神戸大学は11月11日、イランの民族音楽において、一見その場で自由に演じられているように思える“即興演奏”に、実はさまざまな言語化されていないルールが存在していること、そしてそれらが必ずしも制約のような否定的なニュアンスを持っているわけではなく、むしろ文化による「自由」という言葉の意味の幅広さを示唆していることなどを明らかにしたと発表した。

同成果は、神戸大 人間発達環境学研究科の谷正人准教授によるもの。詳細は、Trans Pacific Pressから書籍「Traditional Iranian Music - Orality, Physicality and Improvisation」として出版された。

民族音楽学では、「即興演奏を行う音楽家は、まったく無の状態から音楽を生み出しているわけではなく、あらかじめ即興というパフォーマンスの基盤となるものを準備している」といった考え方に基づき、世界の多種多様な音楽文化における「パフォーマンスの基盤となるもの」の内実の解明に迫ってきたという。その一方で、即興演奏とはこのようなあらかじめ体得された「ルール(=義務的要素)」に基づきつつも、演奏のまさにその瞬間に演者が「個性を自由に発揮する」ことによってなされるのだと認識されてきたとする。

しかし民族音楽の即興演奏を観察していると、客観的な視点において同じ演奏を“違う”と称したり、逆に異なる演奏を“同じ”だと称したりする事態に頻繁に出くわすとする。そこで谷准教授は主に、「口頭性」(楽譜を用いず口伝えであること)と「身体性」(楽器ごとに異なる「手指や身体の使い方」がどう音楽に影響しているか)という観点から、イランにおいて音楽レッスンへの参与観察を実施したという。

  • セガと呼ばれる旋律型の2人の音楽家による伝承例

    セガ(旋法のダルアーマド)と呼ばれる旋律型の、2人の音楽家(流派)による伝承例(出所:神戸大Webサイト)

今回の研究では、これまでの研究でも指摘されてきた「イラン音楽とペルシア古典詩の韻律の関係性」を、実際に即興演奏が教えられている現場に繰り返し参与観察することで、より具体的にその方法の実際(どのように詩の韻律を音楽のリズムに変換し、さらには音楽の終止感とも一致させているのか)が分析された。

その結果、楽譜に頼らない音楽文化において音楽的記憶(即興演奏)とは、一音一音を忠実にたどる逐語的なものではなく、共有されている音楽的語彙(決まり文句)を演奏の瞬間に(意図せず少しずつ異なった形で)思い出したり、言い換えたりすることを指しており、結果そこでは近代西洋(クラシック音楽)とは異なった「オリジナリティ」や「個性」の感覚があるという。

また、ペルシア語(古典詩)の朗誦リズムに大きく影響を受けていること、「テトラコード」(「ドレミファ」や「ソラシド」など、4つの音を1つのまとまりとする考え方のこと)ごとに異なる弦楽器ネック上の手指のフォームに対する記憶が即興演奏の自由度に大きく関係していることなども明らかにされた。

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