かなりの力作である。30年にわたり半導体産業を見続けた著者の林宏文は、台湾で最も優れた経済ジャーナリストの一人であるそうだ。日刊紙「経済日報」や週刊経済誌「今週刊」といった代表的な経済誌での仕事で、1987年の創業以来、TSMCの挑戦と成長をつぶさに観察してきた著者だけに、この本「『TSMC』世界を動かすヒミツ」ではその時にその場にいなかった者にしか描き切れないTSMCのリアルにじかに触れることができる。

TSMCの創業者で半導体業界のレジェンドであるMorris Chang自身にも何度か独占インタビューを行っている。この著書で明かされるTSMCのいろいろな局面での試練と、顧客や競合との丁々発止としたやり取りは、TSMC設立の前年1986年にAMDに入社した私の30年にわたる半導体業界での経験とかなり重なるところが多く、大変に興味深く一気に読んでしまった。特にTSMCとAMDとの関係は非常に緊密なので、業界で起こっていた事柄について私がAMD側から観察していた状況はTSMC側から見ると、「こういうことだったのか」などと認識を新たにする点が多かったのも興味深かった。

  • 『TSMC』世界を動かすヒミツ

    「『TSMC』世界を動かすヒミツの表紙」 (筆者撮影)

半導体業界の読者だけでなく、今や世界最大のファウンドリ会社として、先端半導体の生産を一手に引き受けるTSMCという会社の本質を理解する点でも、多くの読者にお勧めしたい一冊である。特に半導体が国家安全保障上の戦略物資となった今日、TSMCは熊本での工場進出を始めとして、一般読者も近年ますます身近に見聞きするブランドとなっている。しかし、TSMCは製造ファウンドリとしてあくまで「黒子」の立場を守っているために、その世界的な影響力に比して、これまでに公開された情報が圧倒的に少なかった。そのため内部事情はかなりの部分が秘密のヴェールに包まれてきたが、この本では各章のタイトルが「XXXXのヒミツ」となっていて、著者が持っている膨大な情報を基にしたTSMCの実像と本質に迫る筆致が大変に迫力のあるものになっている。

  • TSMC Fab 18

    TSMCの2024年6月時点での最先端プロセスとなる3nm(N3シリーズ)量産の一翼を担う台南にあるFab 18 (出所:TSMC)

中国本土出身のMorris Changが米国にわたり、TI(Texas Instruments社)での経験を基に台湾で創業した弱小企業TSMCが、当時としては斬新なビジネスモデルであったファウンドリ会社としてどうやって生まれ、Intel、Samsung、UMC、GlobalFoundries(GF)、SMICなどの競合他社との熾烈な競争をどうやって勝ち残って、世界最大の企業に成長したかが詳細に語られている。特に、創業者のMorris Changは、業界のレジェンドと言われながら、昔から報道の前にはめったに姿を現さないのでその人と考え方には多くの人が関心を寄せるが、この本ではその部分が多くの逸話とともにかなり明らかになっている。TSMCにおける意思決定のプロセスが、研究開発、設備投資、人事、価格戦略、マーケティング、から世界戦略に至るまでの多くの分野別に語られていて、今後も発展し続けるであろうTSMCの将来像も描いている。またTSMCをTSMCたらしめている独特の企業文化については再三多くが語られており、他のジャーナリストでは描き切れないTSMCの本質部分が垣間見えるのも大変に興味深い。

先ごろ台湾で開催されたCOMPUTEX 2024は史上最多の参加者を迎え盛大なイベントになった。今や、その一挙手一投足が注目される革ジャンCEOことJensen Huang率いるNVIDIAをはじめ、AMD、Qualcomm、Intelといったそうそうたるメンバーが集結し、半導体技術の最先端についてアピールしたが、それらの企業の製造の多くを一手に引き受けるのが台湾のTSMCである。

台湾に降り立ってまず感じるのは、ピーナッツオイルを使った台湾料理の炒め物と、道路にあふれかえるバイクからの排気ガスが合わさったあの独特の匂いであるが、何といっても全身に感じるのは街全体から発せられる巨大なエネルギーだ。この本を読んでTSMCとは台湾そのものなのだという印象を強くした。