宇宙日本食にするための要求と工夫

鳥嶋--JAXAから宇宙日本食の認証を得るにあたり、どのような要求があったのですか。

小菱--宇宙日本食には、衛生面や品質面、保存性など、安全面で非常に厳格な基準が定められています。たとえば保存性については18か月(1年半)以上が求められます。また、味や風味を確認する試験もありました。

森永ミルク生活(宇宙用)の場合、衛生面や品質面、保存性といった安全面では、食品衛生法に則って製造されている市販品とほとんど違いはありません。とくに、弊社は赤ちゃん向けの粉ミルクも作っている関係上、元からかなり厳格な基準を設けていますので、粉ミルクそのものに関しては市販品と同じもの、また同じ製造工程のままで、JAXAの安全基準をクリアすることができました。

大きな違いとなったのは粉ミルクを入れる容器です。宇宙日本食にするにあたっては、JAXA指定の専用容器に変える必要がありました。そのため、専用容器に移し替えたり、それを密封したりする工程を追加する必要がありました。さらに、ISS内やロケットでの飛行中に、破裂して粉が飛び散らないかを確認する耐圧試験を行う必要もありました。

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    インタビューに答える小菱さん。手に持っているのが「森永ミルク生活(宇宙用) (C)森永乳業

鳥嶋--粉ミルクは市販品と同じものということですが、味など、市販品と変えている点はないのですか。

小菱--地球と同じものを楽しんでいただきたいという想いがありましたので、容器以外はまったく同じ製品です。

じつは、味を変えるべきかどうかに関しては、プロジェクト・チームでも議論がありました。人間が宇宙に行くと、体液が頭に上るなどの関係で、味覚が変わると言われています。その真偽は不明ですが、この「森永ミルク生活(宇宙用)」のように密閉された容器から飲む場合は、香りを楽しむことができないので、それによる味の感じ方の変化はあるかもしれません。

ただ、実際に過去に宇宙に行った宇宙飛行士の方に市販品を飲んでもらい、「(この味なら)宇宙でも飲んでもいい」という感想をいただいたため、味はそのままとすることにしました。

鳥嶋--ということは、宇宙日本食にするための製造工程としては、容器を移し替えるだけで済んだのですか。

小菱--基本的にはそうですが、じつはちょっとした工夫が必要でした。宇宙で飲むときは、容器の上部にある注ぎ口から、専用の機械を使って水を注ぐのですが、その付近は斜めにスペースを空けて粉ミルクを入れています。

これは溶解性の向上、つまりダマになりにくいことと、注ぐ際に粉が飛び散らないようにすることを目的としたものです。すべて容器の下の部分に入れてしまうという案もありましたが、より溶解性が高い方法として、容器に対して斜めになるような形で入れています。

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    森永ミルク生活(宇宙用)の内装。容器の上部にある注ぎ口付近は、斜めにスペースを空けて粉ミルクが入っている。これは溶解性を向上させるための工夫だという (C)森永乳業

鳥嶋--開発にはどれくらいの時間がかかったのですか。

小菱--まず18か月以上の保存期間がクリアできるかを確認するため、実際に18か月を費やして試験をする必要がありました。また、それに先立ち、製造工程をすべて洗い直し、JAXAの基準に合致しているかという調査や確認を行ったり、そしてJAXAの立ち入り検査を受けたりなどで6か月かかりましたので、足掛け2年ほどかかりました。

鳥嶋--この2年の開発期間は長かったですか、短かったですか。

小菱--おおむね想定どおりでした。ただ、私たちとしてはぜひ宇宙で野口宇宙飛行士に飲んでもらいたいという想いがあり、そのためには2019年10月までに試験を受けて「Pre宇宙日本食認証」を取得しなければなりませんでした。それに間に合わせるため、少し急いだところもあります。

鳥嶋--「Pre宇宙日本食認証」というのは、通常の「宇宙日本食認証」とは何が違うのですか。

小菱--宇宙日本食の認証には18か月以上の保存試験が必要ですが、18か月というのはとても長いので、その半分の9か月以上でもクリアすればひとまず宇宙に持っていけるという制度があり、それを「Pre宇宙日本食認証」と言います。

当初、野口宇宙飛行士はいまよりもっと早い時期に宇宙へ行かれる予定でしたので、まるまる18か月間試験していては、その飛行に間に合いそうにないという事情がありました。そのため、2019年10月にまず「Pre宇宙日本食認証」を取得しました。

その後、野口宇宙飛行士の飛行は延期されることになり、その間に(Preではない)「宇宙日本食認証」を取得することができました。ただ手続きの関係上、今回は「Pre宇宙日本食」として宇宙へ行き、野口宇宙飛行士たちに飲んでいただくことになっています。もし、将来的にまた宇宙へ持っていっていただける機会があれば、そのときは「宇宙日本食」として行くことになります。

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    森永ミルク生活(宇宙用)と、JAXA発行の宇宙日本食認証書 (C)森永乳業

月でアイスクリームが食べられる日も来る!?

鳥嶋--今回は野口宇宙飛行士が宇宙に行かれましたが、今後も数多くの日本人宇宙飛行士の活躍が予定されています。また国際協力での有人月探査計画も進んでいますが、こうした中で、どのような期待をお持ちですか。

小菱--まずは野口さんなどの宇宙飛行士の方に、実際に宇宙で飲んでいただけたら嬉しいですし、プロジェクト・チームの苦労も報われると思います。また、月には水があると言われていますので、いつか有人月探査が実現したとき、月の水で溶かして飲んでもらえたらと想像するとわくわくします。

また、ISSには実験的にエスプレッソ・マシンが持ち込まれた実績もあり2)、「ミルク生活」はコーヒーや青汁などに混ぜても美味しく飲めますから、将来的には水だけでなく、いろいろな形で楽しんでもらえるようになったら嬉しいです。

注2:ISSのエスプレッソ・マシン……ISSには2015年から2017年まで、イタリアのコーヒー・マシン・メーカーや宇宙企業、機関などが共同開発した実験的なエスプレッソ・マシン「ISSpresso」が持ち込まれた。微小重力環境でも中身が飛び散らない、表面張力を利用した特殊なカップも作られ、イタリア出身のESA宇宙飛行士サマンサ・クリストフォレッティ氏などが、実際にISSで飲んで楽しんだ。

さらに、いずれ民間人が宇宙に気軽に行けるようになれば、宇宙食の基準もいまほど厳密なものではなくなり、流通技術も発達することで、よりさまざまな食品を楽しめるようになると思います。いつか宇宙で、「マウントレーニア」や、アイスクリームの「ピノ」などの製品も楽しんでもらえたら嬉しいですね。

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    宇宙用エスプレッソ・マシン「ISSpresso」で作ったエスプレッソを、専用カップを使って飲む、イタリアのサマンサ・クリストフォレッティ宇宙飛行士。将来、こうした装置が実用化され、普及すれば、森永ミルク生活もよりさまざまな飲み方、楽しみ方ができるようになるかもしれない (C)NASA

鳥嶋--冒頭で、「森永乳業はいろいろなことに挑戦できる会社」というお話がありましたが、この「森永ミルク生活(宇宙用)」プロジェクト以外に、どのようなことに挑戦されているのですか。

小菱--たとえば、サッカーの長友佑都選手とタッグを組んで「ビフィズス菌トレ」というプロジェクトをやっています。「ビフィズス菌トレ」とは、「ビフィズス菌」と「運動」などを組み合わせ毎日の生活に取り入れていただき、カラダの内側と外側の両面から 大腸の腸内環境改善を目指すことを目的としたプログラムです。そのプログラムのなかで、長友選手の腸内環境を研究所で検査し、当社のビフィズス菌を活用して、身体の内面からバックアップし、さらなる進化をサポートしています。

鳥嶋--アスリートにとって腸内環境というのは重要なのですか。

小菱--長友選手のお話では、遠征など世界各国への移動によってお腹の調子を崩し、それがパフォーマンスに影響を与えているそうなのです。 腸内環境を整えるサポートができることは、基礎研究から商品開発まで一社でカバーできる当社ならではのことで、すでにビフィズス菌を摂取頂いている長友選手からも高い評価をいただいています。森永乳業には腸内フローラの研究も50年以上の知見があるので、スポーツ選手はもちろん、一般の方の役にも立てると考えています。

鳥嶋--一般の方というと、昨今では新型コロナウイルス感染症の影響で、自宅にいる時間が増えた人が多くなりました。実際に私も、自宅で仕事をする時間が増え、まるで宇宙ステーションのような閉鎖環境に閉じ込められているようで、お腹などの調子が悪くなることもあります……。

小菱--たしかにコロナの影響で、運動・栄養不足など健康を気にされる方は増えており、バランスよく栄養を摂れる点で「ミルク生活」はお役に立てているのではと思っています。

宇宙と似たような閉塞感のある環境での生活を強いられているなかで、中身がまったく同じものが宇宙でも飲まれているんだ、野口宇宙飛行士が実際に飲んでいるんだ、と思ってもらうことで、少しでも閉塞感が和らぎ、明るい気分になっていただければ嬉しいです。

鳥嶋--最後に、読者の方にメッセージがあればお願いいたします。

小菱--宇宙日本食は、弊社以外にもたくさん申請されて種類が増えてきており、そして日本人宇宙飛行士の方も数多く活躍され、これから活躍の機会はさらに増えていくと思います。宇宙分野において日本は優れているということ、そして日本はまだまだ元気があるいい国なんだということを、この「森永ミルク生活(宇宙用)」プロジェクトを通じて知ってもらえれば嬉しいです。

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    インタビューに答える小菱さん (C)森永乳業

参考文献

大人のための粉ミルク「ミルク生活、宇宙へ。」|森永乳業
大人のための粉ミルク「ミルク生活」|森永乳業
宇宙日本食とは:宇宙日本食 - 宇宙ステーション・きぼう広報・情報センター - JAXA
ISSpresso - NASA
ビフィズス菌トレ | 学ぶ・体験する | 森永乳業

インタビュイー・プロフィール 小菱悟
森永乳業
営業本部
マーケティング統括部 マーケティング開発部
ヘルスケアフーズマーケティンググループ
マネージャー