具体的には、強磁性層を反強磁性体Mn3Snで置き換えた磁気トンネル接合(MTJ)素子を作製。反強磁性体は大きな磁化を持たないが、Mn3Snには類似の機能を有する「クラスター磁気八極子偏極」があり、この偏極を制御することが可能という特徴がある。

Mn3Sn-MTJ素子を構成する2つの反強磁性層のクラスター磁気八極子偏極が平行な状態と反平行な状態が作られ、室温で磁気抵抗効果の測定が行われたところ、反強磁性体のみからなるMTJ素子であってもトンネル磁気抵抗効果が検出されたという。トンネル磁気抵抗効果の変化は1~2%程度だったが、この抵抗変化比は理論計算により、現在強磁性体で見られる値と同程度(100%程度)まで十分増強可能であることも解明されたとする。

異常ホール効果、異常ネルンスト効果、磁気光学カー効果などの読み出し信号も、室温で検出できることも確認された。これらの信号も、クラスター磁気八極子偏極に由来する。研究チームでは、クラスター磁気八極子偏極に対応するトポロジカルな電子構造を持つ物質「ワイル半金属」が重要となるとしている。

そして、MRAMの強磁性体部分を置き換えても機能し得る反強磁性体としては、強磁性体と同じ磁気対称性を持ち、今回のように磁化の代わりをするクラスター磁気多極子偏極を有する磁性体が考えられるという。この条件を満たす反強磁性体の有望な候補物質は現在のところ、今回のMn3Snを含む、研究チームが開発したMn3X(X=Sn,Ge)系のみだとする。

  • 「0」と「1」の情報に対応する2値のトンネル磁気抵抗効果の模式図

    (a)「0」と「1」の情報に対応する2値のトンネル磁気抵抗効果の模式図。Mn3Sn-MTJ素子のクラスター磁気八極子偏極の平行と反平行状態が示されている。(b)室温において測定された、Mn3Sn/トンネル障壁層(MgO)/Mn3SnのMTJ素子における磁気抵抗効果。図中のオレンジ色の矢印は、2つのMn3Sn層におけるクラスター磁気八極子偏極の方向。反平行状態(↑↓、↓↑)は平行状態(↑↑、↓↓)よりも電気抵抗が小さくなっている (出所:東大Webサイト)

MRAMの基盤技術であるMTJ素子の開発は、従来のシリコン半導体に比して、より高速で低消費電力な情報技術につながる可能性を秘めていることから、今回の成果は、産業界においても大きな波及効果をもたらすことが期待されると研究チームでは説明しているほか、今後の日本のポスト半導体産業の育成にも大きな効果をもたらすことが考えられるともしている。

また、クラスター磁気多極子が作る量子的なトンネル電流が室温で実現し得るのかという問いに対しては、今回の研究により、理論的にMn3SnのMTJ素子が、現在のMTJ素子の材料系(強磁性の鉄)とほぼ同程度のトンネル磁気抵抗効果を有し得ることが示された形であり、この知見は、スピン分裂したバンド間の運動量を保存した電子のトンネル現象という、量子科学の基礎的主題に対する大きな知見でもあるとしており、今回の成果は学術的および産業的のどちらにも貢献する量子技術であり、今後の研究開発の一大分野に発展する可能性も期待されるとしている。