正確にいうと「名前は違う」のだが、一つの開発プログラムの中で異なる平面型の主翼を両方試してしまえ、という話が出た事例が、今回のお題。

デルタ翼 vs 後退翼

1953年8月に、旧ソ連のスホーイ設計局に「前線戦闘機と防空戦闘機を開発せよ」とのお達しが出た。

前線戦闘機とは、制空、つまり空対空を主体として、対地攻撃もできる戦闘機。西側では戦術戦闘機と呼ぶ種類のものだろうか。対して防空戦闘機は、対地攻撃能力は要らない。全天候戦闘能力を持たせるために射撃管制レーダーを積んで、長射程の空対空ミサイルを載せる。それぞれ求められる機能・性能が違うから、別個の機体として開発する。これは分かる。

ところが当時のソ連では、後退翼とデルタ翼と、どちらにすればいいかという結論が明確になっていなかった。ここでいうデルタ翼とは無尾翼デルタ翼ではなくて、水平安定板を併用するデルタ翼のこと。有名なところでは、MiG-21がこれである。

さんざん悩んだ(?)結果、「両方とも実機を作って飛ばしてみよう」ということになった。順列組み合わせからいえば4種類の試作機を造ることになる。ところがその後の経緯により、後退翼の前線戦闘機案とデルタ翼の防空戦闘機案だけが生き残り、「同じ機体で主翼が2種類」は実現しなかった。

もっとも、MiG-21の先祖筋では後退翼の試作機Ye-2と水平安定板付きデルタ翼の試作機Ye-5の両方が造られたから、こちらは「同じプログラムで2種類の主翼」といえる。最終的に両者の性能は互角になり、それなら構造が簡単で軽く造れるデルタ翼の方が良いとの結論になった。それを具現化したのが、ベストセラーとなったMiG-21である。

  • ルーマニアのミハイル・コガルニシアヌ空軍基地でMiG 21との合同演習に参加した米空軍機 写真:USAF

後退翼→部分的な可変後退翼

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