近年、医療業界でもデジタル活用が進んでいる。2020年にはニコチン依存症治療用アプリが医療機器として日本国内で初めて承認され、医師が処方するアプリが誕生したことで、医療用アプリをはじめとするデジタル治療「デジタルセラピューティクス(Digital Therapeutics:DTx)」への注目が高まっている。
そこで、不眠障害治療用アプリの提供や治験を効率化するシステムといった医療向けICTサービスを提供するスタートアップ企業、SUSMEDの代表取締役社長 上野太郎氏と同社のCTO 本橋智光氏に、同社の取り組み内容から、医療用アプリ開発に必要なこと、医療現場でデジタル活用がなされることへの期待などについてお話を伺った。
SUSMEDが開発する不眠障害治療用アプリとは?
SUSMEDは、現在も精神科領域の臨床医として診療を行う上野氏を中心に、2015年に立ち上げ2016年に株式会社化。2021年12月に東京証券取引所マザーズに上場を果たした。
同社のビジョンは、「ICTの活用で“持続可能な医療”を目指す」。
事業は、治験の効率化といった医薬企業向けの事業と、治療用アプリの開発といった患者・医療従事者向けの事業の2軸で展開している。
上野氏によれば同社の特徴は「研究開発型のベンチャー企業。研究開発に先行投資を行い、現在までにDTx関連などで21件の特許をすでに取得している」という。
SUSMEDは、2022年2月1日に「厚生労働省に不眠障害治療用アプリケーションについて製造販売承認申請を行った」というプレスリリースを発表した。
日本国内で行われた臨床試験で、同社の治療用アプリを使用した際に不眠障害に改善が見られたことに基づいて同申請が行われた。同じく、この臨床試験の結果をうけ、2021年12月には塩野義製薬と販売契約を締結している。
では、この不眠障害治療用アプリはどのようなものなのだろうか。
同アプリは、上野氏がもともと精神科領域の臨床医として、現場で“睡眠薬の使い過ぎ”に課題感を抱いたことからアプリの開発に至ったのだという。
そもそも不眠障害は、睡眠障害の1つで日本国内に1,860万人の患者がいるというデータもある。不眠障害は、うつや認知症、肥満、糖尿病のリスクにつながることがわかっている。
不眠障害の治療を受けているのは590万人で、現在はほぼすべて睡眠薬による治療がなされているという。
しかし、睡眠薬は依存性の問題や、睡眠薬の服用をやめると不眠症状が増悪する副作用(反跳性不眠)が生じ、治療効果が持続しないという課題があるという。
そこで、睡眠薬の代わりに注目されているのが、認知行動療法(CBT-I:Cognitive Behavioral Therapy for Insomnia)だ。
不眠障害はストレスなどが発症のきっかけとなり、慢性化には“悪循環”が原因となることが多い。悪循環とは、寝られないことに不安を感じ、寝床に早く入るが、寝付けないことで「寝床=眠れない」という条件付けが行われてしまい、寝ようとして寝床に入ると覚醒状態になってしまうというものだ。
CBT-Iでは、医師が患者が1対1で、上記の悪循環を断ち切るべく、認知と行動のゆがみを是正していくアプローチを行う。
CBT-Iはさまざまな臨床試験で効果が認められており、治療後も効果の持続が確認されていることから、アメリカでは睡眠医学会治療ガイドラインにおいて「すべての慢性的な不眠障害患者には、認知行動療法を第一選択として実施すべきである」とされているという。
しかし、CBT-Iは手間がかかる(医師が対面で30分~1時間、1人の患者だけに時間を使う必要がある)ため医療機関の経営という観点では課題があり、日本国内ではCBT-Iを実施できるスタッフが不足していることからCBT-I治療の機会が限られているという問題もある。
そこで同社が開発したのが不眠障害治療用アプリ。同アプリはCBT-Iをアプリのアルゴリズムで提供することで、医療機関の手間を低減させ、患者には診察室で医師が行っていたCBT-I治療をアプリを通じて継続して受ける機会を用意するものだ。
上野氏は「睡眠薬を使いたくないから、不眠症状はあるが医療機関を受診していない潜在層も多いと考えている。現在治療を受けている患者さんのマーケットが1000憶円、潜在マーケットは3500億円と見込んでいる。その中でSUSMEDの治療用アプリが獲得しうるマーケットは400憶円と試算している」という。
同社は、この不眠障害治療用アプリと並行して、「乳がん患者用運動療法アプリ」、「ACP(Advance Care Planning)向けアプリ」、「透析予備軍患者に向けた腎臓リハビリアプリ」の開発を行っている。
上野氏は「すべての治療をアプリに置き換えればいいというわけではなく、不眠障害のように既存の治療法に医師や患者が問題意識を持っているような領域にアプリのニーズがあると考えている」という。
では、通常のアプリと違い、医療用アプリではどのような開発が求められるのだろうか。
SUSMEDの本橋CTOによれば、「治療用アプリは治験での効果の検証だけでなく、“治療の継続性”が非常に重要になる。たとえば、システムの不具合でサービスの提供が滞ると治療が継続できない。そうならないためにSUSMEDのアプリはすべてオフラインでも動作するようになっている。通信ができない状況でも治療の継続を可能にするというのは、エンジニアリングとしては難しい部分だが、医療用アプリの責任として、求められる高レベルなエンジニアリングに応えている」という。
治験のコストの半分を占めるモニタリングを代替するブロックチェーン技術
SUSMEDは、患者だけでなく、医療機関向けのサービスも提供している。 その中の1つが医薬品の臨床試験における「ブロックチェーン技術によるモニタリングの代替技術」だ。
医薬品の臨床試験にかかるコストのうち、55.2%を“モニタリング”という業務が占めるという。
モニタリングは、医師が入力した試験データを、試験結果を収集するための症例報告フォーム(eCRF)に、利益に関与しない第三者が転記したり、データと原資料と照合などを行う業務のことだ。臨床試験データの書き換えを防止する目的で行われる。
従来はこのモニタリング業務によってデータの信頼性を担保してきた。
SUSMEDは2016年から、医師が入力したデータを、書き換えが困難なブロックチェーンによって担保することで、モニタリング業務を代替する技術を研究しており、2020年12月には、同技術が厚生労働省および経済産業省に認められたことを発表している。
この認可を受け、2021年4月には日本医療研究開発機構(AMED)の「研究開発推進ネットワーク事業」に採択され、同技術の有効性の検証を進めるとともに、治験受託企業であるEPSと業務提携を行い、同技術を用いた治験の共同検討を進めている。
同技術が実用化されることで、製薬メーカーは新薬開発にかかるコストを下げることができ、それが国の医療財政にとってもプラスになると考えているという。
さまざまな取り組みを行うSUSMEDだが、上野氏に今後の展望について伺うと「まずは、不眠障害治療用アプリをしっかりと患者に届けていくというのが目標。同時にほかの治療用アプリの開発も進めていく。
また、SUSMEDとしては“持続可能な医療を目指す”がミッションなので、アプリだけではなく、医薬品の治験の効率化に貢献し、医薬品の開発ハードルを下げることや、治験のコストが下がることでそれが薬価にも反映されるなど、当社のインフラで持続可能な医療に貢献していくのが目標だ」という。
そのうえで、医療現場でデジタルが活用されることへの期待について、自身も現役の臨床医として診療を行う上野氏に伺うと「医療現場は比較的、デジタル化が遅れている。そして、実際に働く医療従事者はコロナ渦の報道でもあったように疲弊している。デジタル化が進めば、医師の働き方改革にもつながると考えている。ただ、医療現場でデジタル化が遅れている原因としては、個人情報がある。SUSMEDとしてもセキュリティを非常に重要視しており、2021年12月に上場したのも、信頼性を高めたいという意図もあった」と患者と医療従事者、双方にプラスとなるデジタル化が望ましいとした。
医療現場でのデジタル化が進めば、医療従事者だけでなく、IT人材もまた、医療に関わっていくことになる。
最後に、本橋CTOに医療業界で働くIT人材に求められることについて伺うと「SUSMEDが開発しているような治療用アプリは、治療そのものにかかわるというのが特徴。治療はさきほども言ったように、停止が認められないため、システム開発として品質が求められる。システムが停止しないという可用性の部分や、セキュリティの部分、長期に使う可能性が高いのでメンテナンス性、拡張性のすべてに高い品質が求められる。
医療分野のIT人材には、医療知識があることは必ずしも求められないが、ITのスペシャリストであることが求められる。良くも悪くも腕が確かめられる世界だと思う」と語ってくれた。
現在、製造販売承認申請中の不眠障害治療用アプリは、認可されれば、不眠障害治療の新たな治療手段となるだろう。患者と医療従事者、双方にプラスになるシステムの開発を進めるSUSMEDの今後に注目だ。