2023年2月4日にアメリカ東海岸・サウスカロライナ州ミルトルビーチの沖合で、米空軍のF-22ラプターがAIM-9X空対空ミサイルを用いて、中国から飛来した気球を撃墜する事件が発生した。この事件の後にも、アメリカやカナダの上空で相次いで「謎の飛行物体」が見つかり、撃墜されている。→連載「軍事とIT」のこれまでの回はこちらを参照。
「レーダーの精度を高めた」?
それまで、気にもとめられていなかったような「謎の飛行物体」がいきなりいくつも見つかり、相次いで撃墜された。もちろん、“気球事件” がトリガーになったわけだが、この件に関する報道で「レーダーの精度を高めたら謎の飛行物体が見つかり~」と書かれているのが、ちょっとひっかかった。一般向けの媒体としては、そういう書き方をするしかなかったのだろうが、真相はどうなのだろうか。
最初におさらいをしておくと、レーダーとは「電波を放って、その電波が何かに当たって反射してきたときに、反射波を受信することで探知を成立させる」センサーである。いいかえれば、レーダー電波を反射する物体があれば、それは何でも探知目標としてスコープに現れる。
今回の事案で問題になったのは、空中に浮いている気球だから、対空捜索レーダーについて考えてみる。用途からすれば当然、空に向けてアンテナを指向して電波を放つわけだが、空中にあるレーダー電波の反射源は飛行機だけではない。
例えば、雨・雪・雲といった、空中の水粒もレーダー電波の反射源となる。現に気象レーダーというものがあり、気象情報を提供するWebサイトにアクセスすれば、雨雲レーダーの情報も見られるのが一般的だ。
水粒のサイズは飛行機と比べると桁違いに小さいから、それを確実に探知するためか、気象レーダーが使用する電波の周波数は比較的高い。総務省の資料によると、主流はCバンド(5 GHz帯)とXバンド(9.7GHz帯)で、前者は遠距離用、後者は近距離用とされている。しかし世界的には、Sバンド(2.8GHz帯)を気象レーダーに使用する事例もあるという。Sバンドといえば、イージス艦のAN/SPY-1レーダーなど、艦載対空捜索レーダーでも多用している周波数帯だ。
ちなみに、気象レーダーでもドップラー・シフトを利用している。動きがある雨雲は、移動している飛行物体と同様にドップラー・シフトを生じて、送信波と反射波の間に周波数のズレを引き起こす。そのズレの度合から、移動速度を知る仕組みとなる。
クラッター処理で余計な情報を除く
同じように「空に向けて指向するレーダー」でも、用途が違えば、「欲しい探知目標」と「要らない探知目標」が違う。対象が雨雲なら飛行機の探知は余計だし、対象が飛行機なら雨雲は余計だ。しかし、受信した反射波の情報をそのままスコープに表示すると、電波の反射源はみんな一緒くたに現れてしまう。
そうした余計な情報のことをクラッターという。昔のレーダーでは、クラッターがてんこ盛りになったスコープを見ながら「本当に必要な探知目標」を見分ける操作員の能力がモノをいったが、それでは熟練した操作員がいないと仕事にならない。
そこで、クラッター処理という話が出てくる。探知目標の特性を参考にして、いわば「フィルターをかける」処理を行い、余計な探知をスコープに出さないようにするものだ。
飛行機の捜索が目的であれば、相手はそれなりの速度で移動しているはずだ。それなら、低速あるいは動かない探知目標(=ドップラー・シフトが小さい、またはゼロ)を選り分けて、スコープに出さないようにすれば良い。雨雲が相手なら逆で、雨雲としてはあり得ないような高速で移動している小さな探知目標を切り捨てる。
洋上で使用する航海用レーダーなら、海面あるいは波浪からの反射波を無視して、洋上の船舶や、その他の物体だけをスコープに出す。この場合、欲しい探知目標は何回か走査したときに常に安定した反射を返してくるだろうから、そういう目標だけを篩にかければ良い、という理屈になる。
意図した目標とクラッター処理の内容が合致していれば、これで問題は解決する。では、本来は探知したいのに、クラッター処理の条件に合致してしまうイレギュラーな探知目標が現れたら、どうなるだろうか?そういう探知目標は、スコープから消されてしまわないだろうか?
クラッター処理に手を加えたのでは?
サウスカロライナで撃墜された気球は直径が60mぐらいあったそうだから、レーダー電波の良い反射源になったはずだ。しかし、自ら動力を持たずに風に乗って移動しているから、速度は風速と同じになる。
その条件がクラッター処理の条件に合致してしまえば、反射波が戻ってきても、スコープには現れない。件の気球より後に見つかった “謎の飛行物体” も、事情は大同小異だ。飛行高度が一般的な航空機と同じ40,000ft(約12,000m)前後であれば、「この高度で、そんな低速で飛んでいるものは航空機とは違う」と判断されて、対空捜索レーダーがスコープから消してしまった可能性はある。
すると、探知精度の向上とは、実は「クラッター処理のパラメータに手を加えて、従来は除外されていた探知目標をスコープに出すようにした」のではないだろうか。ハードウェアに手を入れるとなると、そんな迅速に動作内容は変えられない。しかし、ソフトウェアで処理する部分なら迅速に変更できる。
もちろんそれだけではなく、識別能力を高めるようにした可能性もある。従来は無視していた低速の移動目標まで表示するようにした結果として、極端な話、渡り鳥に向けて戦闘機をスクランブル発進させたのでは洒落にならない。
著者プロフィール
井上孝司
鉄道・航空といった各種交通機関や軍事分野で、技術分野を中心とする著述活動を展開中のテクニカルライター。
マイクロソフト株式会社を経て1999年春に独立。『戦うコンピュータ(V)3』(潮書房光人社)のように情報通信技術を切口にする展開に加えて、さまざまな分野の記事を手掛ける。マイナビニュースに加えて『軍事研究』『丸』『Jwings』『航空ファン』『世界の艦船』『新幹線EX』などにも寄稿している。