ブラックホール連星は、合体後に安定した「回転ブラックホール」へと落ち着く過程で、鐘を叩いた後のような特徴的な振動を伴う重力波「リングダウン」を放射する。この振動は主に、時間経過とともに減衰する振動の重ね合わせである「準固有振動」として記述される。この振動の周波数はブラックホールの質量と回転によって決定されるため、重力波からブラックホールの性質を調べ、一般相対性理論を検証する「ブラックホール分光学」の基盤となっている。
ところが準固有振動には、ブラックホール周辺の重力摂動が従う運動方程式において、解が特別な数学的性質を持つ「代数的に特別な周波数」の近傍で、モードが2つに分かれたり、突然消失したり、ブラックホールの回転をゼロにした極限へ滑らかにつながらないように見えたりする、不可解な振る舞いが約40年前から知られていた。その全体像や物理的な起源は、これまで未解明のまま残されていた。
東京大学、東京都立大学、京都大学の3者は、こうした“代数的に特別な周波数”近傍の異常な振る舞いの起源を、理論解析と数値計算により明らかにしたことを10月29日に共同発表した。
同成果は、東大 宇宙線研究所の窪田圭一郎特任研究員と、都立大大学院 理学研究科 物理学専攻の本橋隼人准教授(京大 基礎物理学研究所 協力研究員兼任)の研究チームによるもの。詳細は、米国物理学会が刊行する、素粒子物理学や宇宙論、重力理論などを扱う学術誌「Physical Review D」に掲載されている。
今回の研究成果
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ブラックホールの応答を表す複素周波数空間のリーマン面。色は応答の位相を示し、×印が準固有振動に対応する「極」、点が熱的周波数に対応する「零点」を表す。複数の面を調べることで、従来の視点では隠れていた面のモードの追跡が可能になる (出所:都立大 Webサイト)
今回の研究では、準固有振動を特徴付ける「グリーン関数の極」だけを追跡する従来の視点を拡張し、応答がゼロになる「零点」の追跡も同時に実施された。グリーン関数とは、外部からの刺激に対してブラックホールがどのように応答するのかを表す関数だ。その「極」とは応答がきわめて大きくなる特別な周波数のことで、準固有振動に対応する。「零点」は極の逆に相当する。
研究チームは今回、複素周波数空間に存在する複数の「リーマン面」にまたがって、極と零点がどのように動くのかを詳細に解析することにした。
リーマン面とは、複数の値を持つ複素関数を1つの連続した構造として扱うために導入される、複数の「面」からなる数学的構造を指す。今回は、通常解析されている面だけでなく、別の面に存在する準固有振動の追跡も実施された。その結果、これまで1つのモードが2つに分かれているように見えていた現象は、実際には異なるリーマン面に存在する2つのモードが互いに接近し、交差せずに反発する「擬交差」によって生じていることが判明した。
さらに、近年の研究で解明されていた擬交差に特徴的な振る舞いも、今回発見されたモードにおいて明瞭に確認されたという。また、この擬交差に伴ってモードの励起度が大きく増幅される「共鳴励起」が生じることも突き止められた。
一方、ブラックホールの回転をゼロに近づけた際にモードが消失するように見える現象は、準固有振動を表す「極」が、「松原周波数」と呼ばれるブラックホールの熱的性質に関係する特別な周波数に現れる「零点」と正確に重なり、互いに打ち消し合う「ポールスキッピング」によって説明できることが明らかになった。
さらに、同様の現象がより高い多重極のモードで起きることも確認されたという。なお松原周波数とは、有限温度の量子系に現れる特徴的な周波数のことを指す。ブラックホールにも温度(ホーキング温度)があるため、それに対応する松原周波数を定義できる。
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連星ブラックホール合体に伴う重力波の概念図。連星ブラックホールは重力波を放射してエネルギーを失い、互いの軌道を縮めながら周波数を高めつつ、やがて衝突・合体する。合体後、系は乱れた状態から定常なブラックホールへと落ち着いていく過程で、特徴的な重力波「リングダウン」を放射する。この重力波は、ブラックホール固有の減衰振動である「準固有振動」の重ね合わせとして記述される (出所:都立大 Webサイト)
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ブラックホールの回転を変えた際の準固有振動の軌跡を表したグラフ。ブラックホールの質量で規格化した準固有振動の周波数(横軸)と減衰率(縦軸)を、ブラックホールの角運動量の変化に対して示している。右半面は既知のスペクトルであり、左半面は今回の研究により解明されたスペクトル。今回の研究で着目されたのが青と赤の線 (出所:都立大 Webサイト)
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(左)ブラックホールの回転を変更した際、「代数的に特別な周波数」(画像中の白丸)付近における、画像4の準固有振動の周波数・減衰率の軌跡の拡大グラフ。赤と青の線はそれぞれ画像4の同色の線に対応。(右)各モードの励起されやすさを表す「励起因子」を、ブラックホールの角運動量を変化させながら複素平面上に示したグラフ。両図の太線は、同じ角運動量の範囲に対応している。擬交差の際、周波数の軌跡は双曲線を描き、励起因子はレムニスケート曲線を描くことを、近年、都立大の本橋准教授が解明した。今回の擬交差(太線部分)でも、その特徴が明瞭に確認できる。さらに、白丸で示した代数的に特別な周波数では、赤線で示した極と黒破線で示した零点が衝突し、「ポールスキッピング」が起きている (出所:都立大 Webサイト)
今回の結果は、ブラックホールの振動スペクトルを正しく理解するためには、モードを表す「極」の軌跡だけでなく、「零点」との相互作用まで含めて調べることが重要であることを示している。
重力波を用いたブラックホール分光学の理論的基盤をより精密なものにすると同時に、開放系の複素スペクトルを扱う非エルミート物理や散乱理論、熱的グリーン関数の研究で注目されている「極と零点のダイナミクス」が、ブラックホールの振動においても重要な役割を果たすことが示されたとのこと。
