本連載では、日本企業がAIエージェント活用・展開にあたり直面する課題を、Context(文脈)、Choice(選択肢)、Control(コントロール)Cost(コスト)という「4つのC」の観点で整理します。

AIに足りないのは知能ではなく文脈

前回は、企業のAIエージェント活用を左右する「4つのC」を紹介しました。今回はその出発点である「Context(文脈)」を取り上げます。前回、文脈を持たないAIエージェントは、PoC(Proof of Concept:概念実証)では動いても本番では使えないことに言及しました。

例えば、ある企業で「当社の年間定常収益(ARR)はいくらとなる見込みか?」という問いに、データアナリスト2人はそれぞれ25億円と27億円、データサイエンティストは32億円、AIエージェントは26億円と答えました。

これらの数字は、いずれも誤りとは言えないのです。ただ、解約予定の契約を含めるのか、どの表データを参照するかといった前提がそろっていないと、人間であってもAIであっても、出てくる数字には差が出るのです。

  • 日本企業のAIエージェント戦略 - PoCから本番活用へ、乗り越えるべき4つの課題 第2回

    前提が揃わないと人間もAIも出てくる数字には差が出る

前回に言及した、AIが「もっともらしいが自社の現実とズレた答え」を出してくる背景には、この文脈の欠落があります。では、その文脈とは何を指し、どう整えればよいのでしょうか。

AIにとっての「文脈」とは何か

AIエージェントにとっての文脈とは、AIが回答や行動を決めるときに受け取る情報のすべてです。利用者の指示やデータそのものに加え、会話履歴やツールの説明なども含まれます。企業でこの文脈を整えるには、次の3つの層が鍵になります。

  • メタデータ:データの構造や来歴、所有者などを説明する情報

  • セマンティクス:業務の指標や用語を、システム上のデータの定義に結び付ける中間層

  • オントロジー:対象の分類・属性・関係性などを明示的に定義した知識モデル

  • 日本企業のAIエージェント戦略 - PoCから本番活用へ、乗り越えるべき4つの課題 第2回

    企業で文脈を整える際に鍵となる3つの層

土台になるのは、メタデータです。データマネジメントの国際的な知識体系であるDMBOK(Data Management Body of Knowledge)ではメタデータを、ビジネス(データの意味や利用ルール)・テクニカル(テーブル名や列の型)・オペレーショナル(作成日時など)の3つに分けて定義しています。これが欠けると、AIエージェントは誤ったデータで分析する可能性があります。

ただ、使うデータが決まっても、「どう計算するか」がそろっていなければ、冒頭のARRのように答えはばらつきます。そこで必要になるのが、セマンティクスです。

セマンティクスは、ビジネスメタデータのうち、指標の計算ロジックや用語を再利用可能な形で定義したもので、いわばビジネスとシステムをつなぐ中間層です。これを一カ所で定義すれば、人もAIも「同じ数字、同じ物差し」で答えを導けます。

ただし、メタデータとセマンティクスが教えてくれるのは、個々のデータや指標の意味です。業務に関する問いの多くは、対象同士の関係が分からなければ答えられません。例えば、不良品の原因を調べるには、その生産ロットがどの工場で作られ、どの部品を使い、どの顧客に納められたのかを知る必要があります。この「関係」を扱うのがオントロジーです。

オントロジー:「関係」を定義し、文脈を届ける

オントロジーは1990年代から研究されてきた概念です。よく引用されるのは、Studerら(1998年)の「共有された概念化の、形式的かつ明示的な仕様」という定義です。平たく言えば、業務の世界に「何があり、それらがどう関係するか」を、人とコンピューターが共有できる形で書き出したものです。

例えば、製造業であれば、次のような約束を定義します。

  • ブレーキ部品は「重要保安部品」の一種である(分類)

  • 生産ロットは1つの工場で作られ、使った部品と納品先の顧客に結び付く(関係)

すると、あるブレーキ部品に不具合が見つかったとき、コンピューターは「部品→生産ロット→顧客」と関係をたどり、影響を受ける顧客を自動で洗い出せます。

古典的なオントロジーでは、こうした分類や関係に加え、そこから新しい事実を導くためのルールまで、専門家が厳密に設計します。ただ、それには業務知識とデータモデリングの両方に通じた人材が必要で、見直しにもコストがかかります。

しかし生成AIの登場で、この前提が変わりつつあります。AIエージェント時代の新しいオントロジーの目的は、世界を論理的に正しく記述することではなく、エージェントが把握すべき文脈を、迅速に精度高く届けることです。

そのため、オントロジーの作り方も使い方も変わります。売り上げのように間違えられない重要な定義は人が正式に定め、それ以外の概念や関係、業務ロジックは、既存のデータ定義や文書、データの実際の使われ方からAIが自動で抽出します。

使うときは全体で推論するのではなく、質問ごとに必要な知識だけを選んでエージェントに渡します。その際は、誰が定め、いつ更新し、誰が参照してよいかという出所・鮮度・権限を手がかりにします。そのうえで人が定めた定義を優先し、足りない部分をAIの抽出で補います。

古典的なオントロジーが「何が論理的に導けるか」を問うのに対し、新しいオントロジーは「この質問に答えるとき、どの組織知識をどの程度信頼して使うか」を問うといえます。

精度・速度・コストを同時に高める

具体例として、製造業で、AIエージェントに「先月の初回合格率は下がったのに、新規立ち上げ品番数は増えたのはなぜですか?」と尋ねた場合を考えます。

用語としての「初回合格率」は、品質部門が用語集で正式に定めています。一方、「新規立ち上げ品番」には正式な定義がありません。そこでAIが、生産部門がよく使う分析クエリから「直近3カ月以内に量産を始めた品番」という定義を抽出しています。

エージェントは正式な定義で初回合格率を計算し、AIが抽出した定義で品番を分けたうえで、品番から生産ロット、検査結果へと関係をたどります。そして「低下の大半は新規立ち上げ品番で起きている」と、どれが正式な定義で、どれがAIの抽出かを示して答えます。

正式な定義を優先するので精度が上がり、必要な文脈だけを渡すので応答も速く、トークンの消費、つまりコストも抑えられます。

  • 日本企業のAIエージェント戦略 - PoCから本番活用へ、乗り越えるべき4つの課題 第2回

    正式な定義とAIが抽出した業務知識を組み合わせて分析を実施

文脈を「育て続ける」ために

とはいえ、仕組みを入れればすべてが解決するわけではありません。筆者がお客さまと業務改善に取り組む中でも、AIが文脈を自動で作ることを過信してデータやメタデータの整備がおろそかになったり、熟練者の頭の中にある暗黙知の引き出し方に悩んだりする場面がありました。

そもそもAIに対して精度を過信する人もいれば、間違いを恐れて使うことをためらう人もいます。AIは既存のデータや資料から文脈を学ぶため、まず必要なのは、その土台を整え続けることです。熟練者の知識も、用語集などに書き出して初めて、AIが使えるようになります。

そのうえで、信頼できる資産を認定し、古い資産を非推奨に分類して、正しい資産の活用が優先される状態を保ちます。さらに、代表的な質問と期待する答えを決めて、その精度を定期的に測れば、過信もためらいも防げます。いきなり全社で始めるのではなく、営業など1つの領域からスタートすることが現実的です。

こうして育てた文脈は、AI活用の競争力の源泉になります。だからこそ、それを誰が持つのかが問われます。次回は「Choice(選択肢)」を取り上げ、データと文脈を自らの資産として持ち続けるために何が必要かを考えます。