第310回で、軍事関連のおすすめスポットとして、アメリカはメリーランド州のフォート・ミードにある、国立暗号博物館を紹介したことがあった。そこを取り上げたからには、イギリスの「あれ」も取り上げるのが筋というものである。→連載「軍事とIT」のこれまでの回はこちらを参照

  • ブレッチェリー・パーク構内にある建物群(の一部) 撮影:井上孝司

暗号解読の拠点

それが、イングランドのバッキンガムシャー、ミルトンケインズの南方にある、ブレッチェリー・パーク。第二次世界大戦中に、暗号解読の拠点になった場所である。別名を「ステーションX」という。

ロンドン市内にそんな重要施設を設置したのでは目立つし、ドイツ軍の空襲で被害を受ける可能性も懸念される。かといって、あまり不便な場所に設置したのでは、ロンドンとの行き来が不便になってしまう。

ということで、ロンドン北西・約66km、ユーストン駅から鉄道1本で行き来できる、この地が選ばれた。ブレッチェリー駅のすぐ近くで、徒歩5分ぐらいという近さだ。

現在は、当地で行われていた暗号解読などに関わる展示施設となっている。第二次世界大戦中に使われていた建物の一部が残されており、それがそのまま展示施設として使われている。「アラン・チューリングはこんな場所で仕事をしていたのか」と当時の気分に浸れるわけだ。なお、アラン・チューリングが使っていた執務室も展示の一つである。

  • 戦争中に建てられた「ハット」の一つ、ハット6 撮影:井上孝司

通信傍受を行っていた「ステーションY」

なお、ときどき勘違いされているようだが、ここは暗号解読とデータ整理のための施設で、通信傍受は基本的に別の場所で行われていた。そちらは「ステーションY」と呼ばれており、イギリス各地に多数が設置されていた。

ブレッチェリー・パークでもステーションYに関する展示は行われており、その一環として、「通信傍受体験」ができる。ヘッドセットを装着して、受信機のダイヤルを端から回していく。するとある場所(=周波数)で、モールス信号が聞こえてくる。

急いでダイヤルを回すと見過ごしてしまうから、ゆっくり、慎重に回していかなければならない。首尾良く受信に成功すると「よくできました」と(英語で)音声が流れる仕組み。

「なるほど確かにそうだな」と感心したのは、ステーションYからの傍受データ、つまり暗号化された通信文をステーションXに伝達する方法。無線を使って伝達すれば簡単かつ迅速だが、それがドイツ軍に傍受されたのでは元も子もない。こちらがやっていることは当然ながら、敵軍もやっている。

そこで登場したのが「ディスパッチ・ライダー」、つまりバイクで運んでいたそうだ。それも、昼も夜も夏も冬も関係なく。そのライダーの多くは女性だったという。いいかえれば、第二次世界大戦中のイギリスには、バイクを運転できる女性が少なからずいたわけだ。

それだけでなく、ステーションXでも多数の女性が働いていた。その数はピーク時で6,000人以上。実は男性スタッフよりもずっと多かった。鍵探索機「ボンベ」を指示された通りにセッティングする作業など、さまざまな業務に従事していたという。

解読だけでなくデータ整理も大事

実のところ、エニグマ暗号機の仕組みと、それを解読するための努力について書き始めたら、それだけで本が1冊できてしまう。

  • 独海軍向けエニグマの初期モデル、エニグマM2。上部に見える3個のローターが「鍵」の役目を果たす 撮影:井上孝司

エニグマは、暗号機そのものの仕組みがバレただけでは解読できないように、可変要素となる「鍵」の要素を暗号化のロジックに取り込んでいたところがキモ。そういうところは、今のコンピュータ暗号と同じである。

だから、ステーションXで行われていた作業は、その「鍵」を突き止めることから始まる。そのために用いられた鍵探索機「ボンベ」の復元機が動いている様子や、「ボンベ」をどう使うか、といった解説に関する展示もあるので、これは「行ってみてのお楽しみ」ということにして。

  • これがボンベの復元機。実際に動かして見せている。ボンベの本物はみんな戦争終結後に破壊されてしまい、現存していないそうだ 撮影:井上孝司

もちろん、堅固な暗号システムを開発・運用することも、敵軍の暗号を解読することも重要だ。しかし、暗号解読によって得たデータを有効に活用することも重要である。データは溜めておくだけでは役に立たず、それを作戦行動に有効活用してこそ意味がある。

そこでブレッチェリー・パークで展示されているものの一つが、日本海軍の艦の動静に関するデータをまとめたカード(ステーションXでは日本軍の情報も扱っていた)。そのカードは手書きだが、データの整理・分類にはパンチカードも駆使していた。

パンチカードを活用していたのは米海軍の通信傍受部門も同様である。データを整理するとともに検索のための仕組みを整えて、必要なデータをサッと取り出せるようにすることは、暗号を解読することと同様に重要である。

このほか、日本軍の暗号を担当するスタッフが日本語を勉強するために用いたカード、なんてものまで展示されている。

ハットとマンション

この場所にはもともと、1711年にブラウン・ウィリスという人物が建てたお屋敷があったが、ピーク時で9,000人近い人が働いていたのだから、それで足りるはずがない。お屋敷を含む敷地の一式が徴用された後、戦争中に「ハット」と呼ばれる建物がたくさん建てられた。

戦時のことだから急いで建てる必要があり、しかも実用本位で殺風景な建物だが、その割には頑丈に作られているそうである。ちなみにハットの綴りは「hut」で、ピザハットのハットと同じである。

お屋敷(ザ・マンションと呼ばれている)の隣にあるハット4は、展示施設ではなくカフェとして使われている。また、週末にはザ・マンションの一室でアフタヌーン・ティーを楽しめるそうだ(要予約)。

  • これがザ・マンション。今はきれいな公園仕立てになっているが、戦時中はそこここにハットが建てられて、雑然としていたらしい 撮影:井上孝司

お代は記事執筆の時点で、入場料込み55ポンド(!)。安くはないが、この場所でアフタヌーン・ティーを楽しめるとは、まことにレアな体験であろう。

著者プロフィール

井上孝司


鉄道・航空といった各種交通機関や軍事分野で、技術分野を中心とする著述活動を展開中のテクニカルライター。
マイクロソフト株式会社を経て1999年春に独立。『戦うコンピュータ(V)3』(潮書房光人社)のように情報通信技術を切口にする展開に加えて、さまざまな分野の記事を手掛ける。マイナビニュースに加えて『軍事研究』『丸』『Jwings』『航空ファン』『世界の艦船』『新幹線EX』などにも寄稿している。このほど、本連載「軍事とIT」の単行本第4弾『軍用レーダー(わかりやすい防衛テクノロジー)』が刊行された。