今回のテーマは「ビッグデータ」である。
言葉の構造としては「デカいハンバーグ」くらいシンプルであるが、こういう単純なワードほど小難しかったりするのだ。
またこのIT用語の連載を初めて分かったこととして、「Wikipediaは優しくない」という事実がある。思えば私の作品は「全てWikipediaの知識で描かれている」という「ツイッターに流れてくる情報のみで構成された広辞苑」ぐらい信憑性のあるものであり、私もWikipediaに絶対の信頼を寄せていた。しかし、これまで何ら問題なく使えていたのは、そもそもバカが考える話なので、作中に大して難しいワードが出てこなかっただけなのだ。
あいつには手心がなさすぎる。調べている人間の顔がどんなにアホ面でも、手加減をすることはない。横綱がわんぱく相撲の小学生力士相手に本気の上手投げをかましたり、Jリーガーが少年サッカーチーム相手に100-0の試合をして、ロスタイムにもきっちり10点入れたりするぐらいのことをしてくる。つまり、バカにわからないことをバカにわからないまま書いてある。噛み砕くということをしないのだ。
要するに、この連載が始まったことで、これまでよろしくやっていたWikipediaから一週間に1回、上手投げされることになったのである。どんなに鈍い奴でも週一で地面に叩きつけられていたら、「こいつはもしかしたら友達じゃないのかもしれない」と気づく。この連載さえなければ一生Wikipediaのことを「ウィキさん」と呼べたのに、今では「ペディア野郎」である。
この件に関しては近々訴訟を起こすつもりなので続きは法廷で語るとして、話はビッグデータに戻る。直訳すれば「デカいデータ」だ。
データもはさみも使いよう
私と同年代かそれ以上の人なら、嬉々としてエロコンテンツをダウンロードしようとしたが、それが重すぎる上PCのスペックもクソ過ぎで、遅々としてダウソロードが進まない上に78%ぐらいで固まった、みたいな経験はあると思うが、今回はそっちのデータではなく、参照するためのデータである。
総務省はビッグデータのことを「事業に役立つ知見を導出するためのデータ」と説明している。つまり、金儲けのヒントが得られるデータのことであり、どれだけビッグでも利益に繋がらなければビッグデータとは言えないようだ。ただ、100人のデータよりは1000人、さらには1兆人など、ビッグな方がより信憑性が高まり、使えるという考えである。
しかしいくらビッグでも、少女漫画誌を立ち上げるのに、新橋にいるサラリーマン1000人を対象にデータをとっても意味がない。対象を女子小学生にし、また何年生かで分ける等のビッグかつ解像度の高いデータが求められるのである。
別の例で言えば、くノ一喫茶に来ている男に「くノ一は好きか」と聞いたら、大体の男は好きと答えるだろうが、そこから「今くノ一がキている」とは判断できない。しかし、「くノ一喫茶に来ている5万人の男に聞いた」というなら、その膨大な数を根拠として「キてる」と言えるだろう。
漫画家はビッグデータで「売れる」ようになるか
では我々作家も、ビッグデータを用いれば売れる作品が描けるのであろうか。確かに売れ筋を読むのは必要だし、旬ジャンルの漫画を描けば売れる確率はあがるだろう。しかし、ただ流行りに乗っただけでは「妖怪は見飽きた」「またアヘ顔グルメ漫画かよ」と言われることもある。流行を読むだけではなく、流行の中でもまだやってないことを見つけなければならない。
また、誰にウケたいのかも重要である。利益を追求したいなら、漫画以外でもとにかく女性にウケろと言われている。「女性に人気」と「おっさんに人気」では落ちる金が違うのだという。だが、女性ウケを狙えと言っても、女だって色々いる、オタクもいれば非オタクもいるし、オタク女向けであっても、腐女子向けと夢女子向けでは全く狙うところが変わってくるだろう。
先日、「最初は男2人女1人でプレイボールして、その後、男2人が延長戦を始める」というドラマCDがあると聞いた。おそらく「腐女子と夢女子、両方に売れる物」を作ったつもりなのだろうが、そんなのにオレの守護神「マサユキ・スズキ」が黙っているわけがなく、すぐに「チガウ・ソウジャナイ」が発動した。
これは、「今、若い女子にボルシチとパンケーキが人気」というデータを得て「じゃあパンケーキとボルシチをミキサーに入れて回そう」という結論を出したのと同じである。いくらビッグデータを得ても、それを見る者に分析力がなければ意味がない。
では、ビッグかつ解像度の高いデータを分析力抜群の担当が読み、完璧な「売れる漫画」のプロットを作ったとしたら売れるのだろうか。確かに売れるかもしれないが、ここで「作家が言う事を聞きかない」という最大の問題が出てくるのである。
大手出版社勤務の、おそらく東大とか出ているだろう編集者に「この通りに描けば売れますよ」と言われたら、誰でも脊髄反射で「俺は売れなくても、自分の描きたいものを描く」と思春期みたいなことを言いたくなるだろう。
もちろん編集のアドバイスをきちんと聞く作家は大勢いるが、すべてを編集の言う通りに描く作家というのは、よほど素直か、漫画を完全にビジネスと捉えているか、自分で考えたものがことごとく売れなかった作家ぐらいだ。
だったら、私は「ことごとく売れなかった作家」なのでそろそろ編集の言う事を全て素直に聞きいれてもいい頃だとは思うのだが、そもそも「この通りに描いてください」と言われたことがない。
それは、「この通りに描けば売れる漫画」の話は「その通りに描ける作家」の所に行くからである。描く技術がない奴のところには来ないのだ。
<作者プロフィール>
カレー沢薫
漫画家・コラムニスト。1982年生まれ。会社員として働きながら二足のわらじで執筆活動を行う。デビュー作「クレムリン」(2009年)以降、「国家の猫ムラヤマ」、「バイトのコーメイくん」、「アンモラル・カスタマイズZ」(いずれも2012年)、「ニコニコはんしょくアクマ」(2013年)、「やわらかい。課長起田総司」(2015年)、「ねこもくわない」(2016年)。コラム集「負ける技術」(2014年、文庫版2015年)、Web連載漫画「ヤリへん」(2015年~)など切れ味鋭い作品を次々と生み出す。本連載を文庫化した「もっと負ける技術 カレー沢薫の日常と退廃」は、講談社文庫より2016年7月15日に発売予定。
「兼業まんがクリエイター・カレー沢薫の日常と退廃」、次回は2016年7月5日(火)掲載予定です。