いわゆる“高市発言”を契機とした日中関係の緊張は、現在、中国政府による一部の経済的措置という形で表面化している。国民の日本への渡航自粛要請や日本産水産物の輸入再停止といった対応は、日本経済に一定の打撃を与えるものであるが、これは中国が握る「カード」の中では最も小さな部類に属すると見るべきだ。
日本政府の今後の対応を注視している中国は、この先、より本質的かつ致命的なカードを切ってくる可能性があり、特に日本の技術と経済を支えるテック企業は、この地政学的リスクを過小評価すべきではない。
中国政府がもつ「小さなカード」と「大きなカード」
現在講じられている措置が「小さなカード」であるとされる理由は、それが中国経済自身に与える影響が限定的であり、容易に解除・代替が可能だからである。一方、日本は中国に対する貿易的脆弱性が顕著だ。
例えば、医薬品の基盤をなす抗生物質の原材料は対中依存度が100%であり、自動車製造に不可欠なマグネシウムは99%、そしてリチウムイオン電池の主要材料であるグラファイトは89%を中国からの輸入に頼っている現状がある。これらの戦略的物資の供給が一時的にでも停止されれば、日本の製造業、特にハイテク産業のサプライチェーンは瞬時に寸断され、その影響は計り知れない。これは、中国が経済的な報復を政治的な圧力として行使する際の決定的な「大きなカード」であり、日本経済の生命線を握られているに等しい状況である。
この脆弱性は、日本のテック企業にとって単なる調達リスクではなく、事業存続に関わる根本的なリスクとして捉えるべきである。中国依存度の高い素材や部品の供給が滞れば、半導体製造装置、高機能電子部品、次世代バッテリーなどの分野で、日本の生産ラインは停止に追い込まれる可能性が高い。製造コストの高騰や納期遅延も避けられず、国際的な競争環境において日本の製品が価格面でも供給安定性の面でも決定的に不利になることは明白である。
2020年代に入り、米中対立の激化に伴い地政学リスクが顕在化する中で、日本企業は既にリスク分散の重要性を認識しているはずだ。しかし、これまでのコスト最適化を優先した結果、サプライチェーンの一極集中という構造的な問題が改善されていないのが実情である。中国が経済安全保障上の戦略的物資と見なす品目を人質にとり、政治的な要求を突きつける事態は、もはや絵空事ではなく、きわめて現実的な脅威として企業戦略に組み込まれるべきだ。この危機感の欠如こそが、最大の経営リスクであると言える。
最重要課題は「地政学リスクを織り込んだ真のレジリエンス構築」
では、日本のテック企業はこの複合的な危機にどう対応すべきか。
最も重要なのは、脱中国依存である。マグネシウムやグラファイトなどの品目について、現在の中国との契約だけでなく、ASEAN諸国、インド、あるいは同盟国である欧米諸国における代替サプライヤーとの接触を強化し、実行可能な緊急調達ルートを構築する必要がある。中長期的には、より抜本的な「デリスキング」戦略の実行が不可欠である。これは、単に調達先を分散させるだけでなく、生産拠点の多角化を含めたサプライチェーン全体のレジリエンス(回復力)強化を意味する。
特に政府が推進する経済安全保障政策と連携し、特定重要物資の国内生産回帰(リショアリング)や、信頼できる国々との共同サプライチェーン構築に、積極的な投資を行うべきだ。中国を「安価な製造拠点」としてではなく、「巨大な販売市場」として明確に位置づけ直し、製造・技術の核となる部分はリスクの低い地域へ移管する、という構造転換が求められている。
高市発言を巡る一連の摩擦は、日中間の政治的・経済的な緊張関係が構造的な危機へと移行しつつあることを示す明確なシグナルだ。日本のテック企業は、渡航自粛や水産物輸入停止といった表面的な事象に目を奪われることなく、抗生物質原料や重要鉱物資源の対中依存という自らの脆弱性の本質を見抜く必要がある。
コスト効率一辺倒の戦略から脱却し、地政学リスクを織り込んだ真のレジリエンス構築こそが、今後数十年間の日本の産業競争力を左右する最重要課題だ。政府と産業界が一体となり、迅速かつ戦略的なサプライチェーンの再構築に着手すべきである。