東芝は、高速化と小型化を両立した「衛星QKD送受信システム」を開発し、英ヘリオット・ワット大学で光ファイバーQKDネットワークとの連携を実証したと1月28日に発表。今後、地球低軌道(LEO)衛星と地上局間の長距離通信を2027年度に実証し、地球規模での量子セキュアネットワークの構築に寄与していく。

  • 衛星QKDの概要イメージ

    衛星QKDの概要イメージ

東芝は2020年から、近・中距離の光ファイバーを用いた量子暗号通信サービスを提供している。こうしたサービスにおいては、金融・生体・医療に加え、外交・安全保障にも関わる極秘情報をグローバルに共有する安全なネットワーク構築が期待されるが、量子コンピューターの進展によって、従来の暗号方式では将来的に解読される懸念が高まっている。

そうした脆弱性に対抗する技術として注目を集めるのが「量子鍵配送」(QKD:Quantum Key Distribution)だ。“ポスト量子時代”の情報セキュリティを確保する上で、量子力学の原理に基づき“盗聴が理論的に不可能”とされるQKDに期待が寄せられている。

具体的には、衛星を介したQKD(衛星QKD)と光ファイバー網を統合することで、現行の光ファイバーの通信距離の限界を克服。たとえば日本と米国など、遠く離れた地点へ量子鍵を配送することで、大陸間で極秘情報を安全に共有できるようにするといったセキュアな長距離通信を実現できるとされる。

今回、東芝が開発したシステムでは、ギガヘルツ周波数を利用したモジュールとして“世界トップクラス”をうたう「小型送受信モジュール」と、1GHzのギガヘルツ周波数を用いた衛星—地上局間の通信で、低軌道衛星が上空を通過する短い時間内で大量の暗号鍵をリアルタイム生成する「高速QKD通信」を実現。さらに、衛星QKDと光ファイバーQKDの間で暗号鍵を標準化されたプロトコルに基づいて安全に連携する仕組みも実証した。

東芝ではこのシステムを用いて、ヘリオット・ワット大学の光衛星通信地上局(HOGS)と連携し、衛星QKDと地上に敷設された光ファイバーネットワークとの接続実証に成功したとのこと。なお今回の技術開発はInnovate UK(project 10089202)を通じて、英国の支援を受けて実施されたものだという。

東芝はこの実証成功について、「低軌道衛星を介した量子セキュア通信の実用化に向けた大きな前進であり、大陸を横断する量子ネットワーク構築への道を切り拓くもの」とコメントしている。

  • 衛星QKDによる大陸横断量子ネットワークのイメージ

    衛星QKDによる大陸横断量子ネットワークのイメージ

QKDを活用した“グローバル量子セキュア通信”を阻む課題

QKDは、暗号鍵を光の最小単位である光子(光の粒子)に乗せ、送信装置から受信装置まで光ファイバーなどの光伝送媒体を使って送る技術。すでに国内ネットワークを中心に、都市間を結ぶ光ファイバーを活用して実用化されている。

しかし現行のQKDにはいくつか課題がある。

まず、量子力学の原理により、第三者による暗号鍵の盗聴は確実に検知でき、“暗号鍵の安全性が無条件に保証される”ものの、光ファイバーのみでは伝送距離に対して伝送損失が指数関数的に増えるため、数百kmを超える長距離通信を実現することが難しい。

また、海底ケーブルを用いた大陸間通信では通常、光信号を増幅する中継器を設置するが、“未知の量子状態を完全にコピーすることは物理法則上できない”という量子力学の基本原理「量子複製不可能性定理」により、光子を同一の量子状態で複製できないため、QKDでは従来の中継方式が適用できない。

このため、大陸を横断するグローバルな量子セキュア通信を実現するには、衛星QKDとの統合運用が最も有望な手段だという。

  • 衛星QKDによる安全な通信実現の仕組み

    衛星QKDによる安全な通信実現の仕組み

一方で、衛星QKDにもいくつかの課題があり、そのひとつが低軌道衛星と衛星地上局が通信できる時間がきわめて短いことだ。低軌道衛星を利用する場合、衛星からの信号を受信する地上局の上空を通過する時間はわずか3〜5分程度と限られ、その間に暗号鍵生成を効率的に完了させて送る必要がある。

また、低軌道衛星や衛星地上局に搭載する機器は、コスト面からサイズ・重量・消費電力に厳しい制約があるため、小型で高効率な設計が求められるほか、低軌道衛星で生成した暗号鍵を、地上のQKDネットワークに安全かつ効率的に連携させる必要もある。

衛星QKD実用化に向けた3つの技術開発

東芝は、衛星QKDの実用化に向け、高速通信・小型モジュール・ネットワーク連携という3つの課題を解決するため、「ギガヘルツ周波数による高速通信技術」、「小型・高効率な送受信モジュール」、「地上QKDネットワークとの連携技術」を開発した。

1. ギガヘルツ周波数による高速通信

東芝が今回開発した技術では、低消費電力・高変調帯域幅の「垂直共振器面発光レーザー」(VCSEL:Vertical Cavity Surface Emitting Laser)を複数利用し、1GHzで超高速かつ安定して量子信号を発生。さらに、FPGA(Field-Programmable Gate Array)による高速な信号制御により、QKDプロトコルに必要な偏光状態や強度レベルを正確に制御する。

低軌道衛星から大量の暗号鍵を生成・配送するには、非常に高い繰り返し周波数で安定した送信が求められる。そこで同技術を使うことで、低軌道衛星の可視時間内に大量の暗号鍵をリアルタイムに生成できるようになったという。

2. 小型・高効率な送受信モジュール

新たに開発した送受信モジュールの外形寸法と質量は、送信機が2Uサイズ(20×10×10cm)/1.6kg、受信機は40×30×10cm/約9kg。東芝では、「ギガヘルツ周波数を利用したモジュールとしては世界トップクラスのコンパクトかつ軽量な設計を実現した」とアピールしている。

これまでのQKDシステム開発で培った光学設計のノウハウを生かし、VCSELレーザーや光学多重化技術(複数の光信号を1本の光ファイバーや光路で同時に伝送する技術)などを導入することで、性能はそのままに装置の小型化を追求。低軌道衛星への搭載コストを削減し、地上局への設置性を向上するとともに、複数の低軌道衛星によるネットワーク構築も容易にしたとしている。

  • 衛星QKD向けの送受信モジュールのイメージ

    衛星QKD向けの送受信モジュールのイメージ

3. 地上QKDネットワークとの連携

衛星QKDと地上の光ファイバーQKDの統合には、通信波長や伝送方式、暗号鍵管理プロトコルの違いといった、システム間のギャップを埋める必要がある。

そこで東芝は、今回開発した上記の送受信機を、英ヘリオット・ワット大学の衛星地上局に統合し、衛星QKDで生成した暗号鍵をETSI標準(欧州電気通信標準化機構)に準拠した暗号鍵管理ソフトウェアを通じて、地上ネットワークへ安全に連携する仕組みを実証した。

具体的には、地上局内の望遠鏡の前に送信機を設置し、その約1m前方から暗号鍵を送信、望遠鏡に設置した受信機で受信。この暗号鍵を、標準化プロトコルで光ファイバーQKDと連携し、異なるQKDシステム同士のシームレスな暗号鍵共有を実現させた。

同社では「この技術は、大陸を横断する量子セキュア通信ネットワーク構築の基盤技術として期待される」としている。

  • 衛星QKDと地上の敷設光ファイバーQKDをシームレスに結合

    衛星QKDと地上の敷設光ファイバーQKDをシームレスに結合

東芝欧州社ケンブリッジ研究所の小坂谷達夫副所長は、今回の技術開発の発表に関連し、衛星QKDの市場規模についても説明。「衛星QKDの市場規模予測にはかなり幅はあるが、いずれも年平均成長率は20〜30%近くと非常に高い数値を予想しているのがポイントだ」と話した。

またQKD全体でみても、2024年には4.8億米ドル規模だったものが、2030年には26.3億米ドルに拡大する見込みで、年平均成長率は32.6%にもなるとのこと。なかでも成長率が最も高い分野が、衛星QKDなのだという。

東芝は今後、2027年度に低軌道衛星と地上局間の長距離通信を行い、昼夜を問わず、さまざまな気象条件下でも安定して運用できることを実証する予定だ。さらに、複数衛星を組み合わせたネットワーク化を進めることで、地球規模で機密情報を安全に通信できる大陸間を繋ぐ量子セキュアネットワークの構築をめざす。

小坂谷副所長は、報道陣の質問に応えるかたちで、「現状はLEOの利用をまず考えている。将来的には、高軌道衛星や静止衛星などでの活用といった選択肢もあるかもしれない」とコメント。サービス提供のかたちや、どういった衛星に組み込みどのロケットを使って軌道上へ運ぶか、宇宙放射線や各種ノイズへの対策をどうするか、といった具体的な内容については、いずれも今後の課題だとした。