理化学研究所(理研)、岐阜大学、東北大学、立教大学の4者は9月14日、大強度陽子加速器施設J-PARCにおいてK中間子ビームが照射された写真乾板データを、独自に開発した機械学習モデルによって解析することで、ハイパー核の一種である「ハイパートライトン」の生成と崩壊の事象を可視的に検出することに成功したと発表した。

同成果は、理研 開拓研究本部 齋藤高エネルギー原子核研究室の齋藤武彦主任研究員、岐阜大 教育学部・工学研究科の仲澤和馬シニア教授(理研 開拓研究本部 齋藤高エネルギー原子核研究室 客員研究員兼任)、東北大大学院 理学研究科の吉田純也助教(理研 開拓研究本部 齋藤高エネルギー原子核研究室 客員研究員兼任)、立教大大学院 人工知能科学研究科の瀧雅人准教授、理研 開拓研究本部 齋藤高エネルギー原子核研究室の江川弘行基礎科学特別研究員、同・笠置歩大学院生リサーチ・アソシエイト、同・齋藤奈美上級研究員(研究当時)、同・田中良樹研究員、同・ウェンボ・ドウ研修生、同・中川真菜美特別研究員、同・アブドゥル・ムニーム国際プログラム・アソシエイト、同・エンチャン・リュウ国際プログラム・アソシエイト、ヘ・ワン研究員、岐阜大 教育学部・工学研究科の吉本雅浩学振特別研究員(研究当時)、スペイン・Instituto de Estructura de la Materiaのクリストフ・ラッポルド研究員らの国際共同研究チームによるもの。詳細は、英科学誌「Nature」系の基礎物理学と応用物理学を扱う学術誌「Nature Reviews Physics」に掲載された。

原子核は、陽子と中性子が核力によって束縛(結合)することで構成されているが、この核力の仕組みには未解決な部分が残されているという。それを解明する鍵として長年にわたって研究されているのが、「ハイパー核」と呼ばれる特殊な原子核で、ハイパー核には、通常の原子核を構成する陽子と中性子のほかにストレンジクォークを含む「ハイペロン」という特殊な粒子が加わっているとされる。

このハイペロンが加わることで、原子核の性質がどのように変化するかを調べることができるのがハイパー核であり、その中で最も軽いものは「ハイパートライトン」と呼ばれ、陽子と中性子からなる重水素原子核とハイペロンの一種であるラムダ粒子(Λ粒子)から構成されている。

このハイパートライトンには、「ハイパートライトンパズル」と呼ばれる謎が存在することが知られている。このパズルは、ハイパートライトンが生成されてから崩壊するまでの寿命の測定値が、1970年までに測定された束縛エネルギーから予測される値よりも有意に短いとする実験結果があることに由来している。また、各地で行われた実験間で寿命の測定値にばらつきがあるといった課題もあり、ハイパートライトンパズルの解決に向け、ハイパートライトンの寿命だけでなく束縛エネルギーの高精度測定が求められていたという。

こうした背景の下に研究チームは今回、K中間子ビームが照射された写真乾板のデータを用いて、ハイパートライトンの生成と崩壊事象を調べることにしたという。

しかし、写真乾板は時間情報を持たないため、粒子がいつそこを通ったのかは知ることができない。製造直後から現像するまでの間に写真乾板中を通ったすべての粒子の飛跡が背景事象として記録されてしまうという課題があった。

  • ハイパートライトン

    (左)実験で使用された、K中間子ビームが照射された写真乾板。(右)光学顕微鏡で撮影された写真乾板の拡大画像。黒い線は飛跡と呼ばれる荷電粒子が通った痕跡で、写真乾板1cm2あたり約100万本の飛跡が記録されている (出所:理研Webサイト)

通常は、写真乾板の周りに設置した検出器で荷電粒子が通った際の電気信号を取得し、その情報をヒントに探索範囲を絞り込む手法が用いられるが、今回の探索で用いられた写真乾板は、元々は別のハイパー核を検出するための実験で使用されたものだったことから、大量の背景事象の中からまったくヒントがない状態で、ハイパートライトンを探す必要があり、その解決策として機械学習を用いた画像中の物体検出技術に着目したという。採用されたのは、2017年に物体検出のコンペティションで優勝し、さまざまな分野で応用されているニューラルネットワークの一種「Mask R-CNN」で、それをベースにハイパートライトンが崩壊した痕跡を検出する機械学習モデルが開発された。

教師データは、物理シミュレーションによる飛跡情報と画風変換技術を用いて作成された。また、この飛跡の線分情報を写真乾板の顕微鏡画像風の模擬画像とするため、敵対的生成ネットワーク(GAN)という画像変換のためのニューラルネットワークを使用し、これにより物理シミュレーションで生成したハイパートライトン事象を含んだ画像が、写真乾板の模擬画像に変換される形で学習が行われた。

  • ハイパートライトン

    物理シミュレーションと画風変換技術によって作成された模擬画像。(左)ハイパートライトン(3ΛH)は、寿命を迎えると複数の粒子を伴って崩壊する。その例の1つが、パイマイナス中間子(π-)とヘリウム3原子核(3He)が放出される二体崩壊。(中央・右)物理シミュレーションにより放出される粒子飛跡の3次元位置情報が生成され、背景事象と合わせて画風変換が行われ、ハイパートライトン事象の模擬画像が生成された。この模擬画像が用いられ、物体検出器が画像中からハイパートライトンの崩壊事象を正しく検出するよう学習が行われた (出所:理研Webサイト)

最終的には約1万枚の模擬画像を用いた学習がMask R-CNNに対して行われた後、実際の写真乾板画像データの解析を実施。その結果、ハイパートライトンが写真乾板中で静止して、崩壊した痕跡を検出することに成功したという。

  • ハイパートライトン

    今回の研究で検出された最初のハイパートライトン事象。写真乾板中のA点でハイパートライトン(3ΛH)が生成され、B点まで飛行した後、パイマイナス中間子(π-)とヘリウム3原子核(3He)に崩壊する様子が観測された。B点で放出されたパイマイナス中間子が約29mm飛行した後、C点で静止したことが確認され、飛跡の長さから計算した運動エネルギーと運動学解析により、これがハイパートライトン事象であることが同定された (出所:理研Webサイト)

論文が投稿された2021年3月までに解析されたのは、実験で使用された全写真乾板データの約5000分の1だが、その時点で3例のハイパートライトンが一意に識別されたするが、現在も大量のデータ解析が進行中であり、研究チームでは、世界最高クラスの精度でハイパートライトンの束縛エネルギーを測定することで、2022年2月にドイツの重イオン加速器実験施設において、ハイパートライトンの寿命を世界最高クラスの精度で測定するWASA-FRS実験の測定結果と併せて、「ハイパートライトンパズル」の解決を目指すとしている。

なお、今回の技術はハイパートライトンだけでなく、そのほかの希なハイパー核事象の検出にも適用可能だとのことで、現在解析されている写真乾板には、これまで発見されていないさまざまな種類のハイパー核や、これまでに観測されたことのない原子核の生成崩壊事象が記録されている可能性もあるため、今後も継続して同技術の改善や拡張を進めていく予定としている。