理化学研究所(理研)、埼玉大学、東京大学(東大)、東北大学の4者は1月16日、約20℃の室温かつ0.64テスラ(T)という比較的弱い磁場条件下で、固体中の水素原子核(1H)における「核スピン偏極率」として、世界最高値となる61%を達成したと共同で発表した。

  • トリプレットDNP法を用いた1H核スピン偏極率の向上

    トリプレットDNP法を用いた1H核スピン偏極率の向上(出所:共同プレスリリース)

同成果は、理研 開拓研究所 上坂スピン・アイソスピン研究室の立石健一郎研究員(理研 仁科加速器科学研究センター(RNC) 核反応研究部 研究員兼任)、同・上坂友洋主任研究員(RNC 核反応研究部 部長/埼玉大大学院 理工学研究科 連携教授兼任)、埼玉大大学院 理工学研究科の大塚脩司大学院生(研究当時)、東大大学院 工学系研究科 附属ナノシステム集積センターの黒澤俊介特任准教授(東北大 ニュートリノ科学研究センター(RCNS) 客員准教授兼任)、RCNSの山路晃広学術研究員らの共同研究チームによるもの。詳細は、化学物理を扱う学術誌「Chemical Physics Letters」に掲載された。

原子核の自転に相当する物理量である核スピンは、長いコヒーレンス(干渉)時間と高い制御性を備えており、固体物理学や量子技術の分野で極めて重要な役割を担っている。しかし、室温環境では熱雑音の影響を強く受けるため、核スピンの向きが揃う割合を示す「核スピン偏極率」が著しく低くなる点が課題だった。核スピンの向きが揃わなければ、多数の原子核が集積しても量子力学的な性質を十分に発現させることができないためだ。

この核スピン偏極率を高める有力手法として、マイクロ波照射によって高い電子スピンの偏極を核スピンへと移す「動的核偏極」(DNP)が知られている。しかし、従来のDNP法で高い偏極率を得るには、1K(約-272℃)以下という極低温や強磁場を必要とするという制約があった。

そこで注目されているのが、光励起によって生じる三重項状態の電子スピンを利用する「トリプレットDNP」法だ。レーザー照射などで生成される三重項励起状態の高いスピン偏極を核スピンへ転写することで、室温でも超核偏極状態を作り出せるという長所を持つ。一方で、室温では核スピンが乱れやすく「スピン-格子緩和時間」(T1)が短くなり、偏極率の向上が制限されるという難点があった。そこで研究チームは今回、T1の長い新たな材料を探索して、室温での核スピン偏極率向上に挑んだという。

  • トリプレットDNP法の概要

    トリプレットDNP法の概要。レーザー照射などの光励起によって生じる三重項励起状態の電子スピンは、複数のスピンが1つの準位に大きく偏った高いスピン偏極を持つ。それをマイクロ波照射と磁場掃引で核スピンへ移すことで、超核偏極状態を作り出せる(出所:共同プレスリリース)

今回の研究では、室温で最も高い1Hスピン偏極率を達成している「p-ターフェニル単結晶」が試料として用いられた。同単結晶の課題は、3つあるうちの中央のベンゼン環が振り子のように分子振動することで、その周辺の局所的な双極子磁場が変調されて、核スピンのT1が短くなってしまう点だ。そこで、分子構造が剛直な「ジベンゾ[a,h]アントラセン」(DBA)が着目された。DBAは、ベンゼン環が剛直で分子振動が抑制されることから双極子磁場が変調しないため、T1が長くなると考えられたことが理由だ。

まず、DBAに光励起三重項電子を生成する「重水素化ペンタセン」(ペンタセン-d14)を微量添加した単結晶を作製し、室温でレーザー照射を実施しながら電子スピン共鳴(ESR)測定が行われた。その結果、ペンタセン-d14由来の三重項電子スピン信号が明瞭に観測され、既存材料と一致するスピン特性が得られたとした。これにより、ペンタセン分子の長軸を外部磁場に揃えることで、核スピンへの偏極移動効率が最大化されることが示された。

  • 今回使用された各分子の構造

    (a)今回の研究で使用された各分子の構造。(b)p-ターフェニル(左)は、中央のベンゼン環の振動により、環周辺の局所的な双極子磁場が変調され、核スピンのT1が短くなる。一方、DBA(右)はベンゼン環が縮合した剛直な構造を持つため、分子運動が抑制される。(c)ペンタセン-d14を0.05%モル当量添加したDBA単結晶(出所:共同プレスリリース)

さらに、1H-NMR(水素核磁気共鳴)測定でT1の評価が行われた。その結果、室温で磁場0.64Tという条件下で、132分という極めて長いT1を持つことが判明。DBAが、トリプレットDNP法に極めて適した分子であることがわかったのである。

次に、0.05%モル当量のペンタセン-d14を添加したDBA単結晶(約1mg)に対し、室温かつ磁場0.64Tの条件でトリプレットDNP法が実施された。すると、開始140分後に、過去最高の1H核スピン偏極率となる61%が達成されたことが確認された。また、レーザー照射下でのスピン緩和時間を評価したところ、分子振動による緩和よりも、三重項電子に起因する常磁性緩和の寄与が支配的であることが判明。これは、材料の冷却よりも分子設計の最適化が性能向上の鍵であることを示唆しており、三重項励起状態の寿命が短い分子を用いることで、さらなる核スピン偏極率の向上も期待されるとした。

  • 室温で磁場0.64Tの条件下での1Hスピン偏極率の時間変化

    DBAにペンタセン-d14を0.05%モル当量添加した単結晶(約1mg)にトリプレットDNP法を実施した、室温で磁場0.64Tの条件下での1Hスピン偏極率の時間変化。140分後に偏極率は61%に到達した。挿入図は、同試料の1H-NMRによるT1測定結果(出所:共同プレスリリース)

今回実現された室温で61%という高い核スピン偏極率は、新しい量子材料の創出といった次世代量子技術への応用や、加速器の簡素化に加え、放射線損傷を抑制してより高精度な実験を可能にする偏極標的の構築に貢献することが期待されるとしている。