
「経営とは何か。働くとは何か。それをもう一度考え直すときにきている」─。こう指摘するのは映像やゲーム、Web、広告・出版、医療などのプロフェッショナル人材を提供するクリーク・アンド・リバー社会長の井川幸広氏。会社設立35年を迎える中、国際情勢は混沌とし、日本社会の風潮も大きく変化した。東京ニュービジネス協議会(東京NBC)会長も務める井川氏から見た今の米国と日本とは。そして起業家のあるべき姿とは?
─ 米国ではトランプ新政権が誕生しました。まずは現状を聞かせてください。
井川 やはりこれまでの言動を見て感じるのは、トランプさんがビジネスマンだということです。
私も経営者として経営をし、M&A(合併・買収)も経験してきたので分かるのですが、そこで最初に行うことは、売り上げはもちろん、組織の経営にかかっているコストがどのくらいかを調べることです。
そして、本当に効率的にお金が使われているかどうかをチェックすることです。
これは経営の上では当たり前のことでしょう。ですから、トランプさんが海外援助を管轄する「国際開発局(USAIDA)」からの資金の流れを把握するために米テスラ創業者のイーロン・マスクさんを政府効率化省のトップに据えてチェックしようとしているわけです。
おそらく行政官の中で、こういった発想は出てこなかったでしょうね。そういったダイナミックな行動ができるのは、トランプさん自身にも相当な胆力と決意がないとできないと思います。そういった意味では、私は大いに期待ができると思います。
─ お金の流れが正しいかどうかを確認するのは経営者にとっては当たり前ですからね。
井川 ええ。お金が正しい目的のために使われているかどうかのチェックですね。
ただ、時間が経つにつれて、そういったお金の流れはズレていく。トランプさんはそれをもう1回引き戻しているような感じがします。
無駄をなくすことにも意味がありますが、無駄をなくすことが目的ではありません。使われているお金がきちんと目的に向かっているかどうか。その過程の中で無駄が発見されているわけだから、その無駄はなくしていこうと。
私もM&Aをしたときに、最初にその点にとても気を遣います。
─ 一方でデンマークの自治領であるグリーンランドの所有発言など過激な面もあります。
井川 グリーンランドに地下資源があるということを意識しているといった話もあります。 それともう1つは仮想敵国をつくるという発想があるのかもしれません。勝つか負けるかという観点ですね。
一方で日本人はコンセンサスを大事にするので、我々から見るとトランプさんの発言には少し違和感を持ってしまうのだと思います。
─ 日本の立ち位置はどうあるべきだと考えますか。
井川 日本の最大の資源というのは人だと思うのです。新たな発明やクリエイティブに関しても他の国よりも秀でている部分が多くあります。
他国は一神教ですが、日本は多宗教といいましょうか。「和を以って貴しとなす」という聖徳太子の教えが脈々と根付いています。こういった思想を持つ日本人が世界に対してイニシアティブを発揮できるのでは? 日本人はこういった大事な要素を持っていると感じます。
─ 共存共栄ですね。
井川 そうですね。ただ、共存共栄するためには日本が力を持たなければいけません。力がないままに共存共栄を叫んでも意味がありません。では、その日本の力とは何か。私は日本のとるべき道は技術だと思います。
具体的に言えば、特許を取得するなど、日本の技術をもって世界のイニシアティブをとりにいくということです。例えばブロックチェーンの技術やVチューバーは日本人が開発したものなのです。そういった技術を官民が連携して、活かしていければ良いと思います。
─ ビジネスの世界でも大きいことが強いわけではなく、小さくても役割を果たせると。
井川 そうですね。新しい技術を活用する分野といったアーリーステージの段階に関しても、本来であれば自由にやってもらった方がいいはずなのですが、様々な制約があります。新しいものを生もうと思うと、当たり前のように既得権益との戦いになってしまったりします。
─ イーロン・マスク氏は規制緩和を主張しています。
井川 はい。ビジネスの王道を進んでいますよね。そしてきちんとお金が目的の場所に向かっているのかどうかを、ブロックチェーン技術を生かしながら把握しようとしています。そこまでオープンにされれば、不正ができませんし、不正する気持ちも持てないでしょうね。
マスクさんは、お金が本当に必要とされる最終的なところにまで行き渡っているのかどうかが重要だと考えているのでしょう。
今は昔と比べてデジタル化が進展した世界になっています。様々な作業が瞬時に正確にできるようになったわけです。それなのに、未だにFAXで対応しているようなところが残り続けています。
多少のストレスを感じることもあるかもしれませんが、一気にデジタル化に置き換えていくことも必要ではないでしょうか。たとえ混乱が起きても半年ぐらいしたら収まるはずです。
ですから、今は危機のように見えてチャンスなのです。そのためには公明正大にリーダーシップを発揮して物事を言えるタフなリーダーが出てこないといけません。
─ それを経済人が担うということがあっても良いのかもしれませんが。
井川 経営とは何かというと、事業で社会を豊かにすること。そのためにも稼ぐことは大切です。利益を出して、それを設備投資や研究開発などに投じて新しい商品やサービスを開発し、それでまた稼ぐ。そのサイクルをずっと繰り返していくのです。いまや経営の感覚はどんなリーダーにも必要なのかもしれませんね。
─ 潜在力はあるということですね。さて、フリーランスの映像ディレクターであった井川さんがクリーク・アンド・リバー社を設立したのが1990年。クリエイティブ分野を中心にプロフェッショナルをネットワークするトップ企業に成長しました。どう振り返りますか。
井川 振り返ると、もう反省ばかりです(笑)。あのとき、もう少しこうやれば良かった、このときにあれをやれば良かったという反省がたくさんあります。
ただ、我々がつくった当時の会社の置かれている周りの環境は今とは全く違います。良くなったのか、あるいは悪くなったのかは正直、よく分かりません。
働き方改革でも労働時間の時間外規制が始まり、労働者の健康が保たれ、リスキリングや子育てに自分の時間が当てられるようになったという点ではプラスでしょう。
ただ、当社の仕事の主流であるWeb、ゲーム、広告・出版といったクリエイティブな世界には少々難しい点があります。理屈ではなく、創造の世界だからです。
私自身も働くことがとにかく楽しかったので、働くことを嫌だとは思いませんでしたし、面白かった。今では考えられないことかもしれませんが、徹夜も全然厭わなかった。そういった時代でした。
ところが今は何となく世の中の風習として長く働くことは悪になってしまっているような気もします。
ただ、今の若い人たち全員が本当にそう思っているかどうかと言えば、そんなことはありません。当社に登録してくれているクリエイターは、仕事に対して非常に情熱的で、もっと働きたいという意欲がある方が多い印象です。
特にクリエイターやプロフェッショナルは、その傾向が強いのかもしれません。
─ 働くということをもう一度考え直さないといけません。
井川 そう思います。働くという部分に対する真に大切なこととは何なのか。
例えば、長く働かずに自分の両親や子どもの世話ができるという面がありますが、長く働くことによって両親や子どもたちに対する金銭面でのケアができるという面も考えられます。プロフェッショナルの方々の仕事においては、一概に時間だけでははかれない部分があります。
─ 企業を取り巻く環境の変化で言えば、ステークホルダーとの向き合い方もずいぶん変わったのではないでしょうか。
井川 おっしゃる通りですね。私たちが会社をつくったときは株式の持ち合いはお互いの信頼関係の構築の上では、いいものだと捉えられていました。しかし、今のスタンダードな基準でいうと、それもあまり好ましくないという株主の意向が強くなっています。
株主から見れば、キャピタルゲイン(株式や債券など資産の価格上昇に伴う利益)や配当の話が重要かもしれませんが、ステークホルダーは株主だけではありません。
むしろ、会社を取り巻く環境の中では、従業員や取引先、地域社会など大事な要素もたくさんあるわけです。株主第一主義のような風潮が強くなっている世の中に対しては少し違和感を抱いてしまいます。
株主の意向も正論かもしれませんが、正論ではない世界も世の中にはあるわけです。右か左かの二者択一の中で、ブレながら往復を繰り返しているように感じます。
─ だからこそ日本には社歴の長い企業が多いわけです。
井川 そうです。日本には100年以上続いている会社の数が世界の中でも圧倒的に多い。4・5万社とも言われていますね。
こういった企業は株主だけでなく、従業員や地域社会などにもしっかり気配りをしています。この点を評価して株主になっている方々も少なくありません。この精神を今後も大事にしなければと思います。
その点、当社が志向するのは、株主もいて、社員もいて、プロフェッショナルもいて、取引先や地域社会もある。
これらは全てWin-Winの関係が必要です。社員と株主への還元のバランスが大事だと思っています。
クリーク・アンド・リバー社にはそういった私の理念に共感してくれた仲間たちが集まってくれています。
社員はおよそ4000人ですが、当社に登録しているプロフェッショナルは約40万人を数えます。彼らと一緒に付加価値を生み出していかないといけないと思っています。
付加価値とは世の中の変化によって必ず起きてきます。ですから、常に新しい付加価値を生み出していく努力が必要になってくるのです。(次回に続く)