導体業界から早期引退したいとの気持ちを固めていた。そして当時の上司Yee-Weiにはこの意向を打ち明け、CEOからも理解を得ていた。
昨年(2011年)の5月下旬、リアルテックセミコンダクタージャパン代表取締役社長就任より2期4年の任務を残り数週間で終えようとする頃、米国人の後輩からハーバード大学で2012年度の特別研究員を募集中との情報を得て、ウォールストリートジャーナルに掲載された新聞の記事を送付してもらった。その記事を読んだ後、胸騒ぎを覚えた。早速行った調査の結果判明したことは、応募人員は全世界で20数名であり、予想通り極めて狭き門であった。
思わず応募項目の一カ条に奪われてしまい、緊張の面持ちで文字を指でなぞりながら2~3回読み返した。あらゆる業界に於いて20年以上リーダーとしてマネジメントとして顕著な業績を残した方で、第2の人生へのチャレンジとしてソーシャルベンチャー(社会事業)に興味を持ち、そして成し遂げる為に最善を尽せる人物が対象である。
暫くの間"どうしよう。どうしようか"、とひとり言を呟いた。そして数時間考えあぐんだ後、意を決し"よっしゃ、思い切りチャレンジしてみよう! 失うものは何もない"と呟きながら自分の拳を強く握りしめた。
書類審査がパスした後、2次試験はハーバード大学当プログラム事務局長との電話面接、そして3次試験としては数枚(A4ページ)のエッセイを提出する事が求められた。課せられたテーマは"自分が目指したい社会事業とは"であった。真夏の3週間、仕事を終えて帰宅後、毎晩深夜3時過ぎまでエッセイとの格闘が続いた。とてもではないが素敵な"真夏の夜の夢"とは言い難かったが、奮闘が身を結び、幸いにも3次試験に合格した。そして最終面接へと駒を進めることが出来た。
最終面接は、選考委員の1人、ハーバード大学院教育学部James Honan教授との45分間の電話インタビューが行われ、幕が閉じた。まさに"人事を尽くし天命を待つ"心境であった。
2011年9月下旬のある金曜日の夜、不在通知を手に宅配業者の支店に出向き、フェデックスの封筒を受け取った瞬間、手の震えを覚えた。
隣で妻が笑みを浮かべながら、「早く開けて見て」と急かしたことが思い出される。意を決し、大きく息を吸って、A4サイズの封筒を開いた。
レターの冒頭に"Congratulation"の文字が躍っていた。第一声は「良かった。救われた」と発したような気がする。合格を確信した瞬間であり、新たなチャレンジが始まると体感した瞬間でもあった。
私は2011年11月18日、会社に正式に辞職を申し出た。12月上旬、有給休暇を取り家族を伴って4日間ハーバード大学主催の「Advance Leadership Initiative Fellow Program」に関するオリンテーションに他のフェロー28名と共に参加した。素晴らしい仲間達と同じ空間で時間を共有出来る歓びと誇りを噛みしめた。
そして日本へ帰国後、12月末日付けでリアルテックセミコンダクタージャパンを退職する運びとなった。
25歳でインテル本社に入社以来、32年間半導体業界で走り続けた。そして25年間日本法人の代表取締役社長の任務を果たした。その間、沢山の汗と悔し涙とそしてスプーン1杯ばかりの幸せを感じた、悔いや未練はまったくなかった。そして新たに始まる第二の人生に自らエールを送りたい気持ちだった。
12月30日午後5時、成田空港で妻と二男に見送られ機内の人となった。目的地はボストンローガン国際空港であった。
(次回は12月6日に掲載予定です)
著者紹介
川上誠
サンダーバード国際経営大学院修士課程修了。1979年 Intel本社入社。1988年ザイコ―ジャパン設立以降、23年間ザイログ、ザイリンクス、チャータードセミコンダクター、リアルテックセミコンダクターなどの外資半導体メーカーの日本法人代表取締役社長を歴任。そして2012年ハーバード大学特別研究員に就任