三菱ケミカルグループ(三菱ケミカル)、慶應義塾大学(慶大)、日本アイ・ビー・エム(日本IBM)は6月10日、大規模な分子・固体のエネルギーを高精度で計算するための量子コンピュータを用いた新たな計算手法を開発したことを発表した。

同成果は、三菱ケミカルの菅野志優氏、同・小林高雄氏、同・高玘氏、慶大 理工学部 化学科 理論化学研究室の畑中美穂准教授、同・後町慈生氏、慶大 理工学部 物理情報工学科 基礎理工学専攻の山本直樹教授、日本IBM IBM Research-Tokyoの中村肇氏らの共同研究チームによるもの。詳細は、英科学誌「Nature」系の量子情報に関する学術誌「npj Quantum Information」に掲載された。

分子や個体の物性は、そこに含まれる電子状態を計算することで知ることができるが、その計算は電子数に応じて指数的にコストが増加するため、現状は近似を利用して計算している。また、電子の基底状態の計算では、電子相関を近似した密度汎関数(DFT)法が広く用いられているが、クーロン反発が強い複雑な電子構造を持つ物質の場合、十分な精度が得られないという課題があるという。この課題を解決できる手段として量子コンピュータが期待されているが、現在の量子コンピュータは量子ビット数とゲート数に制限があり、量子コンピュータ単体の性能を超える大規模・高精度な計算手法が求められていたという。

今回、研究チームは、問題分割法であるハイブリッドテンソルネットワーク(HTN)と高精度計算手法である量子モンテカルロ(QMC)を組み合わせた「HTN+QMC」に加え、それに必要な量子状態同士の重なりを効率的に計算する「疑似アダマールテスト」(PHT)を開発することで、この問題の解決に挑んだという。

HTNは量子と古典(既存)の両方式のコンピュータを組み合わせた手法で、量子コンピュータのサイズより大きな量子状態を、より小さなテンソル(ブロック)に分割し、それぞれのテンソルを量子コンピュータで扱い、テンソル間の接続を古典コンピュータが担うことで、たとえば100量子ビットの量子コンピュータでも、より大規模な1万量子ビットの量子状態を生成することができるようになったとする。

また、高精度なエネルギー計算手法であるQMCにおける計算フローの一部に量子コンピュータを用いることで、計算精度を向上できると考えられている。たとえば、エネルギー評価時に量子回路内で生成される量子状態を用いることで、評価精度の向上が期待できるという。

開発されたHTN+QMCは、ハイブリッドテンソルネットワークを用いて量子状態を生成することで、量子コンピューターのサイズ以上のスピン軌道を持つ化学計算の問題に対し、量子コンピュータを用いた量子モンテカルロを実行することができる手法となるが、その実行には量子状態同士の重なりを計算する必要があるという問題が残されていたという。また、その重なりの計算も、従来の最適化などで近似基底状態を生成するために準備した量子ゲートと補助ビットをもつれさせる(制御演算を実行する)ことで取得される重なり(アダマールテスト)の場合、準備したゲート数に応じて計算コストが増加するという課題があったことから、新たに量子ゲート最適化の時点で補助ビットを巻き込んだ量子ゲートに対して最適化する手法(疑似アダマールテスト)とすることで重なり計算におけるコスト増加を抑えることに成功したとしており、この組み合わせてにより、ゲートに対する制御演算を用いずに重なりを計算することを可能にしたとする。

  • HTN+QMCの概要

    HTN+QMCの概要。(a)HTN。(b)QMC。(c)HTN+QMC (出所:三菱ケミカルプレスリリースPDF)

  • 疑似アダマールテストの概要

    (a)疑似アダマールテストの概要。(b)アダマールテストと疑似アダマールテストにおいて必要な2量子ビットゲート数の比較 (出所:三菱ケミカルプレスリリースPDF)

実際に、HTN+QMCと疑似アダマールテストを組み合わせて、フォトクロミックモデル分子「モノアリルジイミダゾール」に対する基底状態の計算を実行したところ、一般的に化学現象を理解するのに必要な精度(1.6 milli-Hartree)に対し、ノイズのないシミュレータに匹敵する0.042±2.0 milli-Hartreeという高精度で基底状態を算出することができたという。

  • モノアリルジイミダゾールの構造

    計算したモノアリルジイミダゾールの構造。グレーは炭素、白は水素、青は窒素が表されている (出所:三菱ケミカルプレスリリースPDF)

研究チームによると今回開発されたHTN+QMCは、機械学習や最適化といった幅広いタスクにも適用できるとしているほか、疑似アダマールテストも、HTN+QMCに限らず、一般的な量子状態同士の重なりや遷移振幅に適用できるとしており、化学計算のみならず、大規模タスクに対する量子コンピュータを用いた高精度な計算に向けた新たな道筋を開いたといえると説明している。