物質・材料研究機構(NIMS)と米・Seagate Technologyの両者は2月10日、HDDに利用されている「熱アシスト磁気記録」に「スピントルク」を組み合わせることで、記録効率を35%向上させる新たな記録原理を実証したことを共同で発表した。

同成果は、NIMS 磁性・スピントロニクス材料研究センター 磁気記録材料グループの磯上慎二主任研究員をはじめ、Seagate Technologyなどの共同研究チームによるもの。詳細は、ナノ構造を含む無機材料に関する全般を扱う学術誌「Acta Materialia」に掲載された。

熱アシスト磁気記録方式とは、磁気ヘッドからレーザーを照射し、記録媒体を「キュリー温度」(磁性体が磁気特性を失う温度)に近い約450℃まで局所的に加熱することで、磁化反転に必要なエネルギー障壁を下げ、情報の記録効率を高める技術だ。現行のHDDで広く使用されている「鉄白金(FePt)ナノグラニュラー媒体」は優れた熱安定性を持つものの、磁場による書き込みが困難なことが課題となっていたが、熱アシスト磁気記録方式の導入によりその課題が解決され、記録密度が向上。特にSeagate Technologyは2020年にこの方式を実用化し、2024年から大量生産を行っている。

  • スピントルク熱アシスト磁気記録の原理

    スピントルク熱アシスト磁気記録の原理。レーザー照射による加熱でMnPt層に温度差が生じ、それによってスピン(緑色矢印)がFePt層に注入される。このスピンはスピントルクを生み出し、磁化反転を補助。従来の熱アシスト磁気記録では、熱による磁化の変化のみが記録に寄与していたが、今回開発された技術では、スピンも新たな磁化制御の役割を担う(出所:NIMSプレスリリースPDF)

しかし現在、データセンターのメインストレージとして使用されるHDDには、さらなる大容量化と低消費電力化が求められている。ところが記録媒体を急激に加熱するプロセスには、長期的な繰り返し使用による磁気的劣化(データ保持力の低下や信号の劣化につながる)や、媒体および書き込み素子への物理的ダメージといった課題があった。つまり、HDDの大容量化と低消費電力化を実現するには、それらの課題を解決し現行方式の弱点を補う新たな記録技術の開発が不可欠なのである。そこで研究チームは今回、従来の熱アシスト磁気記録にスピントルク(伝導電子のスピンが磁性体と相互作用し、磁化の方向を変えようとする力)の効果を組み合わせた新たな記録方式の考案を目指したという。

今回の研究では、FePt層の下にマンガン白金(MnPt)反強磁性層を挿入した積層構造が作製された。MnPtは、強磁性材料の磁化方向を一方向に固定するために用いられることが多く、スピンを効率的に生成・注入できるため近年注目されているとのこと。そしてFePtとの相性が良く平坦な界面を形成するといい、この積層構造に対しレーザーを照射すると面直方向に温度差が発生する。今回提案された技術は、この温度差によって生成されたスピンがFePt層に注入されてスピントルクを生み出し、それによって「熱ゆらぎ効果」が補完されることで記録効率の向上が実現される仕組みだ。

今回の実験では、超短パルスレーザーを用いたポンププローブ法が適用され、遅延時間を調整して磁気光学履歴曲線が測定された。その結果、レーザー照射によって保磁力が最大80%低減し、そのうち約35%がスピントルク効果によるものであることが確認された。

  • 熱アシストとスピントルク効果による保磁力低減の比較

    熱アシストとスピントルク効果による保磁力低減の比較。レーザー照射によって保磁力が最大80%低減し、そのうち35%がスピントルク効果によるものだった。従来の熱アシスト効果(赤矢印)に加え、スピントルク効果(青矢印)が働くことで、さらに保磁力が低減している(出所:NIMSプレスリリースPDF)

スピンを効率的にFePt層へ注入するには、MnPt反強磁性層との界面が重要であり、今回の研究では、FePtと同じ結晶構造を持ち面内格子整合性が高いMnPtを用いることで、原子レベルで平坦な界面が実現され、スピントルク効果を最大化することができたとする。

なお、スピントルク効果をHDDに応用する試みはこれまでに実現されておらず、今回の研究がその可能性を初めて実証したとのこと。今回の成果を活用することで、熱アシスト時のエネルギー消費を削減し、HDDの耐久性を向上させ、データセンターの消費電力を大幅に削減できる可能性があるという。また、スピントルク効果の応用に新たな道を開き、次世代HDD技術の基盤となることが期待されるとした。さらに今回の成果は、デバイス動作中に自己形成される温度差を有効活用するという新たなコンセプトを提案しており、これを応用した新しい機能性デバイスの創出につながる展開も期待されるとしている。