国立天文台 野辺山宇宙電波観測所は5月18日、高性能化する受信機に対応するため、電波天文観測において信号の検出を行う重要な装置である「電波分光計」の完全デジタル化に成功したことを発表した。

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    (左)今回開発された完全デジタル電波分光計の外観。電波分光計の全機能がDigilentの評価ボード「PYNQ-Z1」(FPGAは正しくはXilinxのAll Programmable SoC「Zynq-7000シリーズ」となる)に実装されている。(右)試験観測で得られた天体の電波信号。既存の電波分光計と同様の結果が得られることが確認された。(c) 大阪府立大学/東京大学 (出所:国立天文台 野辺山宇宙電波観測所Webサイト)

同成果は、東京大学大学院 理学系研究科付属 天文学教育研究センターの西村淳特任助教、大阪府立大学大学院 理学系研究科の松本健大学院生、同・米津鉄平大学院生、同・中尾優花大学院生、同・藤田真司研究員、同・前澤裕之准教授、同・大西利和教授、同・小川英夫教授らの共同研究チームによるもの。詳細は、日本の査読付き英文科学雑誌「日本天文学会欧文研究報告」に掲載された。

登山電車を除いた通常の鉄道の駅では、日本で最も高地にあることで知られる長野県のJR(東日本)小梅線の野辺山駅。日本アルプスもそう遠くないこの標高の高い土地で1961年から稼働している日本の電波観測の聖地といわれる国立天文台 野辺山宇宙電波観測所には、1980年に完成し、天文観測から小惑星探査機「はやぶさ2」などの探査機などとの通信までで幅広く活躍している日本の電波観測のシンボルとも言える45m電波望遠鏡が設置されている。

ミリ波を観測可能な電波望遠鏡としては、世界最大級の口径を有している同望遠鏡は、カセグレン変形クーデ方式と呼ばれるアンテナ方式を採用しており、その名称の通りパラボラアンテナの直径は45mにも及ぶ。鏡面誤差は0.1mm、観測周波数は1~150GHz、最高解像力0.004°(視力4に相当)、アンテナ重量は700tというスペックを誇る。

電波望遠鏡は、どうしてもそのパラボラアンテナの巨大さに目が惹きつけられてしまうが、性能を決めるのはアンテナの大きさだけではなく、受信機と電波分光計という2つの機器も重要となる。アンテナは宇宙から地球に届いた電波を集めるが、とても微弱なためにそのままでは検出することができない。そこで、受信機は信号を増幅し、周波数を整える役割を担う。そして増幅され整えられた電波を電波分光計が受信する仕組みとなっている。

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    電波望天文観測で天体信号が検出されるまでの流れ。星間ガスから放射された微弱な電波はアンテナで集められる。次に、受信機で増幅などが行われ、最後に電波分光計で周波数ごとに検出される仕組みだ。(c) 大阪府立大学/東京大学/国立天文台 (出所:国立天文台 野辺山宇宙電波観測所Webサイト)

電波望遠鏡に関しては、21世紀に入ってから電波分光計を中心にデジタル化が進行した。そして近年になって、性能向上が目覚ましいのが受信機で、膨大な量の電波を処理できるようになってきているという。その技術の進展ぶりはデジタル分光計の性能向上が追いつかないほどで、45m電波望遠鏡の主力であるFOREST受信機の場合、処理した電波の75%がデジタル電波分光計で検出できずに捨てられているという。

受信機の性能向上は留まることを知らず、現在も精力的に開発が進められているため、このままだとますます電波分光計がボトルネックとなることが危惧されており、こうした最新の受信機に追随できる性能を持った電波分光計の開発が求められていたという。

そこで研究チームは今回、新しい電圧計測器(ADC)である「遅延線傾斜比較型ADC」に着目。ADCは分光計の前段にあって、アナログ電波信号を電圧値(デジタル信号)に変換する部分で、電波分光計は、このデジタル信号を演算することで電波を検出する仕組みである。

通常、ADCはアナログ信号を扱うことから、専用のチップとして開発・市販されている。そのため、従来の電波分光計はそうしたADCとデジタル演算チップの2つを組み合わせることで開発されてきた。対して遅延線傾斜比較型ADCは、デジタル技術だけで実現可能なADC、海外の研究チームの先行研究から「FPGA」に、ソフトウェア的に実装できることが報告されていた。

そこで研究チームは、この遅延線傾斜比較型ADCとデジタル演算部分を1つのFPGAに実装した電波分光計の開発に挑み、実際に完成、動作を確認することに成功したという。遅延線傾斜比較型ADCを用いたデジタル電波分光計が学術雑誌に報告されたのは、世界でも初めてだという。

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    完全デジタル電波分光計の設計図。1つのFPGAの中に、ADCとデジタル演算部の両方が実装されている (c) 大阪府立大学/東京大学 (出所:国立天文台 野辺山宇宙電波観測所Webサイト)

この完全デジタル分光計は、従来の電波分光計と比べて部品点数が少なく、汎用のFPGA評価ボードにも実装できるため、従来の1/10と安価に製作することができる点などが特徴とするほか、アナログ信号をデジタル回路で取り扱うことによるノイズの混入や、遅延線傾斜比較型ADCの弱点である電圧計測時刻の不定性が、天文観測に悪影響を及ぼす可能性があるため、これらの影響を検証する必要があったという。

そのため研究チームでは、野辺山に設置された大阪府立大の1.85m電波望遠鏡を用いた評価実験を2020年12月に実施。既存のデジタル電波分光計で得られた観測データと比較が行われたところ、完全デジタル電波分光計で検出された天体信号は既存装置で得られたものと概ね一致。基本的には、性能に問題がないことが確認されたとした。

なお、研究チームによると、現在の完全デジタル電波分光計は安価ではあるものの、分光計の重要な性能である分光帯域が既存の分光計に比べてまだ狭いため、今後は広帯域化を進めるという。そして、外来ノイズへの対策を施すなど、製品としての完成度を高めることが今後の課題としている。また、将来的には45m電波望遠鏡で開発中のマルチビーム受信機など、次世代の電波観測装置への応用も検討されているとしている。