大学授業科目の変遷 - AIが明らかな研究対象に

私が還暦を迎え業界から引退して、一念発起でかつて卒業した大学に学士入学してから早3年が経つ。還暦はとうに過ぎているが還暦大学生と称して大学にはほぼ毎日通っている。

以前の大学は1年を2学期に割って、その間に長い休みがあるという2学期制であったが、昨年から春・夏・秋・冬の4学期制になった。主な理由は国際化に伴って、4月から一年を始める従来の学期制を変えて学生がより留学できやすいように、という配慮らしいが、うまくいっているとは思えない。

4学期制となってせわしなく各学期が完結するが、依然として留学する日本学生は少ないのが現状である。たいていのことは日本にいれば満足できるので、わざわざ海外まで行って勉強する必要性を見出さないというのが本音であるらしい。それと比較して、4学期制になって留学生は入りやすくなったようだ。日本語に堪能な留学生の数は目に見えて増加している。自治を標榜する大学と言え世間の大きな波を見事にかぶっている証拠であろう。

  • 大学のキャンパス

    秋の大学のキャンパスは紅葉で美しい (著者所蔵イメージ)

さて、私が通っている大学は人文科学系でいわゆる"文系"大学であり、毎日の授業内容には商学・経済・法学・社会学系の科目がずらりと並ぶが、それらの学科の各科目の"勢い"は世相を反映して変化しているように見える。

法学関係の学科は相変わらず手堅く安定しているが、商学・経済学部の科目には世相を反映した明らかな"勢い"と"すたれ"が見て取れる。財務諸表など会計に関する学科、数理・統計などを駆使する経済の科目は元気がよく、受ける学生の数も多い。それに比較して、私が現役であった40年前ごろから新たに導入され最近まで先端科目として非常に人気のあったマスコミ論・マーケティングの科目などには勢いがみられない。

人文科学系ではかつての古典的な哲学・倫理学・人類学などの科目の中では新たな考え方を取り入れる動きが見て取れる。人間の内面に目を向けていたこれらの科目では、その研究対象を"人間とAIの関係"などにシフトしているものも多く見られる。「人間と人工知能の共存」という課題がいよいよ現実的なものになってきている感がある。

マーケティングのバイブルを書いたKotler

私は昨年まで主に歴史・国際関係などの科目を取ってきたが、その分野では一応のものは取ってしまったので、今年はマーケティングの授業を受けることにした。半導体業界での30余年は一貫して営業・マーケティングであったが、私はマーケティングを正式に学んだことがない。

AMDの営業会議などではスタンフォード大学でMBAをとった若いマーケッターが、入れ替わり立ち代わり金太郎あめのように同じフォーマットのパワポのプレゼンをしていて、それを嫌と言うほど聞かされたのでマーケティングの考えがすっかり身についてしまったのが現実である。しかしそれはあくまでも"聞きかじり"であり、そうしたマーケティングの基礎を大学で学んだらどうなるかというのが私の最大の興味であった。

そこでとったのは「マーケティングの基礎」と「上級マーケティング」というレベルが極端に違う2つの科目であった。勇んで臨んだものの、結局どちらの科目にも幻滅したというのが残念な結果である。下記がその理由である。

まずはマーケティングの基礎に関する科目であるが、この授業の内容はさすがにほとんどすべて実際に体験したものばかりであった。

その理由の1つに授業を通して教えられる理論・用語の大半が同一のテキストから引用されているということがある。

マーケティングの基礎理論を確立したPhilip KotlerはMITその他の米国の主要大学で経営学・マーケティングを教え、幾多のテキストを著した。1931年生まれのKotler教授は今も現役であられる。Kotlerのマーケティング・テキストは平易な英語で書かれているが、そのボリュームは基礎編の初版が改訂を加えるうちになんと700ページを超える大著となった。

もとよりその発想自体がない日本ではマーケティングと言えばKotlerで、彼のテキストはマーケティング理論のバイブルとして読まれている。ということで、基礎編で教えられる理論・用語はほとんどすべて私がAMD時代に実際に見聞きしたもので、新しいものはなかった。自明であると思われる理論を説明するのに、やたらと頭文字をとった4Pとか5Cとかといった言い方でむりやり理論体系化しようとしているところが大変に気になる。

しかし、この経験は私にとっては1つの安心材料となったことは確かで、いよいよ次の「上級マーケティング」への期待は高まった。

  • Philip Kotlerの著書

    Philip Kotlerの著書はマーケティングを学ぶものにとってはバイブルのようなものである (著者所蔵イメージ)

GAFA・FAANGに飲み込まれる近代マーケティング

受講したクラスは上級クラスであるうえ、授業は英語でなされるというので多少不安を感じながら授業に臨んだが、授業も終盤になった今でも期待外れの感がある。いくつものケース・スタディを交えながら授業を通して教えられるのは下記のマーケティングの重要項目である。

  1. ブランドの価値を高めるにはどうしたらいいか?
  2. 顧客のニーズをタイムリーにつかむにはどうしたらいいか?
  3. どうしたら効率よくカスタマに商品を届けられるか?
  4. どうしたら需要を喚起できるか?

これらの重要項目への答えを盛んに議論する授業で私はかなり冷めていた。「なぜそのように感じるのだろう?」と自問しているうちにハタと気が付いたことがあった。紹介されるいくつものケース・スタディの陰にいつもGAFA・FAANGの存在を意識していたのである。

例えば次のようにである。

1. ブランドの価値を高めるにはどうしたらいいか?

その答えはAppleのマーケティングを参照してください。このブランド力があればAppleはiPhoneだけでなく車でも家でも売ることができます。しかもかなり高い利益率で。しかしあなたがAppleのマーケティングを理解したころにはもう手遅れです。あなたのビジネスはすでにAppleに取り込まれています。

2. 顧客のニーズをタイムリーにつかむにはどうしたらいいか?

その答えはGoogleとNetflixに聞いてください。あなたがいつ何を欲しくなるかは彼らが決めます。なぜなら彼らはあなたのニーズをあなた自身が気付く前に知っているからです。これ以上にタイムリーにニーズを知ることはできません。

3. どうしたら効率よくカスタマに商品を届けられるか?

その答えはAmazonが持っています。なぜならAmazonは流通チャネルを支配しているからです。もはや流通レベルでAmazonに対抗できる存在はありません。

4. どうしたら需要を喚起できるか?

その答えはGAFA/FAANGすべてが知っています。しかしそのノウハウはすべてAIベースで行われる個人データ解析のアルゴリズムにすでに組み込まれているので勉強する必要はありません。

かなり白けた気分で授業を終えた後で一緒にグループ・プレゼンを行うことになったベトナムから来た留学生と授業の感想を話し合った。その学生の感想は衝撃的であった。

「私は会計・財務を勉強しています。世の中はテクノロジーの発展で急速に変わりつつあります。そのなかでマーケティングの手法は大きく変わります。ですから今勉強してもすぐに使えなくなります。しかし経理・財務などで確立された手法はなかなか変わらないと思います。それを今のうちに取り込みたいのです」、

恐れ入るコメントであった。今どきの若い人々はよくわかって勉強しているのである。

著者プロフィール

吉川明日論(よしかわあすろん)
1956年生まれ。いくつかの仕事を経た後、1986年AMD(Advanced Micro Devices)日本支社入社。マーケティング、営業の仕事を経験。AMDでの経験は24年。その後も半導体業界で勤務したが、2016年に還暦を迎え引退。現在はある大学に学士入学、人文科学の勉強にいそしむ。

・連載「巨人Intelに挑め!」を含む吉川明日論の記事一覧へ