室蘭工業大学(室蘭工大)は4月10日、クモの巣の横糸(捕獲糸)にある粘着物質中に未知の天然イオン液体「水和リン酸二水素コリン」を発見し、粘着成分の中でタンパク質の溶解を助け、クモの巣の高い粘着力を生み出していることを明らかにしたと発表した。

同成果は、室蘭工大大学院 工学研究科の趙越准教授、豊田工業大学 レーザ科学研究室の藤貴夫教授、工学院大学 先進工学部の坂本哲夫教授らの共同研究チームによるもの。詳細は、米国化学会が刊行する界面化学を扱う学術誌「Langmuir」に掲載された。

クモは粘着性のある糸を分泌し、獲物を捕らえるための巣を作る生物として広く知られている(巣を張らない種類も存在する)。クモの巣を構成する糸のうち、円周状に張られた横糸は捕獲糸と呼ばれ、獲物捕獲に重要な役割を担う粘着性を持つ。対照的に、巣の骨格となる放射状の縦糸は、クモが移動時の足場となるため、非粘着性であることが多い。その他、クモはぶら下がり移動に用いる強靱な牽引糸、産卵のための卵嚢糸、巣作りの際に一時的に利用する足場糸など、複数の種類の糸を用途に応じて使い分けている。

クモの糸の主成分が、タンパク質の一種である「スピドロイン」であることは知られていたが、そのほかの成分については未解明の部分も多い。そこで研究チームは今回、蜘蛛の巣の捕獲糸に使われる粘着成分、つまり「粘球」の構成成分についての詳細な調査を行うことにしたという。

粘球とは、クモの巣の捕獲糸に形成される微小な粘着液滴である。クモが分泌する粘性液体が表面張力により球状構造を形成し、獲物が接触すると広がり、強力な接着力を発揮する仕組みを持つ。今回の研究では、この粘球の粘着成分の化学成分の分布とその役割を明らかにするため、飛行時間型二次イオン質量分析および中赤外ハイパースペクトルイメージングを用いた詳細な分析が実施された。

分析の結果、粘着物質には水和リン酸二水素コリンが含まれており、これがイオン液体(常温またはそれに近い温度で液体の状態を保つイオンのみで構成された塩の総称)として機能していることが確認された。このイオン液体は、粘着物質中のタンパク質を溶解する作用を持ち、クモの糸が獲物に付着した後、水分が蒸発することでその濃度が変化し、結果としてタンパク質の硬化が促進されるという事実が突き止められた。これにより、クモの捕獲糸の粘着成分は環境の変化に応じて粘着性を調整し、優れた接着性を発揮するメカニズムを備えていることが示唆された。

クモの捕獲糸の粘着物質が獲物や物体と接触すると、その表面積は急速に拡大し、水分が蒸発する。この過程において、液体中の水和リン酸二水素コリンはイオン液体として機能し、タンパク質を溶解して柔軟な状態を維持する。しかし、水分が蒸発するとイオン液体の濃度が変動し、タンパク質が硬化することで接着力が向上する。この動的な応答により、クモの巣は高い粘着力を発揮し、獲物を確実に捕獲することが可能となる。

  • 水和リン酸二水素コリンは、クモの粘着物質中でイオン液体として機能し、タンパク質の溶解を促進する

    水和リン酸二水素コリンは、クモの粘着物質中でイオン液体として機能し、タンパク質の溶解を促進する。粘球は、基板との接触前には球状の液滴として均一な構造を保持するが、基板に粘着すると液滴が広がり、水分の蒸発に伴い内部のタンパク質が硬化、強固な接着力が発揮される(出所:室蘭工大Webサイト)

粘着物質から水和リン酸二水素コリンを除去する実験も実施された。その結果、タンパク質の水への溶解性が低下し、硬化した状態で残存することが確認された。この結果から、水和リン酸二水素コリンが粘着物質の粘度および硬化プロセスを制御し、クモの糸の優れた粘着性を支える重要な要素であることが明らかになったのである。さらに、イオン液体の存在がクモの粘着物質の均一な分布と環境応答性に貢献していることも示唆されたとした。

今回の研究成果により、クモの巣の粘着物質は単なるタンパク質と水の混合物ではなく、天然のイオン液体を含む高度に制御された接着システムであることが明確になった。この発見は、自然界における接着メカニズムの理解を深化させるのみならず、新たなバイオ由来の接着剤や機能性材料の開発にも貢献する可能性が示唆されている。

今回発見された天然イオン液体は、生物が有する高度な接着機構の解明に寄与するのみならず、バイオ由来の新たな粘着剤の開発、バイオポリマーの加工技術、さらにはバッテリー電解質への応用など、多岐にわたる分野での活用が期待されるとしている。