たまには軽めの話も良いかと思い、こんなテーマをひねり出してみた。もちろん、新しい飛行機を開発・量産するのは大変な作業であり、多くの頭脳が集まって真剣に取り組んでいる。とはいえ、実際にやってみると、いろいろなことが起きるものである。

無断で離陸しちまったんですよ!

ロッキード(現在はロッキード・マーティン)の、U-2という偵察機がある。もともと、ソヴィエト連邦の上空に領空侵犯して、頭上から写真を撮ることで「鉄のカーテンの向こう側にある秘密」をこじ開けようとして作られた機体だ。そこで迎撃されにくくするために、普通なら飛べないような高度まで上昇させることにした。そのため、常識外れの軽量化設計が行われた。

  • U-2偵察機の最新モデル、U-2S。B-2爆撃機と同じエンジンを積んでいるが、それが1基しかないのに、全開にすると相当にやかましい 撮影:井上孝司

    U-2偵察機の最新モデル、U-2S。B-2爆撃機と同じエンジンを積んでいるが、それが1基しかないのに、全開にすると相当にやかましい

そして完成したU-2は、業界の通例通り、まずタキシー試験を実施した(第305回を参照)。タキシー試験はタキシーを行う試験だから、離陸はしないで地上に張り付いたまま、のはずである。ところがU-2の場合。

1955年8月2日に、最初のタキシー試験を実施した。まず50kt(92.6km/h)まで加速して、ブレーキをかけて止める。次は60kt(111.1km/h)まで加速して、同様にブレーキをかけて止める。そして、「次は70kt(129.6km/h)まで加速しろ」。ところが、実際に70ktまで加速してみたら、パイロットがいうには「ふと気付いてみたら、機体が浮かんでいた」。

そこで、エンジン出力を絞って接地させようとしたが、U-2は一般的な機体と違い、自転車式の降着装置、つまり胴体下面の前後に一つずつ脚が付いている(上の写真を参照)。まだ「どうやって着陸させるのが正解なのか」といって議論していた状態だった。つまり、前脚から先に接地させるか、後脚から先に接地させるか、前後を同時に接地させるか。

結局、水平を保つことに専念してなんとか接地させたものの、タイヤがパンクしてブレーキから発火、消防車が駆けつけてくる事態になった。そして、すっ飛んできたケリー・ジョンソンが怒鳴りつけた。「バカもん、なにをやってるんだ!」 そこで操縦していたトニー・レビーの返事が、「この野郎が、俺に無断で離陸しちまったんですよ!」だ。

あまりにも機体が軽く作られていたので、想定よりも早く浮かんでしまったわけだ。タキシー試験なら、燃料はたくさん入れていなかっただろうから、なおのこと。そして歴史は繰り返す。後にロッキード社がA-12偵察機を開発したときにも、燃料を少しだけ入れて実施した高速タキシー試験の最中に「無断で離陸しちまった」のだそうだ。

幽霊屋敷で設計と試作

第2次世界大戦中に造られた双発爆撃機の中でも、傑作との呼び声が高い機体の一つが、デハビランドDH98モスキート。よく知られているように、この機体、木製である。すでに全金属製が常識となっていた時代に「木製爆撃機だなんて」と笑われたのも無理はない。それに、英本土航空決戦にケリが付くまでの間、イギリスにとっての戦局はよろしくなかったから、新型機の開発よりも既存機の量産が優先、という考えにも理はある。

  • イギリスの双発爆撃機「デハビランドDH98モスキート B35 写真:デハビランド航空機博物館

    イギリスの双発爆撃機「デハビランドDH98モスキート B35 写真:デハビランド航空機博物館

そんなこんなの事情により、デハビランド社は、まず自費で開発を始めることにしたのだが、その際に設計チームをハットフィールド(ロンドン北西・約50km)の工場外に出すことにした。ハットフィールド工場は、すでに受注している機体の生産でてんやわんやだし、爆撃を受けないとも限らない。それに、懐疑的な見解を持つ人が多かった機体だから、余計な横槍は避けたい。もちろん、秘密保持もある。

そこで、17世紀に建てられたソールズベリー・ホール(Salisbury Hall)というお屋敷を使うことになった。なんでも、イギリス国王チャールズ二世(1630~1685年)が、愛妾のネル・グインと過ごしていた屋敷だそうである。設計だけでなく、台所を使って実大模型を作ったり、納屋に見えるように擬装した建物で試作機を作ったりした。

そしてこのお屋敷、ネル・グインの幽霊が出るという噂があったそうである。つまり、モスキートは「幽霊屋敷で生み出された傑作爆撃機」であった。もっとも、紙と製図板と計算尺で設計ができた時代だから、こんなことができたのだが。

なお、この屋敷にはウィンストン・チャーチル英首相の母堂が住んでいた時期があったほか、蒸気機関車の設計者として名高いナイジェル・グレズリー卿が住んでいたこともあったという。ちなみにソールズベリー・ホール、今もちゃんと残っており、デハビランド・メモリアルとなっている。隣接地には「デハビランド航空機博物館」があるそうで、一度、訪れてみたいと念願しているのだが。

秘密保持のために開発チームを隔離する事例は他にもある。その一例が、ロッキードのスカンクワークス。なんでこんな名前が付いたかといえば、最初にP-80戦闘機を開発するために設計チームを編成したとき、秘密保持のために、悪臭を発する樹脂工場の隣にテント小屋を用意して、居を構えたことが発端だそうだ。

著者プロフィール

井上孝司


鉄道・航空といった各種交通機関や軍事分野で、技術分野を中心とする著述活動を展開中のテクニカルライター。
マイクロソフト株式会社を経て1999年春に独立。『戦うコンピュータ(V)3』(潮書房光人社)のように情報通信技術を切口にする展開に加えて、さまざまな分野の記事を手掛ける。マイナビニュースに加えて『軍事研究』『丸』『Jwings』『航空ファン』『世界の艦船』『新幹線EX』などにも寄稿している。